凪いだ海、忘却の港町 32
「タジ様は、ニエの村の中央を流れる川を覚えていらっしゃいますか?」
「ああ、覚えているよ。ちょうど暇だったところで出会った子どもたちと一緒に、不慮の事故で壊された梁を作り直して小遣い稼ぎの手伝いをしたっけな」
川魚を獲るために作った梁は、水棲の魔獣によって壊されたのだ。川の中に魔獣が棲みつき、そこで魔獣は他の魔獣を養殖するためのあれこれをしていたのだった。魔獣を退治したタジは、その後子どもたちと共に梁を作り直して、水棲の魔獣はどこかの研究組織に渡ったはずだった。
「その後結局、生き残った別の魔獣が川に棲みついてしまったのですよ」
「そうだったのか」
棲みついた、というよりは川が魔獣にとって生活圏の一部になった、と言った方がよい。水棲の魔獣は時折ニエの村周辺の川で目撃されるものの、長く居つくことはなかった。ニエの村からさらに遡上した山奥、聖なる泉として祠を立てた湖の辺りまで上って生活をしているのか、それともニエの村から下り、人間によって生活が脅かされない辺りに新たな縄張りを作っているのかは、調査してみないと分からないことだった。
いずれにせよ、その川に水棲の魔獣がいることは疑う余地なく、狼の尻尾亭に退治の依頼が定期的に張られるために、傭兵や冒険者の良い稼ぎになっているらしかった。
「その冒険者の中に、この銀貨と同じようなものを持っていた者が一人おりまして」
「つまり、水棲の魔獣が持っていたと?」
魔獣と言っても、その姿形は魚そのものである。凶暴で、人間を積極的に襲い、あるいは多少の知能があるという程度だ。物を加工する手指はないはずだった。
「鋳つぶして粒銀にでもしようかと言っていましたが、その後の話は聞きません。また、他に冒険者や傭兵の間で流通しているという噂も聞きませんでしたから、何か子ども玩具のようなものとばかり思っていましたが」
「鋳つぶして粒銀にできなかったのか?」
「もし鋳つぶせたとしたら、それこそ冒険者たちがこぞって水棲の魔獣を退治する依頼に集まったはずです。しかし、その後その冒険者とは一度も会っておりません。真実を知るためには、この銀貨を実際に鋳つぶしてみるのが一番だと思います」
タジとムヌーグが揃ってイロンディの顔を伺う。
しかし、その銀貨の持ち主である彼女の顔は曇ったままだった。
「ムヌーグ様。あなたの口ぶりを聞くと、どうも鋳つぶすことで何か恐ろしいことが起こったように聞こえるのですが、本当にここで銀貨を鋳つぶしてもよいのですか?」
「今ここででしょうか?それは……止めておいた方が良いでしょうね」
「やはり、そうなのですね」
ムヌーグが銀貨を机上に戻し、再びイロンディがそれを拾い上げる。
「どういうことだ?鋳つぶすと毒でも出るのか?」
炎にかざすことで人体に有害な物質が出てくる。それこそ魔瘴のような、あらゆる生物に悪影響を及ぼす毒が出てくるとなると、確かにこんな目抜き通りの飯店で鋳つぶす実験など出来ようもない。
「それが有害かどうかまでは分かりません。しかし、その銀貨を持っていた冒険者がそれ以降ぱったりと姿を現さなくなったのは事実です」
「あらゆる想定を考慮に入れると、事実を知るには一番だとしても、安易に鋳つぶしてみることは難しいでしょうね」
「なら、紅き竜にやらせてみようか」
二人で銀貨を鋳つぶすことについてあれこれ考えている脇で、タジが気楽につぶやいた。
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