食人竜の村 36

 都合のいい話であったが、要するに夜が明けぬうちは頭陀袋で運ばれた子ども、ヤグレンナ夫妻の息子であるエッセは危害を加えられる心配がない、ということだ。同時に、神の決裁は禊の泉で行われるので、夜が明ける前に泉の周囲に控えていれば、ドラゴン――アエリはドラゴンのことを領主ガルドと呼んでいる――とその場で再び対峙出来るということでもある。

「領主ガルドは、一番の男女と一人の子ども、一頭の羊を捧げよと命じてきたの」

 やや真面目な声色でアエリは言った。

「タジちゃんが来る前の話。ガルドの使いが来て、突然だったから驚いたけれど、ニエの村は彼らのものだから、従うしかなかったちゃんなの」

「それは、俺がガルドの指の爪を全部剥がしたからかもな」

 何気なく言ったタジの言葉に、アエリは目を瞠った。文机を叩き、今にもタジの喉笛を噛みちぎらんばかりの剣幕で睨みつける。文机に置かれた液体入りの瓶がガタガタと不安定に揺れ、やがて揺れはゆっくりと止まる。

 タジはそれを無表情に見ていた。実際にアエリが一般的な人間の膂力を超える力を持っていたとして、タジは物理的な暴力に関しては絶対に自分が勝っている自信がある。

 それに、アエリは策士だ。

 一時の感情の噴出が何をもたらすかを知らない人種ではないだろうし、きっとアエリなら己の怒りすらも何かに利用するだろう。

 タジの予想通りに、アエリは間もなく激情を引っ込めて咳払いを一つ挟んだ。結果を恨むことなら誰でもできる。しかしそこから対策を練って行動を示すことは、恨み言からは生まれない。

「タジちゃんは本当に強いちゃんなのね」

「結果的に悪いことをした、とは思っている」

「でも、何とかできるんでしょう?」

「……暴力で対抗できることなら、全てを」

「力はシンプルな方がいいちゃんよ。どこかの村長みたいに、色んな力をいなして集めてなだめすかして、ってしているよりも、ずっと」

 その言葉は、強い自戒と自省とが含まれているように聞こえた。

 アエリは机に置いた瓶をタジの前にさしだした。

「森の中には傷や痛みに効く植物があるちゃんなのだけれど、これはその中でも特別品なのちゃん」

「あの二人組に使った薬草のエキス、って訳ではないのか」

「領主ガルドはタジちゃんの強さを知って、何か対抗策を立ててくるかもしれないちゃん。タジちゃんがピンチちゃんになったらニエの村は終わりちゃんなの。確実に勝つために、この薬ちゃんを持っていって。傷にかければあっという間に治るちゃんよ」

「そいつは凄い」

 タジは瓶を受け取った。

 その瓶の中の液体は、振って調べると粘度はなく、精製した水のようにサラサラで、わずかに緑がかっていた。蓋を開けて匂いを確かめると、ほんの少しだけ苔のような匂いがする。

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