アイザーンによる口述筆記
宮間
アイザーンによる口述筆記
1×××,11,12 大通りにて
彼が求めたのは、どの説話より色濃く、どの民話より美しく、どの物語より高潔な、
それはまさしく
救えない、救われない
夢の蒸気機関は白い煙を吐く。ただでさえ常より濃い霧に閉ざされたこの国に、さらに濃い霧が立ち込める。雲も人も黒く見えるものだから、この目には何がどうなのかさっぱりとして判断がつかなかった。単に目が霞んでいるだけということでも、あるが。
大通りの壁に目を向ければ、広告で埋め尽くされている。べたべたと隙間なく…………というより重ねに重ねてと言った方が正しいが、店の広告であったりなんであったり、いちいちに目を通していればそれこそ時間が過ぎるというものだ。忙しく早足で通り過ぎるご婦人方はきゃいきゃいとけたたましい。彼女らにこそあの広告らの価値は発揮されるのだろうが、今からお楽しみのシンデレラたちにはそれは野暮というものなのかもしれない。
着慣れた紺の制服。肩に入ったパッド。手に嵌めた白手袋に、制帽。
「まだ三年だろう」
警察大学を出て三年目。晴れて警部の位についたものの、それに見合った働きができているとは到底思えないのが現状だ。
いや、それは言葉の綾ともいうべきか。
「そうですね」
もう三年だ。だのに、ダンスの相手はベールの向こうに隠れたままで。
隣の上司が肩をすくめる。
「マクファーレン警部。お前は色々と考えすぎる癖があるんじゃないか」
「よく言われます」
上司の真似をするように肩をすくめると、隣から掠れた笑い声がする。
「まあ、悪いことじゃないさ」
快活に軽く仰け反りながら笑う彼を見る。無精髭をぞりぞりとなぞるように触って、彼は「ところで」と話を切り替えた。靴が石畳に打ち付けられる。
「資料に目は通したか」
「はい」
「どう思う」
「どう、とは」
どういう意味かを問おうとして、その言葉は一旦途切れた。前から来た一人の少年の方が腹に当たり、体制が軽く揺らいだからだ。少年はさっと顔を青くして「す、すみません」早足で去っていった。汚れた茶色のコートはぶかぶかで、走り去る背中は小さい。すぐに人混みに紛れて掻き消えた。
「そのままだ。どう思う」
「俄かには、信じられません」
「まあ、そうだろうなあ。俺もそうだ。吸血鬼だの、悪魔だのというやつは専門外だからなあ」
「その専門家に頼りに行くのですか」
「そういうことだ。頼りになるかどうかはわからんがな」
「その判断をするんでしょう」
「俺はそういうの向いてないから」
ははは、と乾いた笑い声は雑踏に雑る。
「お前が現状をどう捉えているかはわからんがな。それでも、この事件にお前を引き入れたのは、…………お前にとっちゃ、他人事でもないかもしれんと思ったからだ。こういう勘は当たるのさ」
果たしてそうだろうか。似ているといえばそうかもしれない。確かに犯人に検討は付かず殺害方法もわからない、そういったところでは酷似しているといえよう。けれど、もっと奥の方で何かが違う気がする。
だが、そう。何よりこれは仕事だ。もう三年だが、それはまだ三年なのかもしれない。契機となるものがあるなら、早く触れておきたい。そのための十四年に違いないのだ。
「探偵、ヨハネス・クリスチャン・アンデルセン…………王に等しい探偵とは、自称か否か。それだけで違うだろうさ」
上が頭を下げるだけの価値があるのかねとニヒルに笑う彼は楽しそうだ。
金色の髪を制帽の中にしまい込んで、アイザーンは俯くように深く被り直した。
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