ep.11 崎田くん!


 そっか、ファンなのか。ほんのり頬が赤くなっている崎田くんを、なぜだか微笑ましい気持ちで眺めていた。


 大学でも流行っているロックバンドで、あたしも有名な曲なら1曲だけ歌える。


「ちなみに、どの曲が一番好きなの?」

「『Sharpness』」


 知らないやつだった。にわかじゃないみたい。近寄らんとこ。



 結局あたしはショップの準備とグッズ販売にまわされ、生芸能人を堪能するには至らなかったけれど、崎田くんは会場内の誘導係だったから、きっと今頃大興奮だよなあ、なんて思いながら客に向かって愛想をふりまく。


「桜庭さん、手際が良くて助かりますぅ」


 さっきのJKちゃんに誉められてちょっとだけ得意になる。


「普段のカフェバイトで鍛えられてるからかなあ」

「やっぱ、厳しいんですか?飲食」

「厳しい……っていうといかにも辛そうって感じに聞こえるかもだけどね」


 厳しいのかもしれない。そもそも服装規定が厳しいし、忙しい昼時は目が回りそうだし、人手は足りないし。ほんの時々、セクハラ紛いの客が来ないこともない。


 たまに、ほんのたまに、バイトダルいなって思うことだってある。それでも、あたしは今のバイト先を嫌だと思ったことはない。それは――


「幸運にも、一緒に働いている人がみんないい人で、そこがあたしの大事な居場所になってるんだよね」

「ほへー」


 わかったのかわかってないのか、あいまいな返事を受ける。たぶん、ピンと来ていない。それくらいがちょうどいい。


 「居場所」の大切さを理解できる人間は、確実に、一度それを失っているから。






 めちゃくちゃ、疲れていた。だけど、楽しかった。――同時に、なんだかいつものバイト先に「帰りたいな」って思った。


「しばらくはヅラ生活か……」

「おつかれーっす」

「あ、崎田くん」


 帰り道、駅のホームで背後から声をかけられ振り向く。


「どうだった?そっちは」

「どうもこうも、最高ですよ」


 あるものを大好きな人(別名:○○オタク)に対して、それが「どうだったか」なんていう曖昧な質問をしたら、無限に答えが返ってくるであろうことをどうして予測できなかったのだろうか。訊いてしまってから少し後悔し、言論の嵐を覚悟した。


 ――しかし、彼は「最高」と言い放っただけで、あまり多くは語らなかった。


「んで、崎田くんの好きな曲は歌ってくれたの?」

「はい」

「感動した?」

「それはもう」


 んー、なんか薄口。良かったね、そう声をかけると、彼はちょっと力なく笑う。


 うん、なんかおかしい。


「崎田くん」

「はい」

「ちょっと、そこ座ろっか」


 ホームのベンチに誘導する。あたしに引っ張られる格好でおとなしく付いてきた彼の顔は、真っ青だった。

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