食人竜の村 46

「人間の子ども、何か隠していますね?」

 ズのの顔は狼のそれだというのに、どうしてそこまで表情が豊かなのかと驚くほどに怪訝を表していた。人間と意思疎通の出来ない普通の狼ならば、たちまち唸り声で威嚇をするのではないかと思われるほどに剥き出しになった牙には、問答無用の暴力を連想させる。

 人は何かを隠した時に視線が泳ぐ。度胸のある人間であればブラフをかけることも出来ただろうが、隠す相手が暴力の具現化のような相手であり、また隠す当人が子どもとあっては、それを期待すること自体無理というものだ。

 視線は水中の人間に向けられる。

 同時にズのは理解する。

 そこには、先ほど沈められた人間……タジがいるのではないか、と。

「ガルド様!」

 水面とエッセを睨みつけたまま、吠えるようにズのが叫ぶ。その剣幕に緊急性を感じ取ったガルドが振り向くのと、水面が激しく波うち、エッセの腰に何者かの腕が絡みついて泉を蹴り上げるように脱出するのとがほとんど同時だった。

 距離をとるように、ガルドたちのいる泉の対角線方向にエッセは連れられて、着地と同時に咳き込む人間と対岸の竜とを見比べている。

「貴様ァ……どうやって神の祝福を外したッ!!」

 ガルドが吼える。大気が揺れ、水面は波紋を浮かべ、木々は恐怖に騒めく。

 タジはその場に膝をつき、咳と共に大量の水を吐き出していたが、それもすぐに収まって、うろたえるエッセの肩に手をかけて顔を見た。

「なるほど、偽物にそっくりだ」

 エッセにはその言葉の意味がよく分からなかったが、目の前の男の人が自分に危害を加えるような人ではないことに安堵した。肩に置かれた手は、水の中にあってなお力強く、口の端をわずかに上げてじっとエッセを見つめる目は、その奥に熱が込められているよう。

 エッセは、ふと父親の事を思い出した。

 嵐の訪れる前の夜に、一頭の子羊がいなくなった。父は母の静止も聞かず、既に降り始めた雨の中をかき分けるように進み、川の氾濫の中に取り残されそうになったのを見つけると、危険を顧みずざんぶと川に腰まで浸かり鉄砲水もあわやというところで子羊を救出した。ずぶ濡れになって帰ってきた父を母は号泣して責めたが、その時の父の誇らしげな顔は今もエッセの瞼の裏に焼きついている。

「ひとつ、質問だ」

 対岸で、ガルドがぶるぶると体を震わせている。

「エッセ。お前は父さんと母さんに会いたいか?」

「……うん」

 ガルドの両前脚がわずかに太くなり、先ほどまで密集していた鱗の鎧の隙間から隆々とした筋肉がわずかに見える。

「それでいい。お前を村に帰す」

 タジは立ち上がった。その姿は、エッセの父に比べて驚くほど巨大で、逞しい。

「この死にぞこないがァーッ!!」

 ガルドは迂回などしなかった。泉の水面を猛進し、文字通り一直線にタジに向かって来る。

「俺の後ろに隠れていろ、一瞬でカタをつける」

 激しい摩擦音がエッセの聴覚を奪う。筋肉の盛り上がった背中に隠れて見えなかったが、その背中の向こうには確かに突進してくる神の眷属の姿があったはずだ。

 神に立ち向かう?

 人間が?

 そんなおとぎ話のような戦いが、エッセの眼前で繰り広げられていた。

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