八話 陰と影

 何が起こったのか全く理解が出来ず、間抜けな声が出る。


 呆然としていると、見覚えのある人が上から落ちてきた。シュタっと軽い着地をした人は、ルルさんだった。すぐにこちらを見て魔方陣を展開する。


 不思議なことに痛みがすっと引いた。これが治癒魔法か、と驚いていられたのはその一瞬だけで、すぐに右の方からうめき声が聞こえる。声のした方を向くと、男がいた。


「あの蹴りで死なないとは、タフな野郎ね。」


 ルルさんが、その見た目とは裏腹に鋭い言葉を吐き出した。


 なるほど、そういうことか。顔がひしゃげたのは、ルルさんの蹴りがヒットしたから。消えたのはその反動で吹っ飛んだから。いったいどこからそんな力が……。


「ほら、ぼさっとしてないであなたもウェポンを展開しなさい!」


「いや、ウェポンの稽古はまだしてないから出来無いです。」


「良いからウェポンの名前を言って!」


 キッとこっちをむき直して言う。可愛い顔してなんたる威圧。心の中で少し皮肉を言って、とりあえず叫んだ。


無のナイフニエンテコルテッロ!」


 案の定、何も起こらない。ほらみろ、と心の中で嘲笑してしまい、少し反省する。気まずい空気の中で、ちらっとルルさんの方を見た。


「もっと今までのことを思い出して!」


「はいっ!」


 凄い険相で怒られた。反射的に返事をしてしまうほどだ。とはいえ、今までのこと……。


 なぜかあいつらと馬鹿やってきたことしか思い浮かばない。でも、これで良いのか?


無のナイフニエンテコルテッロ。」


 疑問を持ちながらもう一度言う。すると突然、右手にどこからともなく青いブロックが集まってきた。


 光を放ちながら、徐々にかたちが出来ていく。そしてさらに強烈な光と共にナイフができあがった。短めの剣なのに、ずっしりと重い。振り回せないこともない重さだが、長時間は無理だろう。


 素朴な柄と、両刃のきれいな刀身。そのごくごくシンプルなナイフを見て思い出す。


 そういえばオリジナルウェポンの時も、真っ黒なナイフがあったな。このナイフとそっくりだ。あと今思ったが、ナイフというよりダガーの方が近くないか? まあ、便宜上しょうがないのだろうが……。


「ほらほら、ぼけっとしてないで集中して! これは特訓じゃなくて実戦なんだから!」


 ルルさんにとがめられて自分の世界から抜け出す。この危機迫る状況で何をしてるんだ俺は。と、頬をパンッとたたいた。そしてすっと、ナイフを男に向けるように構える。


「ふーん、なかなか筋が良いじゃない。何かやってたんだね。まあ、とりあえず自分の身は自分で守って!」


 ルルさんが感心するように言ったのも束の間、すぐにルルさんがその場からいなくなる。すると、けだるそうに立っていた男がまた横に吹っ飛んだ。


 本当にヒーラーなのか? というか俺いなくても大丈夫だよな。


 華奢な体から繰り出される蹴りに思わず呆れる。


「ほら! ぼさっとしてないで手伝って!」


 ルルさんがまた俺をとがめる。そうだ、こんなことじゃこれから何もやっていけない。意を決して、立ち上がろうとしている男に向かって突進する。


「うおおおおおお!」


 男が立ち上がる前に、禍々しい腕をナイフで斬りつける。想像以上に硬く、反動で重心が後ろにずれて倒れそうになった。根気で何とか体制を立て直し、再度斬りかかる。次は反対の腕を振り抜くように。


 確実に斬れた感覚がした。だが、何だか斬れていないような感覚でもあった。爪の先で机をなぞっている感じと言ったら良いだろうか。感覚はあるが手応えがなかった。すぐに二回、後ろ飛びをして距離を置く。


 俺が斬ったところは青い斬り傷になっていた。血の代わりに、青いブロックが傷口から宙に漂っている。戦闘状態だとこんな感じなのかと、感心した。だが男には全く効いていないようで、何事もなかったかのようにこちらに向かってくる。また斬りかかれば良いのだが、多分効かないだろう。


 どうするか、と考えているとルルさんが叫んだ。


「スキルを使って!」


 ルルさんの声が上の方から聞こえてきたので、その方向を見ると、ルルさんが緑の魔方陣の上で古い本を開いていた。おそらく浮遊魔法と魔術書だろう。


 あそこで高みの見物となると、これは俺への試練になるわけだ。やってやろうじゃねえか! 


 といきがったは良いが、スキルの出し方が分からない。だが、男は徐々に近付いてきている。かなりピンチだ。


「どうやってやるんですか!?」


「自分の記憶をたどれば出来る!」


「自分の記憶?」


 ヒントにはなりそうもないヒントをもらって、さらに困惑する。だけど今は迷っていられない。何か、何かスキルになりそうなもの。……!


