凪いだ海、忘却の港町 31

「お前ッ、ムヌーグは仮にも白鯨の騎士団の第二中隊隊長だろ?そんな身分の高い人間が長期間眠りの国を離れて良いのかよ」

 挨拶を済ませて再び買い物の交渉に戻っていたイロンディの身体がわずかに固まった。ムヌーグの方を向いていたタジは、その様子に気づかず、正面に立っていたムヌーグのみがそのわずかな違和感に気づいていた。

「何をおっしゃっているのですか、タジ様。シシーラの村は眠りの国の一部です。言わばニエの村と同じ最果ての村。であれば、どうしてニエの村で任務を果たすようにシシーラの村に行けないことがありましょうか」

 確かに、任務だと考えればシシーラの村に行くことも可能だろう。ムヌーグは教会の庇護下にある騎士団なので、王による命令がなく、よほどのことがない限り上からの強制力がない。一方で、弱き民を助けることをどの騎士団よりも求められることがあり、弱者救済を達成できない任務に関してはかなり消極的でもある。

「聞けばシシーラの村の状況は抜き差しならぬ状態とのこと」

「本当に耳が早い」

「他の人よりも嗅覚に優れているのですよ。もし、シシーラの村がニエの村のように魔獣によって虐げられているのであれば、事は一刻を争います。私が……」

「魔獣に虐げられている訳じゃねえぞ」

「えっ?」

 買い物を済ませたイロンディが抱えるように荷物を持っているので、タジはそれを代わりに持ってムヌーグと共に飯店へと入ることにした。

 昼休み前の店内は書き入れ時を迎えるための準備で忙しそうにしている。開店にはまだ早い時刻だったが、特別に奥の席に入れてもらって、三人は小さな机に身を寄せるようにして座った。

「魔獣がいることは確かだ」

 海竜ミレアタンの名前を出すと、さすがにムヌーグもその名前には聞き覚えがあるようだった。紅き竜エダードと同等のおとぎ話のような竜ではあるが、以前から存在自体はときおり確認されているらしく、大きな脅威の一つとして眠りの国では捉えられていたらしい。

「ニエの村にいた、何だったか……ガルドのような感じか」

 ガルドは、ニエの村一帯を我が物顔で支配していた竜の眷属である。その力は決して弱くはないものの、伝説と言われる紅き竜や海竜に比べると格は落ちる。

「その力は未知数ですが、数々のおとぎ話が、ミレアタンの脅威を物語っています。実際に、海が凪いでいる原因がミレアタンにあることはタジ様もご存じなのでしょう?」

 タジは曖昧にうなずくだけだ。

「しかし、ムヌーグ殿。シシーラの村の現状は海の凪ぎが原因なのではなく、彼の地の立地にこそ問題があるのです」

「立地」

「眠りの国との交易が難しい場所にあり、ほとんど孤立状態だからこそ、シシーラの村は滅びの一途を辿っています。そこに妙な銀貨を発見したのが今回の騒動のきっかけなのです」

 イロンディはそう言って、竜の意匠が描かれた銀貨を取り出して机の上に置く。

「……私は、これをどこかで見たことがありますよ」

「本当か?」

 誰も知らないと思われていた銀貨を見たことがあるとムヌーグは言う。もしそれが本当であれば、大きな手掛かりになるだろう。

「しかし……」

 ムヌーグが手に取って矯めつ眇めつ眺めるのを、二人は息を飲んで見守った。

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