閉ざされた心 短編集
Baum
通い猫 ※石榴×紅
うちには数年前から気紛れに通ってくる猫が居る
そいつは餌を強請る訳でも甘えて来る訳でもなく
ただ傍らに座って眠っていくのだ
「っしゃ、書類片付いたっと」
夜も更けた頃そう呟いて伸びをする青年が一人。腕を伸ばして体の軋みを解消するべく背を逸らせば一本に縛られたの髪が自然と揺れた。
「メイリンさん起きてっかなぁ。至急ってたけど」
そう呟いて部屋を出た彼は半分以上明かりの落とされた事務所を見て溜め息をついた。皆、眠ってしまったのか部屋に戻っているらしい。
自分も早く寝たいが集中していた頭は未だ冴え渡りそんな気配は微塵と残っては居なかった。仕方なく今眠るのは諦め簡易キッチンに立つとコーヒーメーカーから冷めたコーヒーを注ぎ一口含んだ。
「あら、終わったの?石榴。それとも徹夜で仕上げてくれるつもりなのかしら?」
突然明るくなった視界に慣れず瞬きを繰り返しキッチンの入り口を見れば、相変わらずチャイナ服に身を包んだ上司のメイリンが微笑んでいた。
「起きてたんすか。いやいや、一応終わってますって。喉乾いたんで」
「そう。不備が有ったら許さないわよ?」
「や、多分大丈夫だと」
「なら良いわ。棗(なつめ)達はもう眠ったわよ?アンタも早く寝なさい」
そう告げた彼女はコーヒーメーカーに新しく豆をセットしてコーヒーの準備をし、煙草に火を点けている。
「メイリンさんはまだ仕事終わらないんすか?」
「アンタの書類チェックして、もう少し調べ物をしてから眠るわ」
「じゃあ、お先です」
渡すべき書類を予想外に引き取って貰え、空になったカップをシンクに置いて部屋に戻るべく夜中であろうと美しい上司に短く挨拶をしてキッチンを離れた。放置したカップは起きてきた棗が自分のコーヒーをいれがてら多分洗うだろう。
「俺もちっと調べてから寝るか」
そう呟いてついさっき出て来た自室の扉を開ければ微かに香る鉄錆。しかし、部屋にある気配は慣れた相手の物ですぐに警戒を解きパチリと電気のスイッチを入れた。
「紅、今任務帰りか?」
「……まぶしい…」
「あぁ、悪い。けどお前また派手に返り血浴びたな。怪我は?」
部屋の隅を見れば予想通り小さな体があちこちに血のあとを付けた姿で座っていて苦笑が漏れる。顔にも飛び固まってしまった血を指で軽く擦って落としてやると眠そうな相手と目が合った。
「…ない」
「なら良いか。今日は部屋じゃ寝れそうにないか?」
「ん。ざくろ…俺、ばけもの?」
頷いた後に紅の唇から出た言葉に石榴はまたか、と思ったと同時に腸が煮えくり返るかと思った。こんなに小さく、儚い子供が化け物な訳がない。彼を闇の世界に堕としたのは大人だ。
普通に生まれ育てられていればきっと平穏な世界に生きる事も出来た筈だ。こんなに小さな体でなく、当たり前に成長し明るく笑っていたかもしれない。
昔よりは表情も出るようになったがそれでもまだ乏しく、言葉もたどたどしい。
ただ戦い殺す事だけを教えこまれ当たり前の事を教えられなかった結果がこれだ。そんな風にしたのは勝手な大人なのに罵倒する事は許せない。
「お前みたいな化け物いねぇよ。紅が化け物なら俺だって化け物だ」
「ざくろ、違う…」
「ならお前も違う。紅は紅だ。馬鹿な大人の言う事なんかお前が気にする事ねぇよ。紅はなんも悪くないんだ」
「…そう」
堪らなくなって自分よりも小さな体を腕に閉じ込めた。
「そのうち、ちゃんと起きてられるようにしてやるからな」
抱きしめた腕の中で眠りに落ちていった紅を簡単に自分の服に着替えさせると布団に移動させて抱き締め直し、そんな決意の言葉を溢した。紅を仕事さえなければ一日の三分の一も起きていられない体にした大人が憎い。それなのに、原因が分からない現状では復讐してやる事さえ出来ない。
「もう少ししたら何か掴めそうな気がするんだ。お前のデータさえ見付かったら丸ごとぶっ潰してやるからな」
まだ見えぬ元凶に一頻り喧嘩売って少しすっきりしたところで石榴もやっと目を閉じた。多分任務報告もせずに、任務を終わらせたままの足で自分の部屋に来ただろう事は容易に察せられたし後から聞く羽目になる筈の小言も頭に浮かんだが今はそん良いと思った。抱き締めた温もりは心地良く手放しがたかったから。
「ちわーお宅の子猫お届けに来ましたー」
「あぁ、やっぱり石榴君のところに居ましたか。若いからってあまり紅に無茶させないで下さいよ」
「いや、何もしてないっすから。いつも通り寝に来ただけですって」
起きてから簡単に昼食を食べさせ、またうとうととしている紅を抱いてウルドの事務所兼自宅となっている屋敷へと軽口を叩いて届けに行けば紅の兄代わりでもある隻斗に皮肉混じりにからかわれた。それに弁解の言葉を返すのももうすっかり慣れてしまった自分には思わず苦笑が漏れるが、それも良いと思う。
自分が紅の心休まる場所である事への代償だとすれば安い物だろう。
彼らの日常は決して穏やかで暖かいとは言えない。それでも、今を守りたいと考える気持ちが強さになる時も有るのだ。
石榴の決意が成就するまで、半月もないある日の事だった。
彼はそれと引き換えに一時的とはいえ大切なものを失うことになるとはまだ知らない。
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