凪いだ海、忘却の港町 47

 踏みしめる地面は、いつの間にか土から砂へと変わっていた。

 革で作られた靴は底に板と織った葦を張り付けた簡素なものだったが、足裏から伝わる土の感触と砂の感触は全く違うものだった。

 水平線の向こうに見える朝日は、一本の光の線を海の上に描いている。その光線は全くの直線であり、また微動だにしないのを見てとると、なるほどこれが凪いだ海という訳か、とタジは納得するのだった。

 わずかに撫でるそよ風が水面を揺らめかすことはあっても、小波一つ起こらない海は、どこかよそよそしさを感じる。

 生命の源、という感じに乏しい。

 それもあってか、タジは目の前に広がる数十軒の木造家屋からなる村についても、同様によそよそしさを感じるのだった。

 鐘の音も、人の気配も、ない。

 朝日が昇っても人の働く気配がないのは、タジにとって不思議な感覚だった。この世界にやってきてからというもの、朝は日の出と同時に働き始めるのが常識であったし、ましてやシシーラの村は漁村である。何なら日の出前から漁船に乗って漁に行かなければ魚など獲れはしない。

 そこまで考えて、タジははたと気づいた。

「夜明け前から漁ができない……?」

 太陽を信仰し、夜間の労働を一部の例外を除いて禁止する眠りの国の宗教。果たして、漁は一部の例外となっているのだろうか。

 漁に限らず、大抵の一次産業に関しては、夜間にも働かなければならない時期というものがある。そういったものの全てを例外として認めていれば、信仰の箍は外れないだろうか。

 人気のないシシーラの村へと、タジは足を踏み入れる。

 軒にかけられた網、漁具、あるいは小舟。そう言ったものを逐一確認してみるが、そのどれに触れても新鮮な潮の香りはせず、乾いていた。

 まるで、潮が引いた海のように村は静かだった。

「イロンディは、ここに人がいたと報告していたはずだ……」

 太陽が水平線から離れて、その姿を露わにするころ、タジは思い切って村の家々の戸を叩いてみた。

「誰かいませんか?」

 誰何をしても、反応はない。

 眠っているのだろうか?

 思い切って、戸を開けてみる。

 引き戸には鍵もかかっておらず、するすると何の抵抗もない。海に面した戸は、陽光を引き入れる。

 日の光は、条線となって戸の中、埃立つその内部を照らした。

 多足の虫がカサカサと日光を避けるように逃げていく。中央に掘られた囲炉裏にはいつのものかも分からないような灰が、こびりつくように固まっている。

 奥の棚には、わずかな生活の残滓が残っていた。

 茶碗が数個と朽ちかけた布、衣服、笠、蓑、銛。

 他の家も似たり寄ったりといった様子だ。一軒だけ特に大きな屋敷があり、そこは木造ではなく石造りの建物で、教会のような尖塔が備わっていたが、内部はひんやりとした洞窟を思わせた。また、尖塔には鐘を掛けるはずの鉤がついていたが、タジが触れるとたちまちポロポロと崩れてしまう。

「何だ、ここは……。イロンディの報告と全然違うじゃあないか」

 無人の漁村。

 シシーラの村は、廃村だった。

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