祈りの歌姫と紅き竜 34
「今から行くおつもりですかい?」
「そのつもりだが?」
エダードは特に日限を定めなかった。それはタジの行動力を信用しているからともとれる。あるいはもっと友好的な、遊びの連絡を当日に入れるような感覚なのかも知れない。
「それは、いくら何でも早すぎますよ。もっと準備をしっかりして行くべきです」
「紅き竜のもとへ行って人一人を連れ帰ってくるだけだ。何の準備も必要ないだろう」
友人宅に遊びに行き日暮れまでには帰る、くらいの気安さである。実際にタジはそれを行えるだけの力があることを三人が忘れているわけがない。
「しかし……」
なおも食らいつく様子のビジテに、何か思惑を感じたタジが問う。
「これ以上この作戦に思惑を絡めて欲しくはないんだが、ビジテは何を気に病んでいるんだ?」
「いえ、あの……」
口ごもるビジテはやがて決心したのか、タジを真っ直ぐ見据えて答えた。
「タジ殿が紅き竜と交渉をしている間に、我々は戦線を押し戻したい。これはこの場にいる三人の総意ではなく、独断なんですがね。戦地に混乱をもたらす魔獣をことごとくやっつけて、紅き竜とタジ殿が個人的に対峙する。これは好機なんです」
「じゃあ好機を生かせよ」
あまりにあっさりした返事に、思わずビジテが聞き返す。
「好機を生かせと言った。俺は別に俺のなすべきことをやる。お前らが決めた勝利条件を達成するためにな。それ以外の雑事をどうして考慮に入れる必要がある?戦線を押し戻したければさっさとやってみせろ。今なら寡兵だろうと十分に可能だろうさ」
タジが討ち取った魔獣は十や二十ではきかなかった。間違いなく、現在における戦場の均衡は人間側に傾いている。
「それをぐだぐだとここで管巻いていてどうする。俺は知らん、勝手にやれ」
タジはそれ以上何も言わず、三人に背を向けて天幕から出て行ってしまった。
残された三人は度重なるタジの不遜な態度に何度目か分からない困惑を示していた。その矛先はやがてイヨトンに向けられるが、矛先はあまりになまくらだった。
「タジ殿は、ずっとあんな調子なのか」
「ニエの村にいたときから、タジ様は自由でしたよ」
タジの流儀がどういうものか、イヨトンはこれまでの短い旅路の中で少しずつ理解していた。
「何かに協力するときのほとんどは、それがタジ様にしかできないことである場合でした」
「確かに、歌姫を紅き竜から救出するのはタジ殿にしか不可能ですね」
「一方で戦線を押し戻すことは、今が好機とはいえタジ殿の行動が必須という訳ではない……。そもそもタジ殿は既に戦線の混乱を終息させている……」
「確かに、タジ様は我々にはない大きな力を持っています。ですが、それを誰かにいいように利用されるのは嫌なのでしょう」
イヨトンの言葉が三人に突き刺さる。
歌姫を利用していたのと同じように、今またタジ殿を利用しようとしていたという事実が、ビジテを苛んだ。自分のものではない強大な力を、自分たちの力であるかのように振る舞うことにすっかり慣れてしまっていることに、嫌悪感すら覚える。
いつからチスイの荒野の戦場は、誰かの力に依存するような性根に侵されてしまったのか……。
「我々が、自身の手で出来ることだけをもう一度考えましょう。それから、即座に実行に移せることは迅速に」
「ああ、そうだな。オルーロフ殿の言うとおりだ」
政治的な思惑をタジに見抜かれて意気消沈していたオルーロフだったが、場をまとめることに関しては流石に副官を務めていただけのことはあった。最善の策がなされなければ次善の策を。策には迅速な対応をこつこつと。
「こういう時は、とにかく動くに限りますね!私はすぐに動ける部隊を編成しに行きます!」
ラウジャが天幕を飛び出した。作戦を考えるには自分は未熟だと考えての行動、その軽さはオルーロフとビジテを適切に補助する。
「イヨトンはどうする、タジ殿の後についていくか?」
オルーロフの言葉に、首を横にふった。
「あちらはタジ様だけに任せましょう。私が必要ならば、天幕から出ていくときに呼んだでしょうし。こちらで出来ることがあれば、お手伝いいたします」
天幕の外からラウジャの張りあげるような声が聞こえた。
「おい、ケムク!お前も一緒に来い!これから戦線を押し上げに行くぞ!!」
天幕内の三人は、互いに顔を見合わせて不器用に微笑むのだった。
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