食人竜の村 39
その間も周囲への警戒は怠らなかったが、何かが現れる様子は全くなかった。それどころか、エッセを連れてきたはずのあの狼すらもいない。
水面を睨むようにして歩を進めるエッセに湖畔から問いかける。
「ところで、そのおおかみの姿をした神様はどこへ行った?」
少し楽しくなってきたのだろうか、エッセはこちらも見ずに水面の向こうの自分の体を夢中で動かしながら答えた。
「ようじがあるから、って森のおくに向かっていったよ」
森の奥、ということは領主ガルドに報告に行ったということだろうか。あの狼の速度であれば、領主ガルドがこの森のどこにいようと一瞬とまでは言わないが報告に上がるのに大した時間は要さないだろう。
エッセが泉からあがると、一度大きく身震いをした。衣服を着たまま泉に入っていたので、完全に濡れ鼠である。足のつま先から頭のてっぺんまで伝播するように震えると、寒さが襲ってきたのだろう、急に歯の根が合わないと言った様子で、腕で自分を抱きしめるようにする。
「さむい……」
本心からの言葉だろう。
「そうだな、火でも起こすか」
「僕が火をつける石を見つけてくるから、力持ちのお兄ちゃんは木切れをあつめてきてよ」
「木切れ?……近くにあったかな……?」
「泉の向かいがわ、おくに行く方に折れた木切れがたくさんあるんだ」
「なるほど、分かった」
タジはエッセの言葉に従い、泉の奥に木切れを取りに向かった。エッセが後ろで一つくしゃみをしたのが聞こえる。よほど寒いのだろう。
きっと、長い間、泉の中に潜んでいたのだ。
瞬間。
背後から爪を振り下ろすエッセの形をした獣。手首を掴むようにして動きを止めると、その爪からは怪しく色づく液体が滴っている。
「なぜ受け止めた!?」
完全な不意打ちの形だったと確信したのだろう。偽エッセの言葉と同時に狼が向かったという森の奥から、別の生き物が二体、背を向けるタジに向かって襲いかかってきた。
「殺気で分かるんだよッ!」
背後も見ずに蹴りを二発入れる。一体は仕留めた感触があったが、もう一体は空振りに終わった。相手はトカゲと蛇で、トカゲの方は鼻っ面に蹴りをまともに食らってそのまま倒れた。だが蛇の方は体を捻らせてタジの足に巻きついたのだ。
バキバキ、と骨の折れる音が聞こえた。
「アァーッ痛ぇ!!」
タジの握る偽エッセの手首が中身のない紙袋のように潰される。外出血こそないものの、もはや手に送られる血の一滴すら通らない。怪しげな液体滴る爪を備えた手指は、力なくプラプラと垂れていた。
一方で体全体を使ってタジの足を締め上げる蛇の方は、全く手ごたえがなかった。この体を手に入れてこの方、あらゆる生き物を自らの肉体で締め上げ、絶命せしめ、捕食してきた自負が、あっという間に瓦解していく。
かくなる上は、と蛇が顎をめいっぱいに開きタジの太腿に噛みつこうとしたところで、体が凄まじい遠心力に見舞われた。
タジが足を振り上げたのだ。
顎を開く一瞬の動作の隙に遠心力にふられて、蛇の体は情けなくも宙に舞った。空中で体勢を立て直す一瞬、顎を開いた蛇の口の先にあったのは、タジの拳だった。
蛇の舌先はタジの拳を確かに捉えた。しかし、捉えた瞬間には既に蛇の体は殴られた勢いそのままに、大木に叩きつけられた。
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