sideB. 3
優里乃さんの息遣いが感じられる。――浅くて、早くて、少し不規則なのに気づく。
「優里乃さん……大丈夫か? もしかして今、めっちゃ痛む?」
「イケメンに抱きしめられてドキドキしてます」
「嘘つかない」
「……実は、あんまり痛み止めが効いてないんだよね」
強がって笑ってるくせに、冷や汗をかいている。枕元に置いてあったタオルで、額をぬぐってあげた。
「ナースコール、押しましょうか」
「いや……春樹くんが来る直前に対処してもらったばかりだから、来てもらっても仕方ないかも」
何をすることもできない。背中をさするも、あまり効果はなさそう。みるみるうちに表情が曇り、身体をよじって痛がりはじめた。
「く……痛ぁ」
優里乃さんの目尻に、涙が膨れ上がる。いたたまれなくなって、ナースコールのボタンを押してしまった。
痛み止めの点滴の速度を速め、看護師は去っていった。優里乃さんはしばらく苦しそうに歯を食い縛っていたけれど、次第に落ち着いた様子だった。
「春樹くんの前では泣かないようにしようと思ってたんだけどな」
「つらいときは我慢しない方がいいっすよ。そんなことしても意味ないんで。点滴も、しっかり調整してもらえば痛みはましになるわけですし」
優里乃さんは小さく頷いた。頬に涙のあとが残っている。大人がマジで泣いてしまうなんて、よほどの痛みだろ。こんなときに、我慢が美徳だなんて思ってはいけない。
助けを求めれば、さっさと問題が解決することについては、人の手を借りてしまえばいい。――これも、優里乃さん自身から習ったことだと思うのだが。両親に、仕送り額が少なすぎることを言い出せなかった俺に、勇気をくれたとき。
「ねえ、春樹くん。今日は何時までここにいられそう?」
「用事はないので、特に制限はないです」
「それなら、もうしばらくここにいてくれる? ひよりが来るのが夕方辺りなんだけど、そこまで居なくていいから」
「夕方でも全然問題ないですけど、何かありました?」
「……なんかよくわからないけど、しんどくてさ」
「そりゃそうですよ、骨折れてんだから」
「うーん、痛いとかそういうのじゃなくてさ。なんか、漠然と不安な気分になるのよね。実はさっきまで、親がずっといたんだけど、悪いから帰ってもらったのね。帰れって、自分で言い出しておいて、急に寂しくなって、ついひよりに連絡入れちゃってさ」
優里乃さんと一緒にイベントスタッフのバイトをした日のことを思い出す。
「優里乃さんだって、俺が過労やら貧血やらでフラフラだったときそばにいてくれて、安心させてくれましたよね。そういうものですよ」
あのとき、俺は確かに優里乃さんに恋をした。ずっと、ついていこうと決めた。俺自身、人に弱味は見せたくないタイプで、それにもかかわらず、見守ってもらえることに心地よさを感じた。俺だって、優里乃さんにとってそういう存在になりたい。
優里乃さんの頭を少し撫でてみた。さらさら、ツヤツヤ。ほとんど黒に近いアッシュブラウン。結構染めたりしていたはずなのに、なんでこんなに傷まないんだろう。自分も金髪にしていた時期があるけれど、もっと固く、ごわごわした感触になった。きっと、かなりちゃんとケアしているんだろうな。
「優しさって、度が過ぎるとウザいよねって、ずっと思ってた。だけど今は正直、沁みる」
「弱ってるときってそうですよ。たぶん俺ら、ふたりとも強がるタイプじゃないですか。そういうのが、こういうタイミングで崩れる」
戸惑うよな。いつもとはずっと弱くなってしまった自分に。ちょっと具合が悪いだけなのに、怪我をしただけなのに、心までもがゆらゆらと不安定になるあの感覚は、自分も苦手だ。
「優里乃さん、大丈夫ですよ。今日も一緒にいますし、不便なことがあれば、助けますから」
「ほんと、よくそこまでしてくれる気になったね」
「右腕が使えないのは、相当不便でしょうから……」
優里乃さんが苦笑いをする。
「あー、治ったら治ったで、リハビリしなきゃいけないのか。痛いんだろうな。厳しっ」
「とりあえず一旦忘れましょう。ポジティブに行かなきゃ、こういうときは」
そうね、とつぶやいて、彼女はうつむいた。ダメだよ、下を向いたら。そんな気持ちで覗き込む。ふい、と顔を背けられてしまったけれど、それは少し恥ずかしくなったからだと見た。顔を近づけて、じっと見る。
「……ねえ、あんたもしかして、あたしのこと好きなの?」
質問されたことが、不思議だった。しかも、少し笑いながら、冗談めかして訊く意味も分からなかった。バイト先の先輩の好意に気づいて、良いように遊んでいた彼女に限って、気づかない訳がないから。
「もしかしても何も、……そうですけど?」
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