2-3 氷雷の二つ名

 ネフェさんを拾ってから一晩が明けた。

 夜襲もなく平穏な朝を迎えた一行は早朝から出発し、お昼前には山脈の麓街モールについた。

 オルティア山脈の西裾中央に位置するモールは、山脈を越えた東側に位置する首都を目指す為の登山口に、山脈の北の端にある聖フェオネシア教の総本山がある山岳都市アポリスや南のカラサスに行く為の補給拠点としても活用されている中継都市である。

 昔はオルティア山脈で取れる天然資源のために開拓された鉱山都市であったらしいが、すでに資源は掘りつくされ、枯渇した坑道ともう何年も動いていない発掘用の施設が山側の斜面に点在している。

 一行はモール西門と書かれたアーチをくぐり、馬車専用の駐車スペースに入っていった。

 場所は中央通のちょうど裏手になっている10台ほどの馬車が置ける街の一角で、すでに3台ほどの荷台が空になった馬車がつけてあった。

 自分たちが乗っている馬車も空いてる区画に入れると、トールがまず下りて馬を用意されていた杭につなぎとめ、自分たちもゾロゾロと降りた。

「いやはや、本当に平穏な道中ながら、面白い体験をさせていただきました」

 と、近づいてきた商人さんは言うけど、確かに墜落した女性を拾うって、そうそうできる経験じゃないと思う。

 ネフェさんもありがとうございますと、商人さんへお辞儀をした。

「そうそう、お嬢さん」

 あんな話しがあったために周りの視線を気にしてダインの後ろに立っていたアタシを、半歩移動してワザワザ呼んだ。完全な指定だったので一瞬ビクッとしてしまった。

「これをどうぞ。頭のソレを隠すのに使ってください」

 差し出されたのは折りたたまれた白い布だった。

「鎖国と聞いて急遽仕入れたコウエン国産の布を使ったフードです。故郷の物でしたら似合うかと思いましてね」

 広げてみると形は先日見た聖フェオネシア教のシスター・マイカが被っていた外の国の言葉でフードという頭巾に似ており、白い布が頭をすっぽりと多い、あごで引っ掛けるための朱色の紐がついている。後ろに流した布部分は先端に行くにつれ淡い藤色へと徐々に変化している。

「こ、こんな良さそうな物もらっていいんですか!?」

「ははは、結構ですよ。こんなにおいしいカレーをいただいたんで」

「ありがとうございます」と御礼を述べ、さっそく渡された頭巾を促されるままにつけてみた。

 「ほほう」「いいじゃん」「かわいいですね」「とてもお似合いです」と商人さんにトール、ルカ、ネフェさんの声は聞こえてくるが、一人だけ何も言わずに真顔のままこっちをずっと見てくる人物がいる。

「だ、ダイン?」

「いや……ほっとしたんだ。確かにこれなら大丈夫そうだ」

 ほっとしたという言葉を発した途端、わずかに口角が上がったように見えたが、すぐに真顔に戻った。それでも見つめるとは少し違った表情でまだこっちを見ているので、それはそれでその気が無くても恥ずかしくなってきてしまう。

 少しあたふたしてると、トールがこちらを見て微笑んでいる。

 くっそ、なんだか慌ててるこっちが馬鹿馬鹿しく感じてきた。

「本当にいいのかい? 結構良いものに見えるけど」

「いいんですよ。他にもいくつかありますし。何でしょうね……商人の鼻というか、未来への投資でしょうか」

 何のことかはわからなかったが、話を聞いていたトールの表情が遠くを見ながら笑っているようだった。

「商人さん、コレ本当にありがとう」

「いえいえ。こちらの大陸でホーンドさんを間近に見ることはありませんので、とてもとても貴重な体験でした。……その、お代金の変わりと言っては何ですが……」

 と、商人さんはアタシを前にして急にモジモジしはじめた。

「角を触らせてもらうことは出来ますか?」

 ホーンドにとって角は命の次に大事な物であり、露出しているからと言って他人がむやみやたらと触っていいものではない。

(とは言っても、昨日のよりは先輩たちに触られまくったんだよなぁ……トホホ)

 頭巾をゆっくりとはずし、商人さんが触りやすいように軽く腰を落として頭を差し出した。

「いいですよ。さぁどうぞ」

 ゴクリと生唾を飲み込む音が聞こえ、角に触れるまでに時間がかかったあたり、商人さんはかなり緊張しているようだった。

 恐る恐る手を触れる感触は髪の毛を通して伝わり、ゆっくりと指先で味わうように触り始めた。少し握って軽く上に引っ張るあたりは、本物だということを感じたかったのだろう。

