大人という在り方(2)

「……ピーターって、いっつもああなのよ」


 ぼそっと。わたしの隣でティンカー・ベルが低く呟いた。……うん、まぁ、聞かなかったことにさせてください。


 ゆっくりと歩いていくピーターたちは、ゲスコンが作った光の道を通り過ぎ、そこで足を止めた。それまでまっすぐ進めばいいだけだったのが、そこで少し形が変わるからだ。そこは上から見ると円形の広場になっていて、ピーターの目の前には広場の中心にある同じく円形の花壇。彼が先に進むためには左右にまわるしかない。


 プリンセスたちはそっとピーターから手を離し、それぞれしなやかな動きで一礼する。そして、一歩下がった。


 今度は入れ替わるように、質の良い、かっちりとした服に身を包んだ男性ふたりが現れる。


 片や融通の利かないクソ真面目王子。

 片や少し前まで影が薄い引きこもりちっくだった変化王子。

 こちらもどちらも本物だ。


 プリンスたちはこれまたきちっとした動きで一礼する。月明かりで出来た影まで美しい動きだ。ピーターも呆気にとられたように動かない。


 それにしても……変わったなぁ。チャーミング王子……。


 王子様然とした動きがびっくりするほど似合っている。シンデレラと出逢えたことで自信がついたかな。


 その時、制服の内ポケットに入れておいた手鏡から声がした。


『ありすさん、これでよかったのかしら?』


 白雪姫だ。魔法の鏡の協力で、こうして会話が出来るようにもしてもらっている。

 久しぶりの声に、少し頬がゆるんだ。


「うん。ありがとう。来てくれて」

『わたくしだって、嬉しいんですのよ』


 そう言って笑うと、白雪姫はまた後で、と言い残して会話を終えた。


「ありがとね、魔法の鏡」

『いえいえ。面白いことに携われていて何よりですよ』


 しれっと答える魔法の鏡にも小さく笑って、わたしは会話を切り上げた。


 ピーターはというと、そんな仕草をしている白雪姫には気づいていないらしく、現れた王子を見返しているようだった。


 さーてそれじゃ、続けましょ。


 視線の先――ピーターたちがいるところより少し奥――で、黄色い光がくるくるとまわって、それからさっと下げられた。マキちゃんの合図だ。


 ちらりとその光を確認した王子たちが脇によけると同時に――ふわっとあたりが淡く光った。


 暗がりに佇んでいただけの花壇が色を受けて浮かび上がる。花壇の周りにいた人物たちも含めて。


 白雪姫の七人の小人たち。シンデレラの王子の城にいた従者さんにメイドさん。最初に出逢ったあちらの王様もいる。


 花壇近くに立っていた彼らが、マキちゃんの合図で一斉に手に持っていたサイリウムを折ったのだ。


 折られたサイリウムは淡い黄色い光を放ち、その場の闇をうっすらと取り払う。ピーターは戸惑った様子で、きょろきょろと彼らを見渡していた。


 まぁね。わたしとお揃いの服を着た団体に案内されて、ドレス姿の美女に手を引かれて歩き出した先で、突然光とともに現れたのはファンタジー極まりない見た目のひとたちだもんなぁ。どう受け止めていいか分からないだろう。


 それが目的の一つでもありますけども。さて、引き続き混乱していただこうかな。


 わたしも誘導灯を頭上に掲げて二回まわすと、今度は頭上でバツ印を――カットサインを出した。その合図に、手前側にいた花ちゃんたちが誘導灯を消した。ピーターは背後で消えた光には気が付かないのか、振り向いてこない。また、マキちゃんの合図。それを受けて、あちらの世界の住人たちが、そろってピーターに声をかけはじめる。前に進むように、と。


「じゃ、よろしくね」


 その様子を見ながら、わたしは隣に立つ彼に声をかける。気が乗らねぇなぁ、と苦笑しながら、それでも彼はわたしに並んで歩き出してくれた。


「ヒラ!」


 花ちゃんと剛くんと合流する。小声だ。


「ここまで言われた通りにしたよ。この後は?」

「あとはマキちゃんが合図だしてくれる。フォアコート側のメンツと全員で合流して。まだライトつけずにね」

「おっけ了解。左右分かれてくよ、剛くんそっちよろしく」

「了解です」

「剛くんもありがと! あとでね!」


 パンッと手を打ち合ってわたしはフックとティンカー・ベル、それからスミーと一緒にそっと駆け出した。


 ピーター・パンが最初に降り立った場所の少し後ろ――あの、例のひとの像である、パートナーズ像前から。


 ピーター・パンはいま、お城の前の広場にいる。ただし彼にはまだ、お城は目に入っていない。他の建物も、街灯の明かりも。少しだけ、小細工を仕掛けているから。


 もっと正確に言うなら、いま、シンデレラ城は見えない。目に映っているのは、月光とファンタジー世界の彼らが手にしたサイリウムの光で照らされた範囲だけだ。


 ファンタジー然としたひとたちに促されて、恐る恐るゆっくりと歩くピーターを横目に、わたしはピーターにばれないように少しだけ大回りしてお城のほうへ急ぐ。


「こっちよ」


 走っていくと、お城の前、少しだけ高さのある橋の上にマキちゃんがいた。よかった、間に合った。ここまで来てしまえば、あの僅かな光だけでは、ピーターからこちらは見えないはず。


