祈りの歌姫と紅き竜 02

 空荷の馬車を走らせることほど無駄なことは無く、無駄なことを何より嫌うのが商人である。粗末な厩舎に眠る三頭の馬と、その隣にきっちり並べられた三つの荷馬車を見張るのは、ムヌーグの右腕の一人、イヨトンだった。

 厳しい寒さとは言わないまでも、囲炉裏の火があたらない場所でさえわずかに底冷えのするような夜である。雲一つない満天の星空も、冷えた体には何とも言えない寂しさを感じさせた。

「あの調子ならゴードは問題ないだろう、代わろうか?」

 荷車に寄りかかって座り穏やかに星を眺めるイヨトンは、タジの言葉で目線を動かしたものの、またすぐ星空に視線を戻して笑顔になった。

「ご心配なく。どうぞタジ様は小屋の中でお眠りになってください」

 意識は星空の中にあるようだった。つられてタジも星空を見上げると、ほんのわずかな間に幾筋もの流れ星が弧を描く。

「寒いだろ」

「ええ、寒いです」

 小屋の中から、大仰な笑い声が聞こえてくる。それからにわかに小屋の中は陽気になって、歌などが聞こえ始めた。

 タジはイヨトンの隣に寄り添うように腰かける。

「いけません……勘違いをおこしてしまいます」

「勘違い?それはこういうことかな?」

 腕をそっとイヨトンの肩に回して、体を引き寄せる。肩と肩が触れ合い、夜空を向いていたイヨトンの顔がタジの方を向く。吐息のかかるほどまで近づいた顔に驚いて、そっぽを向こうとするところで、タジがイヨトンの顎を指でおさえた。

「そんな……ッ」

「大丈夫さ。馬も寝ている、誰にも見られやしないさ」

 鼻先がわずかに触れようというところまで近づいて、急にイヨトンの顔色が変わる。

「はい、今日はここまで」

「えー、良いところだったのに」

「良いところじゃありません、まったく……。じゃれ合いをなさりたいと言われれば付き合いますけど、それ以上のことはいたしませんからね」

「そうは言っても長旅、二人の距離は徐々に近づいていつの間にか……」

「あ・り・ま・せ・ん」

 タジの鼻をグイとつまんでイヨトンは苦い顔をしてみせる。

「いだだだだ!痛いって!」

「痛くしなければ覚えませんから」

 まるで動物のしつけのような事を言う。

 数日の旅の間に、イヨトンとはだいぶ打ち解けた。もともと距離感はそれほど遠くはなかったこともあり、深追いをしなければ退屈にはならないような関係を保っていられる。

「それにしても、ゴードも飽きないな。あの話ももう何度目か分からない」

「それが商人というものです」

 宿場ごとに、ゴードは宿を同じくする行商人や職人に対して、ニエの村のことを聞かれ、そのたびに同じことを語った。最初こそ質問されて受け答えをして、更に質問されて、と応答があったものの、今はもうそのような応答も織り込み済みで語って聞かせる、一種の歌曲になりつつあった。

「同じ話を何度もしているのは、その話が情報として優れているからでしょう。必要な情報を確実に聞かせるのであれば必然そこにはリズムが生まれます。そのリズムの心地よさというのも行商人の素質の一つとでも言いましょうか。話を洗練させようとしているのであれば、飽きるはずもありません」

「飽きないことが商いの極意ってね」

「そうですね」

「その反応はちょっと寂しいかなー」

「私は商人ではありませんし、ムヌーグ様のように優しく言葉を返すこともできず」

「優しさとは一体……」

「私もそろそろタジ様とのじゃれ合いに飽きても良いのではないかと思っているところだったのですが」

「そこは飽きないで欲しいかな。旅が味気なくなるから」

「それでは、じゃれ合いではない話をしませんか?」

「じゃれ合いじゃない話ねぇ……。そうだ、この国には占星術があるのだろう?だとしたら、この世界にも星座が存在するのか?」

「セイザ?」

「星座って言うのは……」

 隣り合って空を見上げ、二人指先で星空をなぞっていると、いつの間にか夜も更けて、小屋からは寝息が聞こえてくるのであった。

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