荒野に虹を 21

 神の祝福。

 それはかつてニエの村で領主をしていたガルドという魔獣がタジに使ってきた物質だ。

 暗闇よりもなお黒く、体に貼りつけばたちまちその人間の身動きを拘束し、力を奪う。タジでさえ神の祝福の前には膝を折り、窮地に立たされた。単純な拘束力の強さゆえに微動だに出来ないという話ではない。祝福は貼りついた箇所の感覚を無くすのだ。少なくともタジにはそう感じられた。

 そして神の祝福というのは眠りの国の奉じる太陽の神とは別の存在によって与えられたものだろう。エダードがその正体について語っている。

 魔神ディダバオーハ。

 魔獣の奉じる神。正確に言えば、魔獣が知性をもっている場合に限り、その存在を知ることのできる神。ディダバオーハによる祝福が、この漆黒の液体の正体だ。

「そんなものがこの世にあっただなんて……」

 タジが説明したのは、ガルドと戦闘をしたときに今の液体と全く同じものを使われた、と言うことだけだった。魔神に関する情報をわざわざここで開示する必要はない。

 ゴードはしきりに地面とタジの顔とを見比べている。タジは暗黒水の滴った地面に足をつけてみた。地面に染み込んだ漆黒の雫はチスイの荒野に完全に染み込んでしまったらしく、噴き出して人間の足に絡みつく様子もない。

「肌に直接触れさせる必要があるのか……?何にせよ、地面に吸収されるのであればありがたいことだ」

「あああありがたくなんかありませんよ!どうするんですか、私が寝ている途中でいきなり魔瘴がそこから噴き出したりしてきたら!」

 さすがに神の祝福が魔獣側の薬物だということには恐怖を覚えたらしい。慇懃な態度を貫き通していたゴードが動揺しているのをタジは初めて見た。

「天幕を変えればいいだろ。不安ならわざわざこの天幕を使う必要はない。倉庫にでもしてしまえ」

「魔瘴が噴出すること自体は解決しないではありませんか」

「魔瘴が完全に消えるわけではないが、さっきみたいに水を使えば落ちる」

 月光が天幕に強く差し込んだ。

 神の祝福に侵されたタジの手は、手首から先がアザのようにドス黒く色づいていた。二人は目を瞠って、しばらくその手を眺める。

「……水じゃあこれが限界なのか?」

「いやいやいやいや、タジ殿、大丈夫なのですか?」

「手先に感覚はあるから問題はない。多少、力は落ちているかもしれない。ただ、それもニエの村まで戻れば対策はある」

 禊の泉。そこの水に浸かったときは、アザにもならずに完治した。やはり普通の水とは何か違うらしい。

「しかし、水だけでも完全とは言わずともここまで落ちる。対処法を知っている毒は、注意さえすればいいし、こちらが何らかの対処をしたことが分かれば、相手も再度使用するなんて愚はしまい」

「……水が魔瘴を遠ざけるのですか?」

「神の祝福が魔瘴かどうかは分からないが、水が魔獣にとって生きづらいというのはあるようだぞ。水棲の魔獣に関する話をニエの村で聞いたときにそんなことを言っていた」

「なるほど……だからチスイの荒野に水がないんだ……!」

 ゴードは突然立ち上がり、寝具を押しのけて机を天幕の中央に持ってきた。その上に一枚の地図を広げて、作図をしていく。

 地図には眠りの国と石切場のある鉱山街、それをつなぐ街道と街道に沿って存在するチスイの荒野が描かれていた。

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