第15話 これが真デビュー!?

 こういう時は状況を整理しましょう……。


 少なくとも、王太子殿下がまたまた私をダンスに誘っているというのが、現実の様です…。

 さっきまで、シャルと王太子殿下が何故か・・・私の事で言い合いになっていたのも、理由はいまいち分かりかねますが理解は出来ました。

 ではなぜ今ここで王太子殿下が私をダンスに誘っているのでしょうか…。

 私が「社交に慣れるために出来る事から始めたい」とシャルの申し出を受けようとして、何故か全力で止められて今に至る…という事ですよね?

 では王太子殿下は何故私の行動を止める為にこの様な行動に出ちゃっているのでしょうか?

 しかも、しかもです。

 前の時とは違って片膝をついてのダンスの申し込みなんて、これ絶対断っちゃダメな雰囲気じゃないですか!?

 こんなの私の好きな物語でだって、本命のカップル同士がプロポーズなんかでやる様な事じゃないですか!?

 しかも王子様が!って、そういえば殿下は世間一般で言う王子様でした…。

 でも、まさか王太子殿下が私に……、何てことは流石の私でも期待しませんよ?

 そもそもこの人、つい先日まで私に興味の「き」の字も無かったじゃないですか???

 私、他のご令嬢方と比べてもそんなに美人じゃないって事位分かってるつもりですし…。

 シャルとか見たら、これぞ深窓のお姫様!妖精!寧ろ天使なのではと思っちゃうくらい美少女だって分かりますけど。

 シャルは殿下の妹君だから今誘う場面じゃないとしても、私なんかじゃなくて広間にはもっともっと綺麗な方々がいるじゃないですか???

 ほら、先日のあのディアンツ公爵令嬢さんとか。


 クリスティーナが悩む事、ごく数秒。

 気付けば広間の貴族たちは、談笑しながらも二人の動向をこっそりと窺っていた。

 流石にこの前の様な会話の流れでは、「じゃあちょっと一回踊っとく?」みたいな軽いお誘いではない為、前回の様にきっぱりと断ってしまうのも色々な意味で後が怖い。


「クリスティーナ嬢、あまり深く考えなくて構いません。先ほども言いましたが、私の事は社交の練習と思って下されば良い」

 クリスティーナの表情から苦悩を読み取り、フィリクスは微笑んで言った。

「クリス、お兄様が折角仰っているのですもの。どーんと練習させて頂きなさいな。お兄様ほど社交に長けていらっしゃる方はそうそういなくてよ」

 ニッコリと微笑むシャーロットの言葉に後押しされ、クリスティーナがおずおずとフィリクスの差し出した手に自身の手を重ねると、彼は優雅に立ち上がりダンスホールの中央までクリスティーナをエスコートした。


 ダンス曲はレジェンディア王国内で最も知られるワルツで、ダンスの基本とも言われる曲だ。

 いつもクリスティーナがこれまでダンスの練習をする際には、邸で兄たちと踊る事しか無く、兄たち以外の異性と踊るのは初めてである。

 それ故クリスティーナはいつになく緊張してしまい、つい体に力が入ってしまう。

 彼女の身体をホールドするフィリクスにはそれが分かった様で、ふと微笑むと「練習なんですから気楽に踊りましょう。何なら、貴女の兄と思って踊って下さっても構いませんよ」と言った。


 緩やかなワルツの曲に乗せ、フィリクスのリードで踊り始める。

 始めは少し気構えていたクリスティーナも、フィリクスの安定したリードで徐々にリラックスして踊る事が出来てきた。

 彼のリードは、終始自分を気遣いながら踊ってくれているのがクリスティーナ自身にも分かる程の優しいもので、安心して身を任せられるようになり、リラックスできたのだと思う。

 

