荒野に虹を 62

 タジはしばらくの間、地面に広がる魔獣の残骸が黒煙を上げて消えていくのを、小高い丘の上でジッと眺めていた。

 膝を抱えて地面に座る。

 霞がかった月が、ぼんやりと荒野を照らしている。

 黒煙は強風にたなびいてどこかへ飛んでいくものもあれば、そのまま地面に染み込むようにして消えていくものもあった。

 正四面体の物質は、昆虫型の魔獣からは出てこなかった。

 オルーロフの死体は残った。顔の近くに小さな漆黒の正四面体が落ちていた。

 半刻もすると、戦場にあった魔獣の死骸は全て消えてしまった。ひんやりとした重たい何かが、タジの腹の方に溜まっている。

 争いとはそういうものだ。

 単純に、相手が気に食わないから叩き潰すということではない。様々な思惑と事象、権力と偶然とが折り重なって作られた物事の流れのなかに、争いは生まれる。

 幼なじみがとある事件をきっかけに正義をふりかざす悪党になることもあろう、好き合った者同士が互いに相いれない陣営の主導者となることもあろう。世の中にはそういう物語が溢れている。

 しかし、実際に自分が知り合いを無知のままに殺してしまうことの、あまりに愚かな行為に、タジはみぞおちの辺りが縮むような痛みを感じた。

 訓練をした人間であれば、精神の割り切り方も分かっているのだろう。例え昨日は味方だろうと、今日の敵であれば受け入れるしかない。相手を殺すことになってでも、貫く信念に身を委ねる。

「信念、か……」

 指先で正四面体を弄びながら、タジはつぶやいた。

 今、自分は何と戦っているのだろうか。荒野の魔獣と戦い、永遠に続く戦争と戦い、権力と欲望の混戦のなかで今はもがいている。

 この手で掴めるもの、守れるものがあるから守る。

 それだけだ。

 犠牲を無駄にしないと言った自身の言葉さえ、魔獣になった人間を知っていただけで揺らいでしまうのだ。

 そんな薄っぺらい信念で、この先の生臭い権力争いの渦中を泳ぎきれるだろうか。もしゴードに何事かあって捕虜となり、イヨトンが敵に回ったとして、タジはイヨトンを殺すことができるだろうか。

 心寒い想像に、タジは背筋を反って震えた。可能性は、ある。それも、最悪とまでは行かない段階の可能性として。

 オルーロフと魔獣の軍勢が、タジを引き止める策だったとしたら、既にゴードが敵の手の内に渡っている可能性は十分にあり得た。前回タジが謀殺を阻止したように、今またゴードの様子をうかがいに戻ると想定しての魔獣軍の備えだとしたら、その奥で何かしらの手を打つのは想像に難くない。

 イヨトンが上手く逃がしてくれていればいいが、イヨトン自身は気配を完全に断つことはできても、それと同じことをゴードは出来ない。

 タジは立ちあがった。

 オルーロフの犠牲を無駄にしないと言うのなら、一刻も早く荒野の本陣に向かって、ゴードの安否を確認しなければならない。ここで腐っていても、どうしようもないのだ。

 動くしかない。

 進むしかない。

 頭に浮かぶ様々な悪い想像を振り切るようにして、タジは空を駆けた。

 今はもう、考える時ではなかった。

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