彷徨

 昼と夜の境目を彷徨う街は二人を包むように夕暮れ時の暖かな雰囲気を醸し出していた。


 一帯は大都市の郊外にあるような住宅地。ブロック塀に囲まれた家々が道の両側にところ狭しと並んでいる。


 道沿いの電柱には街灯がぶら下がり、二つおきくらいにちらほらと明かりが灯っていた。時折車が道を抜けていく。なぜだか車も半透明だった。


 夕食の支度をする匂いがどこからともなく立ち込めてくる。カレーの香りだった。さっきまで雪人が逃げ回っていた街角は、いつの間にか人の息吹と温もりの感じる街角になっていた。


「このあたりはずっとこうなの」


 隣を歩くナツが独り言のように呟く。


「『ずっと』というと?」

「いつもちらほら街灯が灯っていて、カレーの香りがしてくる。おまけに通りかかる車まで同じ」


 ナツは飽き飽きした顔だった。


「この街は時間が進まないんだわ。だからいつも黄昏。だからいつも変わらない」

「そんなんだと感覚が狂いそうですね」


 何気なく言った雪人の一言。ナツは立ち止まり、むっとした顔を雪人に見せる。

 雪人は慌てて言い直した。


「そっ、そんなんだと感覚が狂いそうだね……」


 雪人の額には冷や汗が浮かぶ。


「ふふっ」


 ナツはむっとした顔をほころばせて言った。


「やっぱりあなた、反応が面白い」

「えっ?」


 唖然として立ち止まっている雪人を尻目に、ナツは早足に一歩先へ出て雪人に振り返る。


「ごめんなさいね。今までのはちょっとしたからかい。もう敬語を使ってもいいわ。私は気にしないから」

「えっ、ちょっと、どういうこと!?」

「これから鬼ごっこをしない? あなたが鬼ね。私は逃げるから、追ってきてね、鬼さん」

「えっ、あっ、待って!」


 ナツは小鳥のように軽やかに走り出す。雪人は必死に追った。しっかりと追ってみると思いのほか足が速い。息を切らしつつ雪人は彼女の通った跡をなぞっていく。ナツは時折止まって後ろを振り返りながら、なかなか追いつかない雪人をからかっていた。


「鬼さん、早くしないと獲物を見失っちゃうわよ!」

「ナツ! 本気で待って! ゼエゼエーハアハアー」

「嫌よ! 捕まりたくないもの。それに、捕まえにくいものを捕まえたときの感慨はひとしおよ?」


 無邪気な笑みを向けるナツ。雪人は走りすぎた人よろしく膝に手を当てながら言う。


「そんなこと……ゼエ……関係ないから……ハア……」

「関係あるわ。鬼さんこちらっ!」


 ナツはまた走り出していく。

 こんなことが何度も繰り返えされた。 


「雪人! ここよ!」


 急にナツが立ち止まる。雪人はナツの後方二十メートルくらいのところに居た。

 そこは小高い丘の頂上だった。見晴らしがよく、今まで走ってきた街の町並みが遠くまで見渡せる。住宅の並びは丘の上まで進出し、斜面に沿って屋根は段々畑のような景観を作っていた。ここは台地だろうか。


「私、ここにあなたを案内したかったの!」


 ナツは雪人に向かって、片手を口の横に当てながら、もう片方の手で道の脇を指し示す。

 それは五メートルくらいの丘だった。周りは住宅に囲まれているのに、そこだけは木々がこんもりと盛り上がっている。


「ナツ、そこに何があるの?」


 立ち止まって雪人はナツに聞いた。


「神社よ! 鳥居があるのがわからない?」


 声を張り上げてナツが言う。


「ここからじゃ森しか見えないんだよ」

「じゃあ登ってくればいいじゃない」


(そりゃあそうなんだけど……。俺が疲れているのも考えてくれないかなぁ)


 雪人は荒く息を立てながらゆっくりと登っていく。

 ナツのところへ着くと、道の左側に色褪せた鳥居が立っていた。そこからは、木々の間を登っていく石段が続いている。石段には木の影が落ち、木々の隙間を通り抜けた陽光が金粉を散りばめていた。


「この上に登ってみましょう、上には本殿があるの!」


 ナツは軽快に石段を登っていく。


(なんでそんな体力があるんだよ!)


 今まで走り続けていたのが嘘のようだ。いつの間にか頂上にいる。


「雪人! 早く!」


 急かすナツ。雪人は一歩踏み出すのもきつい。


「わかったから。待ってて」


 やっとの思いで登りきると、雪人は地面に座り込んだ。


「ナツ、どうせいつでも夕暮れなんだからそんな急かさないでも良くないか?」

「夕暮れ? 私は夕日が見たくて来たわけじゃないわよ?」

「え? 違うの?」

「そんなもの散々見たわ。なにせ二年間もずっと夕暮れなんだから」


 ナツは皮肉っぽく二年間という言葉を強調する。


 ずっと夕日を見たいのだと思っていた。そうでなければこんな丘には来ないと思ったから。


「それじゃあなんでナツは俺をここへ連れてきたの?」

「今にわかるわ」


 そう言うとナツは神社の本殿を囲む縁台に登る。


「ちょ、ちょっと! そこに登るのはまずいんじゃあ……!」


 雪人は立ち上がって制止する。


「良いのよ。どうせ私達は他の誰にも見えないんだから」


 ナツは飄々としていた。


「あなたに見せたかったのはこれよ」


 ナツは本殿の扉に手をかける。


「そ、それは開けたらまずいって!」

「行くわよっ」


 楽しそうにナツは言う。


「だっ、だめだから!」


 雪人は慌てて縁台に登りナツを止めようとした。が、時すでに遅し。本殿の扉は勢いよく音を立てて開く。

 雪人はその場で固まった。


(さすがにまずいって。祟りとかは信じるタイプじゃないけどこれは色々と良くない)


 ナツはなんともないように本殿の中へ入る。そして振り返って雪人に呼びかけた。


「早く来なさいよ。私が雪人に見せたいのはこの中なんだから」


 手招きするナツ。雪人ため息をつき渋々歩みを進める。

 縁台の木材は一歩踏み出すと軋む音を立てた。


 歓迎されていないものだと雪人は思いながら本殿の敷居を跨いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る