「『影歩法カゲノホホウ』!」


 記憶をたどって思い浮かんだのはそれだった。これは俺の祖父が『陰歩法インノホホウ』を教えてくれたときに出来た技。


 陰歩法インノホホウを極めれば、相手には自分が何人もいるように見えるらしい。だが、俺にはそれが出来無かった代わりに、初めて祖父の背後に回ることが出来た独自の歩法だ。


 多分、これをこの世界でやるとかなり強化されると思うんだが……。


「やっぱり無理か、ってあれ?」


 無理だと思ってうなだれそうになったとき、いきなり景色が変わった。目の前には大きな背中がある。どうやら成功したらしい。しかも男は全然気づいていない。チャンスだ!


「いっけええええっ!」


 何度もダガーで男の背中を斬りつける。ひたすら振り回していると、いきなり片手が動かなくなった。男が腕をつかんでいたのだ。反射的にに叫ぶ。


影歩法カゲノホホウ!」


 また一瞬で景色が変わり、相手の背後に立っていた。拘束状態でも発動できるスキルらしい。これはかなり使える。


「ふーん、なかなかやるじゃないの。まあ、せいぜいがんばって。」


 ルルさんが頭上から他人事のような調子で言う。本当に鬼畜なお方だこと。まあ、今は集中しないといけない。


 上に気をとられている間に、男がウェポン化した腕を振り下ろしていた。この攻撃はコマ送りだったので、右側に躱して脇腹をなぞるように斬りながら後ろに回る。そして振り返りざまに一刺しして、二回後ろ飛びをした。


 やはりダメージがあるようには見えない。


「全然効かないんですけど!?」


「当たり前じゃないの。今その男は何者かに操られて、なぜかは分からないけど全く体力が減ってない。だから、あなたはギルドマスターが来るまでの時間稼ぎよ。」


「マジかよ……。」


 時間稼ぎか。出来ないことは無いけど、体力が持つかどうか分からないな。今のところ、全く疲れはないけど。何せこんな世界だ、何が起こっても不思議じゃない。


「あ、そうそう。言い忘れてたけどあなたのスキル、MP消費ゼロだからじゃんじゃん使って良いわよ!」


「マジっすか……。」


 二度目の驚き。おそらく消費がないと言うことは疲れもないのだろう。なら存分に戦える。


 巨漢に向き直り、自分が付けてきた幾多もの切り傷を眺める。やはり全て青く、ブロックのようなものが宙に漂っていっていた。何だか慣れないな。すると突然、男の体がゆらっと動いた。


 独特な動きのせいか、何重にも重なってぶれたように見えてしまう。それは目をこらしても変わらなかった。


 どんどん気持ち悪くなっていく。元々乗り物とか一人称のゲームに酔いやすい俺には、この状況が大変きつい。徐々に男が近付いてくるが、気持ち悪くて動くことが出来無い。


「くそっ、……影歩法カゲノホホウ。」


 景色が変わった。がその勢いで、さらに気分が悪くなっていく。俺としたことが追い打ちをかけてしまった。


 ぐるぐると回り始める視界。相乗効果で、今にも嘔吐しそうなほど気持ち悪くなる。


「『状態異常アブノーマルステート回復キュア』!」


 どこからともなくそんな声が聞こえる。その声を認識したときには、気分の悪さもゆがむ視界も直っていた。そういえば聞き覚えのある声だったな。


 周りを見ると、タケミカヅチさんがいつの間にか男に怒涛の連撃を、ウェポンも展開せず素手で繰り出していた。


 少しずつ男の体勢が崩れていく。素手だけであんなタフな奴を……! そう感心している間に、ついに男の膝が地に着いた。


「僕のギルドの可愛いメンバーに手を出してもらっては困りますねえ、『修験道』のギリさん。しかし、以前の面影なんて全くもって皆無ですが、何かあったんですか?」


 とても落ち着いた調子の声、満面の笑み。だがタケミカヅチさんの腕は、絶えることなく男を殴り続けていた。何か、凄く怖い。


 男をかばいたくなるような、そして目を覆いたくなるような光景を唖然として眺める。いつの間にか手元からナイフが消えていた。


「……それにしても本当に体力が減らないですね。やはり裏には『ゼウス』の研究が関係してるのでしょう。っと、流石に体が持ちませんか。」


 タケミカヅチさんが独り言のように言う。ゼウスか……。フィンから聞いたことがあるが、確か政治を回している大事な機関だとか何とか。その研究となると、オリジナルウェポンに関係しているのだろう。


 ゼウスというキーワードでそのことを思い出し、少し考え事をしていた。だが、その考え事が深いところまで行く前に、目の前の異変に気づく。


「何だよ、これ!」

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