荒野に虹を 37

 十日が過ぎた。

 チスイの荒野と眠りの国の往復はタジを疲弊させはしたが、初日以降はゴードへの襲撃も起こらなかった。別の手を考えているのか、証拠隠滅に手間取っているのか、いずれにしても夜襲が失敗した以上、同じ轍は踏まないことに徹するのは正しい。奇襲は一度しか成功しないからこそ奇襲であり、繰り返して同じ策を採ればそれだけボロが出る。

 タジは顔を隠して眠りの国を歩き回った。

 早朝の市場で適当に食事をし、往来を行く人々の顔をしげしげと眺める。前世の恋人がいるかどうか。それは広大な砂漠に一粒の米を見つけるような絶望的な作業だったが、もとよりそんな出会い方をするとも思えない。

 再会はもっと劇的なはずだ。

 飯店の店員から薬水と呼ばれる、数種の生薬を煮出した飲み物が渡される。食事後に飲むと口の中がさっぱりする上に、胃腸の調子を整えるので、どの飯店でも必ず置いてあるものだった。飯店の良し悪しは薬水で決まる、という話を聞いたとき、なぜゴードはそれを教えてくれなかったのかとタジは多少不満を覚えないでもなかったが、きっとあまりに常識的なことだったために、教えるまでもないと思われていたのだろう。

「ありがとう」

 タジが礼を述べた店員は、眠りの国ではあまり見かけない、深い赤色の髪の毛をした女性だった。エプロン姿の女性は音もたてずにスルリと振り返り、厨房の方へと戻っていく。忙しい時間帯が過ぎたので、朝食にするのだろう。

 イヨトンはムヌーグに事情を話し、もうしばらくタジのお守りをすることになった。事情と言っても大したことはない。単純にタジの世俗に疎いことを危ぶんで、自らその白杖になろうということらしい。

「イヨトンは俺に惚れているからな」

 そんな軽口を言ったら、イヨトンから斬りかかられ、ムヌーグから斬りかかられ、剣撃の十字砲火を浴びた。彼女らの全力はさすがのタジでも避けるのに多少骨が折れる。無表情に近い微笑みの奥に、悪鬼羅刹もかくやという表情が見え隠れしているのをタジは見逃さなかった。

「そんなに怒らなくてもいいだろう」

「うるさい!」

 二人してにべもない。結局その時は、二人が飽きるまで攻撃されるがままだった。

 その後すぐに、ムヌーグはニエの村へと戻っていった。まだニエの村にいくつかの仕事を残していると言うが、別件でレダ王からも仕事を与えられたのだという。それはムヌーグ自身の口からでなく、アルアンドラから聞いたことだった。

「どうもこれから先、またしばらくは忙しくなるようだ」

 感情をあまり顔に出さない四角四面の男だと思っていたが、その時はわずかに眉間に皺をよせていた。アルアンドラを通さず、赤獅子の騎士団の主であるレダ王がムヌーグに直接任務を命じることに、妙な胸騒ぎを覚えたのだろう。

 眠りの国で、事態は動き始めている。

 事態が動き始めていることをチスイの荒野にいるモルゲッコー達が察したときに、どのような行動に移るか、あるいは貴族たちがどのように動くか。

「全てに目を向けるのは、無理だなァ……」

 薬水を啜るタジの下に、赤獅子の騎士が現れる。

「レダ王がお呼びです。至急、謁見の間に来るようにとのこと」

「はいよ」

 わずかの間の物見遊山もこれまでか。

 タジは重たい腰をゆっくりと上げて、軽鎧姿の騎士の背中についていった。

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