【番外編】川のぬしづかみ 19
「養殖だ」
「ヨウショク……?」
聞き慣れない言葉にゲベントニスが首をひねる。この世界には無い、あるいはこの辺りでは浸透していない言葉なのだろう。
農耕、畜産ができるのならば、それに伴って水中の生物を殖やすという発想が生まれてもおかしくはない。しかしそれが何よりも先に魔獣の側から確認できたことに対して、タジは少なからず驚いた。
「森の中から視線は感じるな?」
念のためゲベントニスに問うと、唇を強く結んで頷く。視線の先は森の一点を見つめており、それはタジが視線を感じる先と合致しているので、確かに強い視線を感じているのだろう。
「森に身を潜めるそいつが、川のぬしだ。そいつは何を思ったのか魔瘴によって生まれる魔獣を殖やし始めた。小さな魚にわずかな傷をつけて、そこに自分の魔瘴を注入し育てる。川に溢れたそれらの魔獣を使って何をしたいのかは分からないが、最初に見つけた川のぬしの成長速度を考えると、事態は差し迫っている」
「……確かに。しかし本当になぜそのように魔獣を殖やそうなどと……?」
「魔獣にどんな突然変異が起こったのかは知らんが、集団であることに何かしらの強さを、そして集団の長であることに何かしらの魅力を感じたんだろうよ。詳しいことは直接聞くか、あるいは研究が必要だろう」
川の上流へとつづく森を睨み続ける人間二人にしびれを切らし始めたのか、二人に向かって視線のぬしが正体を現した。
「ほら、お出ましだ」
四足歩行の両生類。それもとびきり巨大な両生類だった。体表を覆うぬるぬるとしたてかり、人の指ほどある前脚の爪、ちろちろと伸びる先端が二股の舌、魚のような大口が開かれると、威嚇を表す擦れた吐息のような鳴き声と唇の内側に見えるギザギザの歯。森の低木をかき分けるように現れると、その爪で引っかかれた樹木は、白い煙をあげて萎れる。
「デカい!あの時のミミズレベルですよ!」
「それならゲベントニスでも楽勝だな」
熊の魔獣を従えていた理由も分かるというものだ。他にも手下がいるかも知れないことを鑑みると、ここで倒すのは得策ではないように思える。
「シイィィィィィ……」
この場はぬしの縄張りなのだろう。おまけに自分が養殖していた魚を次々と取られてしまっている。もし魔獣がネコ科の動物であったなら、間違いなく背中の毛が逆立っていたことだろう。
「逃がしてくれなさそうだぜ?」
「タジ殿、この場にあって大変言いにくいことをムヌーグ様より言付かっているのですが……」
「何だ?」
「キィアアァァァ!!!」
女性の金切り声のような叫びをあげて、ぬしは二人に飛びかかった。
「殺すな、と」
「無理だろ」
振り上げるぬしの腕をタジが蹴り上げると、ぬしから生える手足は三本に減った。飛び散ったぬしの腕は空中で霧散し、ぬしはタジの攻撃に驚いてすかさず後ずさる。
「ですが殺してしまっては研究者による調査が出来ません!」
「んなこと言ったって向こうが襲いかかってくるんだからどうしようもねぇだろ!」
ぬしは一瞬怯んだだけで、再び二人に向かって襲いかかる。今度は標的をタジではなくゲベントニスに変えたらしい。後ろの足と尻尾を使ってうまくバランスを取って襲いかかるも、意外と素早いゲベントニスに腕の根元を掴まれて、そのまま一本背負いのように投げられてしまう。
腹を見せてジタバタするぬしの姿は、残念ながら可愛いとすら形容したくなる。
「おお!無理じゃねぇわ。お前に任せれば弱らせることは出来そうだ」
「今なんと!?」
あまりにも急いでいたからか、あるいは直ちに戦闘にはならないと踏んでいたのか、ゲベントニスは帯剣していなかった。
「この川のぬしに関してはお前に任せる。俺はこいつに与しているだろう近くの魔獣をちょっとポイッとしてくる」
「ポイッとって何ですか!?」
会話を遮るようにぬしは体勢を整え、再びゲベントニスに向かった。タジには敵わないまでも、ゲベントニス相手なら何かしら勝算を得たようである。
「タジ殿!私は今無手で」
「頑張れ」
「タジ殿!?タジ殿ォ!!!」
両生類と騎士団の相撲大会を尻目に、タジは森へと足を踏み入れるのだった。
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