「おお……おおお……おおおお! 本物のホーンドの角、なんでしょう鹿の角に似ていますね。ほわぁ……」

 堪能しきったところで惜しむように離れていく手。

「いやはや、こちらが本当に御礼を言わなければいけません」

 そういうと、商人さんは手の平を胸の前で合わせる「合掌」をした。

 コウエンでの最大限の御礼の意味は含まれてはいる仕草であり、商人さんだからこそいろんな国の礼儀などは知ってるのだろうか。

「それでは。みなさんの旅のご武運を」

 改めてみんなのほうを向いてペコリとお辞儀をした商人さんは、荷物を載せた手押し車を駆り、人ごみの中へ颯爽と消えていった。

 3日間も同じ時を過ごしただけはあり、別れはやはり寂しいものだった。



「さて、俺たちも買出しと教会に行こうか」

 人ごみへ消えた商人さんの背中を見送り、トールの呼びかけでもらった頭巾を被りなおし、移動しようとした時ふと馬車に目をやった。

「あれ、馬車ってこのままでいいの? 盗まれたりしない?」

「いいよいいよ。この古臭い馬車は一応、対窃盗用魔法がかかっているから」

 確かに年季の入った馬車だけど、車体の下に魔法が刻まれているらしい。ネフェさんは最初から気づいており、ルカもぼわっとした感覚はあったらしい。魔力に疎い私とダインは説明されるまで本当に気がつかず、今思いっきり車体の下を覗き込んでゆらりとうっすら赤く光る魔方陣を見つけると「おおお! あった!」となぜか喜んでしまった。続いて、ダインも覗き込んでは「おお」と小さく感嘆している。

「はい、お二人さんそれぐらいにして。今後について少し話しておきたいことがあるから」

 振り向いてみればトールのニヤついた顔があった。

 確かにいい年した男女が馬車の下を覗き込むなんて風景は、田舎者丸出し状態だ。

 急に恥ずかしくなり頬も熱を持ち始めたので、さっと立ち上がった。それに比べて、ダインはそんなの気にもせず、平然とした顔である。

「この街での用事を済ませたら、俺たちは山脈の南側のルートを通って、カラサスの街を目指そうと思う。平坦で広く比較的に安全な道だし、馬車護衛とかあれば平原と同じ感じで、2日もあればたどり着ける。あと、カラサスは少し特殊な街だけど教会もちゃんとあるね」

「特殊な街?」

「行って見ればわかるさ。さて、いかがでしょう?」

「うー、アタシはこの大陸の地理ってわからないから、トールに任せるよ」

「同じく」

 この大陸がはじめてな私とダインはそう言わざる得ない部分もあるし、知っている人間に任せたほうが断然いい。

「たしかに山脈越えは少し危険ですからね。私もまだ充分に飛べるというわけでもないので、異論はありませんよ」

 落下時に翼をクッション代わりにしたためか、ルカの回復魔法でも完治とまではいかず、まだ動かすにあたっては違和感が残っているらしい。本人の判断でしばらくは翼を使わないことになった。

「そ、それでお願いします。山登りとかキツそうですし……」

 ルカは待ちの東側にそびえるオルティア山脈を見上げながら、か細い声で同意した。

 山肌は鉱山跡ということで整備された道も多いが勾配がややきつく、道も何度もくの字を描いて山頂に伸びている感じだった。

「よし、では決まりということで、用事を済ませに行こうか」

 馬車と引いてくれていた馬を一撫でし、自分たちも人ごみの中へ入っていった。

 まずは教会へと向かい、巡礼礼拝のためルカを教会に一旦残し、その間に残りの4人は買出しに出かけた。

 旅人用の商品を扱った道具屋に入り、主な買い物はトールが担当して、あとの3人はどうしても必要な物を申請する形で、店内を好きに見て回った。

 ネフェさんが何か魔術用の小物を触っている姿を見てふと思った。

「そういえば、ネフェさんはその即席ドレスのままでよかったんですか?」

 腕ぐらいの長さの指揮棒のようなものを手に取っているようで、こちらの質問に気づくと「フフッ」っと微笑んだ。

「本当はいくつか見繕っていただいたのですが、どうしても私達用の背中の開いた物がなくて。代わりにベルトを1本とこのレモン色のストールを更にいただいてしまいました」

 確かに首にはほんのり黄色味がかった半透明の布が巻かれていた。

 御代として羽を1本むしって渡したといわれた。話の通りたった1本でもそれなりの価値になるらしく、商人さんは逆に大慌ての状態になり、どうにか受け取ってもらったらしい。

 ソレに比べたら本当に自分は何も渡せないんだなと思ってしまった。

 しかし並んで歩いているネフェさんの翼は本当に美しく、陽の光を受けて粒子状に輝いているようにも見える。隠すことが出来ない翼は人々の目を奪い、このお店に入るまでの間、視線と羨望を一緒くたに集めた。

