凪いだ海、忘却の港町 50

 強い日差しがジリジリとタジの肌に刺さる。

 ほとんど電子光線と化した炎の熱戦を浴びてもついぞ傷一つつかないタジの身体であっても、その熱を全く感じないわけではない。海の上は遮蔽物一つなく、鼻腔をくすぐる風は塩辛い。

 肌もまた、しばらく感じていなかった潮の風が軋むように肌を撫でていく。

 タジは先ほどの魔獣のような生物が現れないだろうかと、片方の舷から体を乗りだして、澄んだ海面に目を凝らした。肌に刺さる潮の風は目にもくる。かつて海を見た時には、これほど海の潮風にやられはしなかった。

「もしかして」

 タジは海水を手で掬って口に含んだ。

 思った通り、その海水は塩を直接口の中に放り込んだかのように塩辛かった。

 凪いだ海は、潮の流れによって海水が攪拌しない。すると海水は太陽光とその熱によって水分ばかりが蒸発していく。蒸発しただけ塩分濃度は上がって、塩辛くなっているのだ。

 死海の塩分濃度が普通の海水よりもずっと高いのと同じだ。

 だとすれば、凪の海は普通の生物が住める環境ではないはずである。先ほどの魚や、その魚めがけて狩りをした海鳥、さらにその海鳥を狩った魔獣のような生物。彼らが普通に生きているのは、不自然だ。

 舟縁を掴んでさらに体を前のめりにする。いくら目を凝らしても海底は見えない。まだそこまで沖には出ていないので、急深の海なのだろう。凪いだ海は錨がなくともその場に留まってじっくりと海中を観察できる。その点は楽だった。

 一度、海の中に入って確かめてみようかと考えた矢先、タジは何者かによって後ろにグイと引っ張られた。

 いや、引っ張られたのはタジ自身ではなかった。天地がひっくり返るように、舟が勢い転覆したのだ。後頭部からしたたか水面に打ちつけられた目の端が捉えたのは、先ほど海鳥を捕まえた魔獣の腕であった。

 タジが身を乗り出していた舷とは逆側からゆっくりと近づいた魔獣たちが、タジの不意を突いて舟をひっくり返したのだった。

 魔獣は一匹ではなく、複数存在していた。

 ザブンと海に放り投げられたタジは、塩分濃度の濃い海と、衣服が抱えた空気の影響でたちまち水面に浮かび上がる。ずぶ濡れになった体は、海水の心地よい冷たさと、毛穴に染み入る塩分の不快感に板挟みにされている。

 立ち泳ぎをするまでもなく、タジの身体は水面に浮く。

「おおお」

 塩分濃度の濃い海水の浮力に新鮮な驚きを覚えていたタジが、逆さになった舟を直そうとその手を伸ばした瞬間、両の足首を何者かにムンズと掴まれた。

 冷静になったタジには、それが何者かすぐに理解できた。抵抗しようと思えばいくらでも出来たが、今は海中がどうなっているかの方がずっと興味があった。

 だから、魔獣のような生物たちに足首を掴まれて、ズブズブと海中へとひきずり込まれていくのを、タジは黙ってされるがままにしていた。

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