祈りの歌姫と紅き竜 50

 紅き竜を従えたタジがイヨトンの指揮する新しい本拠地へと飛んでいき、そこでも同じように紅き竜は畏怖と恐慌とを引き起こした。その上にタジが乗っていることを知り、タジが紅き竜を従えたことを知ると、いくらかの葛藤と共に安堵をするのも同じだった。

「タジ様」

 イヨトンに事情を説明し、紅き竜エダードと歌姫との顛末を伝える。驚いてはいたが、納得しているようでもあった。

「祈りの歌姫は、いなかったんですね」

「チスイの荒野を救うような祈りの歌姫なんて、もともと存在してなかった、ってことさ」

 天幕を貼り終えて、肌寒い夜を迎える。篝火の光が天幕を透過して中を照らしているものの、蝋燭の灯りが無いとさすがに薄暗い。

「チスイの荒野は、これからどうなるとイヨトンは思う?」

「どう、とは?」

 魔瘴の出現が不規則である以上、魔獣が生まれるのもまた不規則になる。チスイの荒野が魔獣に脅かされないようにするには、常に戦線を維持し続けなければならず、そのためにかかる費用は莫大だ。

「このまま、平和な戦争状態が続くのか否か、ってことだよ。」

「戦争状態は平和ではありませんよ」

「確かに、伝わりづらい表現ではあるんだが……」

 エダードに会いに行くときに考えたことだ。この荒野は常に戦争状態にあって、それで均衡が保たれていた。だとしたら、その状態こそがこの場所の平和なのではないか。保たれた均衡状態こそ、凪なのではないか。

「凪、ですか」

 イヨトンは唇に拳をつけて思案顔である。

「でしたら、何か方策を考えるべきだと思います」

「方策?」

 伸びきった戦線と、荒野に溢れる魔獣との戦い。常なる戦争状態を回避すべく、何か善い一手を探さなければならない。

「私は、戦争などない方が良いと思っています」

「それは誰だってそう思うだろう?」

「いいえ、世の中にはそう思っていない人たちもいるのです」

「……傭兵、あるいは兵士」

「その通りです」

 チスイの荒野には、その身を戦場で散らせることを好むような血の気の多い輩が集まっている。それはこの場所が常に戦争状態にあるからで、時と共に適材適所の流れが出来ていることを意味する。

「それと同時に、赤獅子の騎士団にとってもここは重要な場所なのです」

 赤獅子の騎士団にとっては、この場所は戦功を上げて出世をするための、言わば点数稼ぎの地である。他の騎士団に関しても言えることではあるが、総指揮官が赤獅子の騎士団から選出される以上、戦功は優先的に同騎士団内で消化したいと思うのは、権力の集中を考えるにあたって当然の振る舞いであった。

「この流れが、タジ様が『凪』と表現した平和的な戦争状態の正体です」

「なるほど」

 そして、その流れを断ち切って、チスイの荒野に新たな「産業」を立ち上げるには、既存の流れは非常に邪魔になる。イヨトンの説明にタジは大きく頷いた。

「血の犠牲、って奴だ」

「どういうことですか?」

 ある一定の流れを変化させるためには、それに見合う犠牲が必要である。変化させる力が大きければ大きいほど、流れる血の量も多くなる。

「でしたら、その血の量が将来的に見て少なくなる道を選ぶべきです」

「凪いだ戦争状態に比べて平和で、流れる血の量を出来るだけ少なくさせる道、か」

 チスイの荒野に染み入る血が、天幕の外で一陣の風となって吹きすさぶ。

 篝火の炎が揺れて、薪の燃えるジリジリという音が聞こえた。

「切った張ったは得意なんだけどな。そういう組織や集団の調整みたいな話は、苦手だ」

 権力、話術、利害、謀略。

「得意な人に任せるのが一番なのではないでしょうか」

「イヨトンがそれをできると?」

「まさか、私にもそういう関係の調整はできません。ですが、いるではありませんか。そういうことが得意な人が、私たちの知り合いに」

 流れを作る者、流れの中で生きる者。

「私たちは、そういう人のことを『商人』と呼んでいます」

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