「さすがに目立つねー。さっさとすませてルカちゃんと合流しますか」

 いつの間にかネフェさんの横に立っていたトールは、ネフェさんの持っていた棒を買い物籠に差し込むとレジのほうへ向かった。

「ほんと申し訳ないです……」

 トールが言うように確かに視線は集めている。黒い布のドレスと純白の翼じゃ色が真逆すぎて、翼がより一層目立ってしまう。

 何人かの野次馬が入口からネフェさんをかじるように見ている。

 でも、その中に一際ぬめりとした感覚があった。

 隠すつもりがないのか、店に入る前からあきらかにずっと追って来ているのが丸わかりで、探せばすぐに見つかりそうだった。

 しかも気配は複数あり、入り口や店舗内が見れる横の窓と顔が確認できないギリギリの状態でこちらを伺っている。

 レジが終わり店の外へ出ようとした時、一足先に駆け足で店の外に出ても、昼下がりの人通りが多い大通りのため、あっさりと見失ってしまった。

「はいはい待った待った。相手は恐らく素人か駆け出しの人攫いだろ」

 店から出てきたトールに肩を掴まれ制止させられた。

 予想はしていたけど昨日の話の後なだけあって、ここまで露骨だと虫唾が走る。

「でも……!」

「落ち着こうぜ。ルカちゃんを迎えに行ったら、宿でも取ろう」

 不服ではあるが、街の中で騒動を起こしたくはないのは事実。

 ここは年長者の意見に従って、急いでルカを迎えに行った。



 翌日のまだ日も昇らないほどの早朝。人気も一切なく朝霞があたりを包む中、モールの南門を出た。今回は朝も早いことからカラサス方面までの馬車護衛もなく、馬を借りるつもりはなかったので、当然徒歩で行くことになった。

 右手には昨日通ったオルト大平原が広がり、左手にはオルティア山脈の麓になる林で、鬱蒼とした細身の木々が立ち並んでいた。

 ずっと、監視していたのだろう。宿を出た途端から、あのぬめりとした感覚がまた起きはじめた。

 誰もいない程の早朝から出発したせいか、昨日以上にはっきりと感じ取れ、今も林に隠れるように左後ろからずーっとついてきている。

「しつこいね」

「確かにここまでだと癇に障る」

 ため息交じりに同調するダイン。宿に泊まったのにトールと交代で起きていたらしく、結局二人ともまともに休めていない。

 そのおかげか表情には出していないけど、二人ともどことなく虫の居所が悪い。

「こ、このまま放置して大丈夫なんですか?」

 恐る恐る聞いてみるルカに、トールはあっけらかんとした返事をした。

「問題ないさ。あと10分もすればいい~頃合になるから」

 10分後。モールの町が遠くに見えるぐらい離れ、まだ往来の人が全くいない、双方にとって邪魔するものがいない格好の頃合だった。

「止まれ」

 声は後ろから聞こえてきた。

 声の主はずっと感じていたぬめりの正体。清潔感の一切ないボサボサの伸びきった髪と髭に、頬骨が見れるほどの細顔の男性ホミノス。端がボロボロになり、幾日も洗濯されていないような薄汚れた麻の上下と、すれたボロの革サンダルで、手にはやや太目の曲刀シミターが握られていた。

 こちらが振り返ったのと同時に、林側から何人かの似た服装をした男たちがでてきた。数にして6人。ホミノスとガルムスしかおらず、いづれもほっそりとしており、まともに食事していなさそうなほどやせ細った人もいる。