「とてもお上手ですね」

 フィリクスは自身の腕の中で軽やかに踊り始めたクリスティーナを見つめて言った。

「ありがとうございます…」

 クリスティーナは、初めて兄以外の異性と踊る事の気恥ずかしさから、なかなかフィリクスの方を見る事は出来ず、つい彼から視線を逸らしながら答える。

 しかしそんな彼女の仕草は、ダンスを見ていた人々からは会話が聞こえない事もあり、皮肉にも「王太子に恋する少女」の様に見えていた。

 そうした事から、この場にいた貴族たちに様々な思惑を抱かせる事になっていようとは、当人たちは気付いていない。

 しかし、そんな中でもクリスティーナがダンスでターンを決めたりステップを踏むたびに、彼女の纏うシフォン生地で出来たドレスの裾が揺れたり膨らんだりすると、まるでそれを着ているクリスティーナ自身が一輪の可憐な花の様に見える為、ダンスを見ていた人々からは感嘆の溜め息が漏れる。


「広間にいる皆が貴女に見とれているのが見えますか?この短時間でこれだけの視線を虜に出来るのはきっと貴女が素晴らしい魅力を持っているからなのでしょうね」

「それは、殿下が目立っていらっしゃるからであって私に見とれていらっしゃるわけではないと思いますけれど……」

「確かに、その理由もないとは言えませんが。先日から不思議だったのです。どうしてクリスティーナ嬢はそんなに謙遜…いえ、それより自身に無関心なのですか?私からしてみれば、あなたはこの広間に集まったどの令嬢にも引けを取らない立派な貴婦人に見えるのですが」

「……それは殿下がきっとお優しい方だからそうおっしゃって下さるのですわ。私は…殿下が思っていらっしゃる様な貴婦人ではありませんもの」

「…それは———」

「音楽が終わりましたから、今夜はこれでご容赦くださいませ…」

 そう言うとクリスティーナはドレスを摘み、フィリクスに向かって淑女の礼を取る。

 フィリクスはそれ以上クリスティーナには言葉をかけることなく、彼女が礼をして立ち去るのを見守る。


 クリスティーナがシャーロットの元へ戻ろうかと思っていると、目の前に一つの影が立ちはだかった。

 その影の主を確かめる為顔を上げ、クリスティーナはその場に固まる。

「クリス、これはいったいどういう事か説明をしてもらえるかな?」

 目の前には美しい微笑みを湛えた兄、オルフェンシアが立っていた。

 否、クリスティーナには兄がただ微笑んでいるわけではない事が分かっていた。


(オルフェお兄様、もの凄く怒っていらっしゃる…!?)


 クリスティーナがどうしたら良いか固まっていると、オルフェンシアの後ろからもう一人の兄であるアレキサンドリアが現れた。

「オルフェ、あまりクリスを追い詰めない様に。クリス、オルフェは貴女に怒っているわけじゃないんです。まあ、あれです。例えれば、思ってもみない所から大事なものを搔っ攫われたのが気に入らないだけですよ」

