踏切

 神社の裏手からは泣くような声が聞こえた。今までのどこか飄々としていたナツには合わない弱々しい声だった。


 雪人はただ待つしかなかった。


 神社の境内は丘の上にあるということを除いてはさしたる特徴もない。


 相変わらず空の色も変わらない。流れる雲さえだんだん形が見慣れてくる。


 退屈、と言う言葉がぴったりだろう。


 だがそんな状態で良いのだろうか。

 ナツに何があったのか聞いてみるという手段は? そうでなくても彼女そばに行って慰めるという手段は?


 雪人は首を振った。


 出会って間もないというのに、そんなに根掘り葉掘り聞いたり、ずっと横に居たりというのはおせっかいだろう。

 少し離れたところで待ち、気の済むまで一人にさせる。

 今くらいの距離感が一番良いのだ。


 雪人は縁台に寝転がる。床板が冷たくて気持ち良い。

 ここで眠ることができたらどんなに心地良いだろう。だがそれは禁止だ。


(あ……)


 いつの間にか神社の裏手で泣く声は収まっていた。雪人は体を起こす。


 砂利を踏みしめる音がして、ナツが本殿の死角から姿を表す。


「ナツ、もういいの?」


 雪人が聞く。ナツは腫れた目を三日月形にして微笑みかけた。


「大丈夫よ」

「我慢してない?」

「もちろんよ」


 雪人は縁台から降りる。


「それなら良いけど。もう少し神社で休んでいく?」

「いいえ、大丈夫よ。それより私、この街で一度も行ったことがないところがあるから、今からそこに行きたい!」


 元気だな、と雪人は思った。


「ところで、なんでニ年間もここにいたのに行かなかったの?」

「それはね……いや、理由はそこに行ってからのお楽しみにしましょう! ついて来て!」

「え!?」


 ナツは嬉しそうに石段を降りていく。ナツはすっかり元通りだった。ナツの背中を見ながら雪人は思う。萎えている彼女よりも飄々として元気な彼女の方がよっぽど彼女らしいと。


 彼女は階段を降りきると、さっき来た方向とは逆に曲がっていった。雪人もそれに従う。向かった先は相変わらずの住宅地だったが、他の地域よりも落ち着いた雰囲気だった。それこそ、どこからか趣味の良い外車が走って来そうなくらい。


「ここらへんは高級住宅地なのかな」


 雪人がつぶやく。


「そうね。この先に駅があるから、それに合わせて造成されたんだと思うわ。あなたと住むのならここも良さそうね」

「え? 住む?」


 雪人は聞き返す。


「そう。だって拠点を作らなきゃ何年もここにいるなんて無理でしょう?」

「あ、ああ、確かに」

「ほら、あの踏切のあたりが駅よ。行きましょう」


 ナツは道の奥を指差し、笑いながら走っていく。彼も彼女を追った。


(一緒に住む――)


 その言葉が、走っている雪人の頭を行ったり来たりした。何気ない意味なのはずだが、どうも喉に魚の骨が突き刺さったように違和感が残った。言い表せない感情が心を浮遊する。


「危ない!」


 突然ナツの声がした。


「え?」


 同時に感じるお尻の鈍い痛み。

 四両編成の列車が轟音をあげて目の前を通過していった。


(何?)


 気づく雪人は遮断器の降りた踏切の前で尻餅をついていた。


「ねえ雪人! どこ見て歩いてたの!? もう少しで轢かれそうだったんだから」


 横から聞こえてきたナツの声。かなりの怒気がこもっている。


「なにがあったのナツ?」


 立ち上がりつつ雪人は聞いた。


「なにがあったもなにも! 自分がしたことよ!? なんで覚えていないの? 雪人はニワトリ? 三歩あるくと忘れちゃうの?」


 ナツの怒気に気圧される雪人。


「ええっと、考え事をしてて……」


 雪人は視線逸らす。

 ナツは呆れたようにため息をついた。


「いい雪人。あなた、遮断器が降りているのに踏切に入っていこうとしたのよ? 私が呼び止めても全く気づいていないし。もし私があなたを引っ張っていなかったら今頃は……いや、もうこれ以上は言わなくてもわかるわね」


 そういうことだったのかと雪人は思った。


「ごめんナツ、ありがとう」

「それで、何があったの?」

「うーん、それがよくわからないんだけど、考え事してて」

「なんで考え事なのによくわからないの?」

「よくわからないことを考えてたんだ」

「随分と哲学的ね。まあ良いわ。今度からは周りに気をつけてね。なにせあなた、遮断器に体がぶつかっているのに気付かなかったから」

「え?」

「本当に自覚ないのね」


 そんなことはありえるのだろうか。体に当たってくるものにさえ全く無関心だなんて。


(絶対にない、とも言えないけど……)


「かなり深く考え込んでいたみたいだ。心配かけてごめんね」


 雪人がそう言ったとき、警報器の音が止み、遮断器が上がった。


「ここから目的地まではまだあるの。だから今度は周りに気をつけてね。さあ、行きましょう」


 ナツは上がりきるのを待ちきれないと言うように、その下を潜っていった。雪人同じようにして踏切を渡っていく。

 そのとき。

 ――ドォォォォン。

 線路の奥の方から何個もの大砲を一気に撃つような音が聞こえてきた。

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