凪いだ海、忘却の港町 34
二人が飲み物を片手に実験を観察するのを見て、タジは自分が見世物になったような気分を覚えた。
とはいえ、自分のやっていることが見世物に類する行動だということは否定しがたいので、特に咎めもしなかった。
「近くで持っていると温くなるぞ」
それだけ言うと、タジはイロンディから手渡された銀貨を持って紅き竜の前にそれをかざした。
紅き竜は何か思うところがあったのか、それに炎を吐くのをわずかにためらった。
「……なかなか炎を吐かないな」
「タジ様、もしかしたら紅き竜はその銀貨を鋳つぶせないのではないでしょうか」
「まさかとは思うが……ムヌーグはこの銀貨が魔獣の間で流通している銀貨だと思っているのか?」
紅き竜が銀貨に炎を吐きかけて鋳つぶせない理由。それは、眠りの国の銅貨をその国の人間が鋳つぶしては罰せられるように、魔獣もまた、自国――魔獣に国家という概念があるとして――の通貨を鋳つぶせば信用を蔑ろにしたと罰せられるからではないか。
「そうやって尋ねるということは、タジさんもまた同じようなことを考えていたのではないですか?」
「確かに、イロンディの言う通りではあるが」
「それ以外に理由はないように思われますが。しかしながら、エダードほどの伝説の魔獣をして鋳つぶすことをためらわせるほど信用と権威のある銀貨とは一体……」
「発行元が相当の魔獣なんだろうな」
銀貨を指で弾いて手中に収めるタジを、イロンディがジッと見つめている。
嘘は言っていない。
タジは彼女に視線を向けることなく、もう一度紅き竜に向かって銀貨をかざした。
「それはそれとして、本当に鋳つぶせないものかねえ」
タジの口調は間延びしたままである。しかし今度は紅き竜も観念したのか、タジに向かって口を大きく開けた。
「あれ……先ほどよりも口の開きが」
イロンディの懸念などどこ吹く風、紅き竜はタジの全身に思い切り炎を吐きかけた。
「熱い熱い熱いッ!」
不意を突かれてタジが熱さを訴える。タジを中心に、吐きかけられた炎の塊が辺りに燃え広がる。
「イロンディさん!」
ムヌーグがイロンディを抱えるように持ち上げて、その場を避難した。地面を這うように広がった炎は、穀倉地帯の僻地を焼き払って、雑草という雑草を燃やし尽くしつつ、タジに炎を浴びせ続けた。
近くに置いておいた銅粒とその布袋は燃え尽きている。
炎に包まれながら、タジは手の中に握り込めるようにして、銀貨が気化しない程度に温度を調節した。紅き竜の吐きかける火炎は熱いの一言だったが、タジなら我慢できる。一酸化炭素中毒や酸素不足に気をつけていれば問題はない。
タジに向かって炎を吐いている、という建前ができれば、銀貨を鋳つぶすという目的が曖昧になる。紅き竜としては苦渋の選択だろうが、タジとしては鋳つぶした結果が分かればよく、向こうの事情の中での最大限の譲歩だろうと思えた。
「タジ様!こちらは大丈夫です!」
炎の壁の向こうから、ムヌーグの声が聞こえる。大丈夫と言うからには大丈夫なのだろう。タジは手の中に握りしめた銀貨をみやる。
指と指の隙間から、見たことのある煙が立ち上っていた。
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