【番外編】温泉好きの竜 14

 ギチギチに締めつける靴紐も革製なので、水分を含むとたちまち縮む。それが余計にエリスを苦しめた。

「だいたい、アンタは何で裸足なのよ」

「地面の状態を確かめてるんだよ」

 タジは禁足地に入って早々に革靴を脱ぎ捨てていた。斜面を這う蛇のような小径を見つけ、崩落の危険がないことを確かめながらエリスの露払いをするためには、革靴がかえって邪魔だったのだ。

 翻ってエリスはか弱い女性の姿をしている。

 もともとが紅き竜であるからと言って、人間の形になれば形の有する体力に従わざるを得ない。

「か弱い女性の姿じゃあなくって、もっと骨太な女に化けるべきだったな」

「そんなの嫌よ。女性は常に美しくあるべきだというのがアタシの哲学なの」

 タジは先導しては何度も振り返り、おっかなびっくりに歩を進めるエリスの様子を確認した。

 そろりと足を一歩ずつ踏み出すのは、決して崩落が怖いという理由ばかりではない。足を着地させるたびに、エリスの顔がわずかに苦痛を感じているのが分かる。か弱い少女の姿は、タジに同情の気を起こさせる。

 エリスは大きく息を吐きだした。自然と丸まっていた背筋を伸ばして一瞬目をつぶると、タジに微笑み見つめ、両手を伸ばした。

「何だ」

 タジは再び背の荷物を腰からはね上げる。

「おんぶ」

「ハァ?」

「おんぶしなさい。この際、不格好なのは諦めるわ。足が限界、もうたくさん。アルマの顔を立てたいのなら、アンタが立てればいいのよ」

「おんぶって、この荷物はどうする?」

「前で抱えなさいよ」

「足元が見えないだろ。だいたい、魔法が使えるんだったら自分に回復やら強化やらかけたらどうなんだ。仮にも荒野の歌姫として遊んでいたんだろう?」

「嫌よ。こんなチンケなことで魔力を使うなんて」

「お前が温泉に入りたいって言ったんだろ」

「もう、いいじゃないの!アタシは限界なの!いいからおんぶしてちょうだい!」

 エリスの声が山間に響く。

 その時。

 何かがズレるような音が、二人のいる斜面の上方から聞こえてきた。

 タジが音の方を見ると、どうやら悪魔の息吹でもない。瞬間的な力とは別種の、緩やかで断続的に動く音が、ズズズ、と続いている。

 距離感が乱れた。

 砂浜を浚う小波のように、静かに、しかし確実に、位置の暴力がこちらへとせまってくるのが二人には分かった。

「おんぶしなさい」

「この状態でよく言えるなお前!」

 タジは急いで荷物を腹に抱えるように肩紐をかけ直すと、エリスに近づいて背を向け座った。

「ちょっと汗ばんでる」

「放り投げるぞ」

「竜を呼ぶわよ」

 文句を言いながらも、エリスはしっかりとタジの首に手を回した。

 立ち上がって山頂を見る。灰色の小石がざらざらと流れてくる様子は、さながら雪崩である。大自然を前に、斜面を這う蛇のような小径など、一瞬で飲み込まれてしまうだろう。

「しっかりつかまっていろよ」

「胸の感触はどう?」

 右耳にいたずらっぽくささやくエリスを無視して、タジは跳んだ。

 眼下の斜面にわずかに見える小径を確認し、それから比較的大きな岩石の存在をいくつか見つける。

 戸板の上を流れる水のような小石の雪崩が迫る。タジは確認できた手近な岩石に向かって空を歩くように足を動かして飛び乗り、それからまた跳躍した。

「アンタ、道は確認したの?」

 雪崩によって、小径は消えてしまった。せっかくわずかに踏み固められた道も、その上から新たに小石が積もれば。正体を隠してしまう。

「確認済みだ。とにかく跳んで移動する。舌を噛むなよ」

「優しく着地しなさいよ」

 どこまでも減らず口なエリスだった。

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