【番外編】温泉好きの竜 34

 エリスが三度、指を鳴らすと、タジに絡みついていた鎖は跡形もなく消えた。現出したとタジが思っていたものは、幻想だったようだ。肌をつねる鎖の質感も、巻き上げる金属の冷たさも、全てはタジの主感覚をエリスが操作したに過ぎない。

「楽しくない遊びはしなければいい。アンタはこの世界に無理やり放り込まれたかもしれないけれど、せっかくそうあるように生まれてきたのだから、もっと自由に、この世界の理をぶっ壊していいのよ」

 片方の手のひらに炎を生じ、もう片方の手のひらに氷を生じ、二つを重ね合わせて小さな雲を作る。小さな雲は雨を作って、エリスの目の前に小さな虹が作られた。

 小さな虹から、発光する羽を生やした小人が一匹二匹と現れて、ぼんやりと眺めるタジの周囲を楽しそうに飛び回る。

 その妖精のような小人をタジが掴もうとすると、小人は霧のように消えてしまった。

 そう言えば、エリスには漆黒の正四面体を渡してあったことを思い出す。

「あの黒い正四面体はどうした?」

「ああ、トライアングル。あれなら今は私の中でいわゆる魔法の源になっているわ」

 彼女がこうしてタジに幻想を見せているのも、ある種の魔法なのだと言う。炎も氷も、エリスは現出させることができない。しかし、相手にそれが存在していると思わせることはできる。

「大丈夫、悪いようにはしないから」

 エリスの手のひらから無尽蔵に出てくる光の妖精が、優しく羽ばたきながら小屋の石化した部分にぶつかっては消えていく。妖精のぶつかった部分は、たちまち石化が解かれ、元の木材や木綿のそれに戻っていった。

「本当はこんな姿にしなくても良いのだけれど、ちょっとした演出ね」

 色とりどりの光の妖精が飛び回っては消えていく様子は、花火のような儚さがあった。魔力の形を変えただけ、と言うが、ずいぶんと大盤振る舞いな演出のようにタジには思われた。

「トライアングル、とかいうのが魔力を供給しているのか?」

「まあ、アタシの場合はそういうこと。どう、ステキでしょう?」

 小屋はあっという間に石化が解かれた。元々、建材の半分は石材が使われていたこともあって、そこに触れた妖精が働いていたのかはタジには定かではないが、エリスが言うには、魔力によって石が石化する場合も当然あるらしく、解いておかなければ再び周囲に侵食する可能性があるそうだ。

「ねえ、タジはその荷物の中の食事で満足するつもり?それとも、世間を賑わせてでも、アタシのために豪華な食事を持ってきてくれるつもり?」

 石化の解かれた椅子に座り、足と組み腕を組んで挑発するようにタジに問いかける。

 その言葉の真意は、世界の理を無視して自ずからこの世界を楽しもうとする事ができるか?ということだ。長居をしない世界に、何を遠慮する必要がある。タジができることなのであれば、それはして良いことだ。

「蟻を踏むことに躊躇して、その場に貼りつけられる必要はないのよ」

「その通りだな。だけど、郷に入れば郷に従えって言葉もあってな」

 タジはゆっくり立ち上がると、背負い持ってきた荷物の中に入っている保存食たちを次々とテーブルの上に並べていった。

「これはこれで、楽しい。理を壊すのは、本当にそれが必要になったときだけで良い」

 タジは、テーブルの上で干し肉を器用に小刀で薄切りにし、口の中に放り込んだ。

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