sideB. 2

 一緒にいた時間を否定されたことも、あの日の夜の出来事を気まぐれだと一蹴されたのも、確かに悲しかった。……悲しいどころか、普通に一週間くらい落ち込んだけれど。ストレスで禿げたら、責任とってもらお。



「あたしだって傷付いたんだから、春樹くんだって、みたいな。不毛すぎる、八つ当たりでしかないって今なら気づける。……いっぱい、楽しい思いさせてもらってたのにね」

「ぶっちゃけ俺は、優里乃さんほど相手との関係性を考察したり、上手い言い回しを考えて相手を意図的に喜ばせたり、逆に悲しませたりすることはできません」


 相手に利用されるとか、利用するとか、どっちの取り分が多いか、この関係は対等なのかなんて考えたこともなかった。好意は好意、相手のことを好きだから抱く感情で、悪意は悪意、相手が嫌いだから抱くもの。自分に優しくしてくれる優里乃さんが好きで、きっと優里乃さんも俺のことがまあまあ好きなのだろうと思い込んで、疑うこともしなかった。


 好きだから、勉強を習う体で会いに行ったり、サシ飲みに誘って断られたり、お昼を食べながら無駄話をしたりしていた。今考えると、かなり彼氏面をしていた気もする。告白もしていないのに、彼女の身を過剰に案じたり、ほんの少しだけ束縛しようとしたり。


 好きだから、抱いた。男の性欲と好意は関係ないとよく言われる。そりゃ、別に好きでもない人を抱くことに抵抗があるかといえばあまりないけれど、好きな人がいたら、好きな人を抱きたいと思うのは当たり前だと思っていた。彼女が俺を受け入れてくれたのも、当然、彼女が俺を好きだからだ、と思っていた。


 だから、ひよりさんから、二年前の優里乃さんについて聞いたときは驚いた。優里乃さんは、俺の十倍は人間関係を敏感に捉え、的確に自分のあり方を判断する。そうやって計算された結果が、あの日常だったのか。


 そうだとしたら、自分が最初に優里乃さんに対して発した言葉は、彼女を傷付けたのではないか。勉強や就活の相談に乗ってくれる友人になってくれ、と頼んだのは、失礼だったのではないか。まるで彼女を利用してやろうと思っているかのようなその言葉は、彼女と俺の関係を、最初から「利害関係」と規定し、そこから脱することを妨げるのに十分だったのではないか。


「……俺は、あまり深くものを考えずにしゃべる癖があるんです。だからこそ、初対面の人に愛想よく、適当に接するのは得意です。一方で、素直になれなかったら、口をついて意地悪を言ってしまうこともありますし、好きな気持ちが先走って、ずっと一緒に居てくれ、なんて重いことを平気で口に出したりもします」


 だから、少し気を付けなければいけない。言葉の受け取りかたは、人それぞれだから。そして、優里乃さんと俺は、おそらくその辺の感覚が全く違う人間だから。


「本当に、すみませんでした。出会ったばかりのときに言ったことは、全部嘘です。素直になれなかった俺のデマカセ。……もちろん、後から訂正すれば許されるものでもないとは分かっておりますが」


 ただ、「違うからおしまい」にはしたくなかった。――もし、優里乃さんが許してくれるのなら、もう一度やり直したかった。「利害関係者」じゃない、「友人」か「恋人」か、それに準ずるものか。



 優里乃さんは、少し考えたあと、こちらを向いて少し微笑んだ。


「本当は、ちゃんと気づいていた気がする。初めて会ったときの春樹くんが、ただ、ちょっとひねてただけだってことも。うちらがもう、利害関係で繋がっているわけではないことも……だからあたしも、嘘つきだね」


 変に頑固になってしまうところが、あたしの悪いところなんだよね、と優里乃さんは困ったような顔をした。


「そうそう。あたしさ、今回の事故で死ぬかもって思ったわけ」

「でしょうね」

「んで、当然ながら死にたくねーなって思ったのよ。そこそこ思い残すことがあったから」

「それって」

「一番最初によぎったのは、仕事のことね。学生の身分だけ満喫しておいて、一銭たりとも稼がず、社会の役にも立たずに死ぬんか? ってね」

「……はあ」


 そこは、俺とのことって言ってほしかった。まあ、仕方ないよな。キャリアパスとか、ライフイベント、大事だもんな。


「それで、二番目に思い立ったのが春樹くんのことね」

「……まあまあ、優先順位高めですね」

「このまま死別はちょっとなーって思った。それで、全力で頭を守ったら、手首が折れたね」


 あはは、と笑ったその声がちょっと頼りなかった。


「優里乃さん」

「何?」

「……頭と、首と肩は怪我していないんですよね」

「うん。なんで」


 俺はベッド脇の丸椅子から立ち上がり、彼女の肩を抱き寄せた。


「よく頑張りました。頭を守ったのも、痛い手術も」

「……後輩の癖に生意気」


 悪態をつきながらも、少し嬉しそうだった。

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