 マキちゃんの横には、小さくて可愛らしいお婆さんがいた。それに、娘溺愛親ばか女王も。


「久しぶりです、フェアリー・ゴッドマザー」

「うふふ。素敵ねぇ」


 にこにこと、フェアリー・ゴッドマザーは笑っていた。


「助かります」

「いいのよぉ、楽しいわぁ」


 心底楽しそうなフェアリーゴッドマザーに頷いて、今度は白雪姫の女王へと向き直る。


「来てくれて、ありがとうございます」

「会いたかったのぉ!」


 うーん。相変わらずだ。悪い気は、しないけど。


「じゃあ、よろしくお願いします」

「まっかせてちょうだい!」


 キャピッ、と拳を頬の横で掲げる女王に軽く笑って、わたしは腰に挿していた誘導灯を引き抜いた。


 わたし側から出す合図はキャスト用。マキちゃん側から出す合図は、あちらの方々用と分けていたのだ。その誘導灯をマキちゃんに託す。


 二本の誘導灯で、ここから先はマキちゃんが指示を出してくれる。


「じゃああと、よろしくお願いします」

「ほんとうにやるのねぇ」


 マキちゃんは困った顔で微笑んで、そっとわたしの頭を撫でた。


 どこかふわふわした足取りで、ピーターは進んでいた。どちら回りでも構わないけど、小人側ではなくメイドさんが多くいる右回りを選んだのは……まあ、オトコノコということだろう。


 花壇を過ぎたところで、マキちゃんは二本の誘導灯を高くかかげた。


 合図にあわせて、光が生まれる。キャッスルフォアコート――城前広場にいた、さと子さん率いる残りのキャスト面子と、合流した花ちゃんたちが一斉に誘導灯をつけて高く掲げたのだ。


 あちらの世界のひとたちも、サイリウムをかかげている。


 マキちゃんはそのまま、片方の誘導灯をゆっくりと左右へ振った。


 キャッスルフォアコートで横一列に並んでいただけのキャストメンバーが、ピーターから見て逆ハの字になるようにゆっくりと広がった。動きの細かいところは、たぶんさと子さんが指示してくれたんだろう――揃っていてとても綺麗だ。


 マキちゃんがもう片方の誘導灯を、今度は前後へ動かす。あちらの世界の面々が、キャッスルフォアコートへ入ってくる。誘導灯が左右に揺れる。先ほどのキャストの動きと同じように――こっちはたぶん、花ちゃんと剛くんあたりが気を利かせて動いてくれたに違いない――左右に分かれながら合流した。


 突然の光と人の動きに、ピーターは言葉もなく佇んでいる。


 マキちゃんの日本の誘導灯がくるくると回る。そしてさっ――と下げられ、同時に光が消えた。

 まったく同じ動きで、他にあった誘導灯の光も消え、キャストのメンツはその場にしゃがみ込んだ。あちらの世界の方々は、サイリウムを両手で覆い隠し、光を消した。

 突然訪れた暗闇は、それまでの黄色い光に慣れていた目では追い払えないはず。


 そして――



「ビビディ・バビディ・ブー!」



 可愛らしいお婆さんの声とともに。



 シンデレラ城が突然姿を現した。



 こういうことが出来ないか、とフェアリー・ゴッドマザーに話をしたのはマキちゃんだ。


 つまり、直前までお城を隠せないか、ということ。フェアリー・ゴッドマザーはお安い御用よ、と引き受けてくれて、ならついでに、と遠景にあたるほかの建物も隠してくれた。簡単に言えば黒い布で覆った感じよ、とフェアリー・ゴッドマザーは言った。そして彼女はその魔法を、このタイミングであっさりと解いたのだ。


 もともとそこにお城がある、というのを身に染みて分かっていたはずのキャストからでさえ、わぁっと堪えきれない歓声が上がった。だとすれば、きっと、ピーターはもっと驚いただろう。あのどんぐりみたいな大きな目をいっぱいに開いて、突然現れたライトアップされた美しい城を見上げたに違いない。


 そして。

 彼は気づいたようだった。


 シンデレラ城の屋根の上。高くそびえた尖塔型のそこに立つ宿敵、フック船長と、彼の前にいる、かつてネバー・ランドにやってきたガール・フレンド――


 ウェンディの姿に。


「ウェンディ!」


 ピーター・パンが大声で叫ぶ。


 同時に、フックがカギヅメを振るった。ウェンディはそれを避けようと後ろに下がり――そのまま、足を踏み外した。


 悲鳴もほとんど上げないまま、宙へ放り出される。

 その場にいた誰かが悲鳴を上げる。次の瞬間。

 ウェンディは、空中で抱えられていた。



 空を飛ぶ、ピーター・パンの腕の中に。

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