【番外編】温泉好きの竜 21
「それで、エリスはぐっすり眠っていたようだが、石化対策とやらはしたのか?」
膝を抱える格好で、足にできたミミズ腫れをおっかなびっくり観察するエリスに向かって肝心のところをタジが問うた。
眠っていたことは百歩譲って許したとしても、役割分担の本丸であった石化対策がなされていなければ、タジはこのひ弱なお姫様を抱え上げてそのまま下山する心積もりだった。
「アンタの目は本当に節穴ね。少し観察すれば気づくはずよ」
露骨に溜め息をついて訝し気な視線を向ける。謎かけではなくさっさと答えてくれた方がありがたいのだが、エリスにその気はない。
観察もなにもぐっすり眠っていただけじゃないか。そのようにタジが非難しようとして、ハッと気づく。
「木綿の寝床」
「正解。秒で気づきなさいよ」
小屋はどこもかしこも石化していた。それは室内も例外ではなく、中にあった少ない調度品の数々も、建物と同様に石化していたのだ。当然、木綿の寝床も部屋の隅でたたまれた状態で石化していた。今も、エリスが寝ていた寝床以外は石化している状態である。
「なるほど、石化を解除するくらいの魔法は使えるわけだ」
「あら、バカにしている?買ってあげましょうか?」
「与えられた役割は一応果たせそうだと安心しているだけだ。後ろから刺される心配さえ除けば、石化を操る魔獣が出てきても安心して戦えそうだ」
「本当に後ろから刺してあげても良くってよ」
軽口を言い合いながら、二人で温泉の様子を見に行く。湯の花は取り払われ、下段の湯に関しても初めに見た時よりは沈殿物、浮遊物ともに無く、浴場は作られたばかりのような清潔感を取り戻していた。
「やるじゃない」
「お眼鏡にかなったようで何よりです」
わざとらしい口調で伝えるタジに対して、エリスはただただご満悦という表情だ。皮肉と言う言葉を知らないかのような振る舞いに、肩透かしを食らったような気分になる。
「それで、今すぐお入りになられますかお嬢様」
「もちろんよ。タジ、アンタは周囲に魔獣の気配がないかどうか見張っていなさい」
皮肉などなんぼのもの、ということらしい。エリスは人差し指を下に向けて時計回りに空気をかき混ぜるような仕草をした。回れ右の合図だ。温泉に入るために衣服を脱ぐので、そっぽを向きなさい、と目が言っている。
「お嬢様を視界に留めておかなければ御身をお守りすることもできませんがー?」
「気配で察せるんだから見ている必要はないでしょう?」
「ああそうですか」
タジは回れ右をして、露天風呂の周囲を観察しはじめた。
浴場と外とは継ぎ目となるような塀がない。それもそのはずで、塀は外界と内界を隔てるためにあり、その目的は個人空間の確保である。この場所は他者の踏み入ることのない禁足地なのだから、野生動物くらいしか訪れるものはいない。そしてその野生動物も、その場所が場合によっては危険な場所であることを本能で察している。
塀などなくとも人も動物も訪れず、換気は完璧、そしてその眺望は開けていた。
湯煙に隠れる遠くの森、その奥の方には大地のそこここに虹がかかっている。チスイの荒野もとい虹の平原だ。さらにその奥の方、ジッと目を凝らせば眠りの国が見えるかと思ったが、さすがにそこまでは眺められないようだった。
権力者の欲望としては、きっと眼下に国を収めたかっただろう。
タジが腕を組んで遠くの眺望に思いを馳せていると、後ろの方からしゅるしゅると衣擦れの音が聞こえてきた。
「衣服ごと容姿を変化させられるんだから、今回もそうすりゃいいじゃないか」
「アンタ、風情ってもんがなさすぎるわね」
わざと後ろを振り向かせて、音だけを聞かせたいらしい。エリスの謎のこだわりはタジには理解しがたいものだった。
「温泉に大切なのは雰囲気よ」
まさか竜に温泉の哲学を聞かされるとは、さすがのタジも思いもしなかった。
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