祈りの歌姫と紅き竜 49

 紅き竜はいつの間にか周囲に人だかりを作っていた。

 周りとは言っても顔の真正面に立つ者はいない。正面に立って何らかの逆鱗に触れた時に待っているのは絶対的な死だ。武器を構えて立っていたとて、まともに戦えるわけがない。しかし、武器を構えておかなければその場に立つこともできない。

「どいてくれるかい?」

 タジの言葉にその場の全員が振り向く。同時に紅き竜もタジの言葉を受けて丸めていた首をもたげる。ギシ、と鱗の軋む音が聞こえて、タジに向けられた視線が再び一斉に紅き竜の方に向く。

 その様子に思わずタジは笑ってしまう。

 コバンザメのような彼らの振る舞いは弱者のそれとして理に適っている。強大な個体に対して群れとして生き残るためには、常に個体を観察しつつその個体が害を加えるような振る舞いをしたときに、動きの遅い者を生贄にできる。

「堂々としてるもんだ」

 全く彫像のような美しさだ、とタジは思う。これだけの人間の圧力を前に全く気にしない。有象無象など眼中にない、と言った様子でタジだけを見ている。

「ガアアァァ!」

 空に向かって紅き竜が吼えた。咆哮と同時に炎が空を焦がし、その場の人間たちを後ずらせる。タジはゆっくりと紅き竜に近づいてその首の辺りを撫でる。

「タジ殿……」

 ケムクだった。

 どうやらケムクは負傷者治療の手伝いをすることにしたらしい。手元に治療用の薬が入った籠をもっている。籠の中に入った薬瓶がカタカタと鳴っていた。

「どうした、ケムク」

「その、紅き竜は……」

 後から指揮官に聞けば分かることだろうが、今すぐにでも知っておきたいのだろう。タジに対して接点があり、質問ができるのは、外にいる兵士たちの中では唯一ケムクのみである。

「安心しろ、ただの乗り物だよ」

 タジはふわりと地面を蹴ると、そのままくるりと空中で一回転し紅き竜の背中に着地した。ゆっくりと立ち上がり、伸びをするように体を伸ばす。それからたたんでいた翼を大きく広げ、その場でバサリと地面をうつ。

 土煙と突風が紅き竜の周りにいた人間を吹き飛ばす。腰から落ちる者、背を向けたために前のめりに倒れる者。

 その場は混乱に陥った。

 紅き竜はどこ吹く風、と言った様子ですでに上空に佇んでいる。

「ケムク!」

 タジが叫んだ。

「俺はイヨトンの所に行きたいんだが、新しい陣営はどっちの方角にある?」

「向こうの方です!」

 土煙から顔を守るように片腕をあてがいつつ、もう片方の腕で、向かう方を指し示す。

「分かった、ありがとう!」

 手綱を握ると、タジは竜の首を巡らせて、ケムクの指し示した方向へと飛び去って行った。

 嵐のような一時が去り、その場の全員がほっと胸をなでおろす。

「……タジ殿は、本当に太陽の御使いになられたのだろうか……」

 紅き竜は既に遠く、ケムクはその後ろ姿に新たな伝説の誕生を思うのだった。

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