 やせ細り方から見れば、何日もまともな食事にありつけていないように見える。

 だからと言って情けをかけるつもりは毛頭ない。

 他人を売ってお金を得るぐらいの策を考えるぐらいなら、その労力を何か別のまっとうな仕事に回せばいいだろうに。

「女3人と金品を置いていけ。そうすれば命は助けてやる」

 ぬめりさん(勝手に呼称)のお決まりの文句に、芸がないなーと心から思った。

 人数で言うなら相手のほうが2人多く、さらに取り囲むように陣取られている。だけど、相手がやせ細ったヤツばかりでか恐怖や不安はそんなに感じなかった。

 ゆらり。ぬめりさんの前にトールが出た。それに続いて私達ご使命3人組を間に挟むように、ダインが反対側へ出た。

「断固拒否するね」「同じく」

 フフフ……と不適な笑みと怨念が漏れてくるトールは背負っていたバルディッシュを地面に突き立て、皮袋からバルディッシュの刃をチラリと見せた。

 ダインも腰を落とし、いつでも背負っている大剣に手がかけられるようになっていた。

 かという私も、すでに左腰の愛刀に手をかけており、オロオロしながらもルカも杖を握って身を固めていた。

 こちらの臨戦態勢に一瞬身じろぎするも、腹をくくったのか「やれ!!!」と怒号を上げた。

 号令を皮切りにぬめりさんたちは、各々の武器を振り上げながら一斉に飛び掛ってきた。

 だが、刃がこちらに届く前に、輪の中心から放たれた青白い光と轟音によって全てが遮られた。

「サンダーストーム!!」

 ほとばしる電撃の中、それぞれがピギャだのウギャギャだの笑いに富んだ声を上げ、計7体の焦げ肉……もとい気絶野郎が出来上がりました。

「あらら? 少しやりすぎましたか? 愛用のじゃないとちょっと狂っちゃいますね」

 とぼけるように言ってはいるが、にこやかですがすがしそうな笑顔のネフェさん。

 手には昨日の買い物で購入した指示棒に似た棒――正確にはかなり短い魔法のタクトがあった。まだ、電流のような青白い火花を纏っており、光の原因がネフェさんであることは確定した。

 しかし、気絶したと思われた7人のうち1人が起き上がり、奇声をあげながらこちらへと突っ込んできた。

 狙いはルカ。距離があるとはいえ、動き出すのが遅れた。ギリギリ間に合わない……!

「アイスウォール!」

 またも魔法名が叫ばれた。

 ベチーーーン!

 盛大で奇怪な激突音を上げた焦げ野郎は、氷の壁に出来た不細工な押し付け顔を引きずりながら、今度こそ崩れ落ちた。

「フフ。改めまして、氷雷魔術師のネフェルト・ラズーリトです。よろしくお願いします」

 近くにいたにも拘らず的確に対象だけを指定できる魔法操作、複数対象への一斉攻撃、一撃で戦闘不能に出来るだけの威力、そして自分たちや相手に魔法の準備が気づかせない詠唱。

 相手が体力無さそうな貧弱さんたちだったけど、あんなに綺麗に屠れるのは見事だと思った。

 私もだけど、他の3人も同じようで唖然としており、ネフェさんも得意げにニコニコしている。

 そんな止まった空気を動かしたのはトールだった。

「おー! さすが魔術師と自称しただけはありますね!」

 尻尾をブンブン振り回してネフェさんに寄るトール。キラキラとした表情に流し目は顔が整っているからこそ見れる光景であるが、尻尾のせいでちょっとこっぱずかしい。今にもネフェさんに抱きつきそうな勢いである。

「あらあらフフフ……セクハラする人はビリビリですよ?」

「おやおや、お嬢さんは手厳しいなー」

 てか、あれ? トールってこんなキャラだっけ? 好青年的なお兄さんはどこへやら。

 不敵な笑みを浮かべながら互いの顔の間に割って入れた杖には、まだ青白い電流の火花が見えている。

「トール……キャラ変わってない?」

 思わず本音を口にすると、こっちを向いて口元で人差し指を左右に振った。

「ノンノン。お兄さんはオンとオフに差があるのと、基本的に女の子にやさしいだけ」

 追加でウィンクなるものをもらってしまった。コレが無駄に美形気味の顔だから困る。

 思わず視線をそらしてダインのほうを向いてみたら、こちらに溜息をつきながら黙々と焦げ肉7体を縛り上げていた。

「これ、どうするんですか?」

 縛り上げられて、もう攻撃してこないことは分かってはいるものの、まだ怖いのか私の後ろにいるルカがそろりと覗かせていた。

「手間だけど、モールまで戻って衛兵に引き渡そうか」

 トールの案に「そうか」と肯定するようにダインは縛り上げた紐をきゅっと引き上げ、しまり具合を確認していた。焦げ肉の一人が「グエッ」とえづくと、ルカが身震いして私の服を掴んだ。

「でもどうやって?」

 やせ細っていても曲りなりに成人男性7人であるため、全員で運ぶのは到底無理である。引きずるにしてもモールまではそこそこ距離がある。

「それなら任せてください~」

 ネフェさんは魔法のタクトを眼前に持ってくると、何かを唱え始めた。

「水精にして氷精。大地の涙紡ぎて道と成せ ―――アイスウォーク」

 呪文を唱えながら、魔法のタクトでひらりと弧を描き、2回ほどブーツをタクトで叩いた。すると、ブーツから白い霧のようなものが噴出し始めた。

 そこから数歩あるくと、踏みしめた部分から肩幅ほど地面が氷漬けになっている。

「この上を滑らせればいかがでしょう?」

 ネフェさんが歩いてみせるとまさに氷の道が出来ており、厚みもあるようなので、物を滑らせるのは簡単そうである。

 トールは縛り上げられてる7体を別のロープで連結し、ダインとトールがそれを引きずり、ネフェさんは氷の道を作りながら先頭を歩き、私はルカと一緒に後方に注意しながらモールの街へ戻った。

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