凪いだ海、忘却の港町 51
塩分濃度の濃い海は、目を開けるのもままならない。
塩辛い海に引きずり込まれていくうちに、海水温はどんどん下がり、身体にかかる水圧も高くなっていく。それとは別に、タジには妙な感覚があった。
上から下に引きずられる感覚とは別に、横から水流を受けている。海中に、見えないし触れられない管があって、そこでは凪いだ海とは無関係に水の流れができあがっているかのよう。管の太さはタジの身長ほど。その水の流れを横断するように、タジは海底へと連れられている。
不思議な水流の中は、自然と目を開けることもできた。他よりもずっと塩分濃度が薄いのか、水流とそれ以外との境目にはくっきりと境界線が見えた。
両足首を掴んで離さない魔獣のような生物を、タジは見下ろした。
足元には足首を掴む魔獣の他に数体が共におり、何やら意思疎通をしているように見える。その意思疎通の仕方は言葉と言うより合図に近かったので、そこまで知能は高くないのかも知れない。
しかしこれで足首を掴んで海底へとひきずり下ろそうとする生物は魔獣でほぼ確定だろう。彼らが、彼らの上位存在によって命令され、タジを何者かの下へと案内しているのであれば、正直助かる。
上手くいけばすぐにも海竜ミレアタンと話ができるかも知れない。
海底に近くなってくると、水面から差し込む日の光はずいぶんと減り、水中独特の、仄青い輝きが辺りを淡く照らしている。星空のようにキラキラと光るのは、陽光を反射する魚の群れ。まるで夜空を落ちているような感覚だ。
水面よりも浮力が減っているのか、足を掴んで泳ぐ魔獣たちの速度が上がった。
「おい」
足首を掴む魔獣に向かってタジが語りかける。しかし話しかけたはずの言葉は、口から泡となって夜空を思わせる水面へとフワフワ浮かんでいった。
気泡を興味深そうに食む魚と海月。
呼吸ができないと、さすがに息苦しい。とタジが思い始めたころ、ようやく海底が見えてきた。
岩礁、珊瑚、それからいくらかの海藻によって形作られたその海底は、さながら海の楽園だった。おとぎ話に出てくる竜宮城か、あるいは人魚の住まう街か。
岩礁と珊瑚で作られた街には、冷光のぼんぼりがそこかしこに吊るされ、流線型の体に腕を生やした魔獣と同じように不自然な進化を遂げた生物――おそらくこれらも魔獣だろう――が生活していた。
廃村だったシシーラの村と比べて、明らかに活気にあふれている。海中のために音こそ聞こえはしないが、魔獣たちの話し声が今にも聞こえてきそうだ。
文明の息吹を感じる。
タジが目を凝らして感心していると、足元から視線を感じた。足首を掴んだ魔獣たちが、タジを不思議そうに見ているのだ。
(ああ、なるほどな)
魔獣たちは、狩りを終えたと思っていたのだろう。
普通の人間であれば、魔獣に海底へと引きずり込まれれば恐慌に陥る。恐慌に陥れば呼吸はままならず、海底へとひきずり下ろされる間に絶命するだろう。つまり、魔獣たちがタジの足首をもって海底へと移動していたのは、呼吸をさせなくして殺すことと、そのまま街へと獲物を持ち帰ることの二つを効率よくこなそうとした結果の行動だったのだ。
「残念だったな、死んでなくて」
ボココ、とタジの口から再び泡が出る。
不敵に笑うタジを見て、足首を掴んでいた魔獣の、無機質な魚の目がわずかに臨戦態勢を表した。
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