「アレクお兄様…」

「実際兄上だってムカつくでしょう!僕たちの可愛いクリスと殿下があんな衆人環視の中でダンスを踊るだなんて。今日は私が一番にクリスと踊ろうと思っていたのに」

「何か事情があったのでしょう。クリスが進んで殿下と踊りたがるとは思えませんからね」

 クリスティーナは兄の言葉にコクコクと頷く。

「あの、実は…「その件は」」

「わたくしからお話しますわ」

 クリスティーナの声にかぶせて放たれた言葉の主をサンテルージュ侯爵家の3人は一斉に振り返る。

 そこにはクリスとお揃いのドレスを纏う、妖精と見紛うばかりの美少女が立っていた。

「御機嫌よう。オルフェンシア様は以前お会いしましたわね。そちらにいらっしゃるのが、次期侯爵と名高いアレキサンドリア・サンテルージュ様ですわね?」

 扇で口元を隠しながら微笑み、シャーロットは言った。

 問われたアレキサンドリアはその場に片膝をつくと、軽く礼をして「このように間近でお目にかかれて光栄に存じます。王女殿下」と臣下の礼を行う。

「そんなに畏まらなくても宜しくてよ。先ほどの話ですけれどここでは人目もあります。そうね、アレキサンドリア様。わたくしと踊って下さるかしら?」

「……分かりました。王女殿下がそうおっしゃるなら」

 アレキサンドリアは立ち上がるとシャーロットに右手を差し出し、ダンスを改めて申し込む。

 シャーロットは頷き扇を閉じると、差し出された手を取ってアレキサンドリアのエスコートで広間へと向かう。


 その後ろ姿を見送りながら、クリスティーナは少しだけ不安になる。

「兄上なら大丈夫ですよ。少し話をされるだけでしょうから。王女殿下の顔を立ててクリスに事情を聴く事はしないけれど、頼むからあまり心配をかけないで欲しいかな。詳細は話せないけれど、また暫く外交で邸を留守にすることになりそうだからね」

「まぁ…。せっかく久しぶりに長く邸にいらっしゃったのに…」

「クリスは寂しいと思ってくれる?」

「当たり前です!お兄様が暫くと言われた時は本当に長い間いらっしゃらない時ですもの。この前そうおっしゃった時は半年だったわ」

 オルフェンシアはレジェンディア王国きっての名外交官として名高い。

 若干24歳にして、レジェンディア王国周辺にある国々の高官と切っても切れないパイプを有しており、ここぞという交渉が必要な時には諸外国を飛び回っている。その為、18歳でこの職に就いてからというものサンテルージュ邸に滞在している日は年に多くて2か月、あるかないかの状態だった。

「そうだったかい?まぁ、今回は半年とまではいかないだろうけれど最低でも3か月はかかりそうなんだ。手紙はいつも通り書くし、クリスが好きそうなお土産をたくさん買って帰るからいい子にしているんだよ?」

 オルフェンシアはそう言うとクリスティーナの頭を優しく撫でる。

「お兄様ってば、もう私もデビューしたのよ。いつまでも子供扱いはしないで」

「ふふっ、僕たち兄弟にとってはクリスはいつまでも可愛い妹だからね。さてと、おしゃべりはこれくらいにして僕とも踊ってくれる?」

 オルフェンシアはそう言うとクリスティーナの目の前に右手を差し出す。

「もちろん」

 クリスティーナも大好きな兄の右手に自分のそれを重ね、一緒にダンスホールへ進み出たのだった。




*********************************




 時は少し遡り、アレキサンドリアとシャーロットがダンスホールへ歩み出ると、クリスティーナとフィリクスのペアの時とはまた違う感嘆の溜め息が人々から漏れる。

 アレキサンドリア自身、フィリクスとはまた違うタイプの美形であった。彼は母親譲りの癖のないブロンドヘアーを少し伸ばし、瞳の色と同じエメラルドグリーンの細身のリボンで結わえ、切れ長で涼やかな印象を与える目元には細い銀フレームの眼鏡をかけている。その姿は正しく物語から飛び出した貴公子そのもので、周囲の女性たちからは熱い視線が注がれる。

 一方のシャーロットも、緩やかに波打つプラチナブロンドの長い髪をハーフアップに結わえ、瞳のアメジスト色に合わせた淡い紫色のシフォンドレスに身を包む彼女は、さながら物語に登場する妖精のようで、周囲の男性たちからの熱い視線を一身に集めている。実際、デビュタント前からシャーロットの美しさは国中に知れ渡っており、レジェンディア王国の至宝とも称えられる程で、その存在は国中の男性貴族の憧れだった。


「ふふっ、流石ですのね。噂で聞いてはいましたけれど、随分令嬢方に人気がおありですのね。わたくし、国中の乙女から嫉妬されてしまうかもしれませんわね」

「……殿下、ワルツの時間は限られていますのでご用件だけを」

「あら、つれませんわね。でも、良いですわ。では先にあなた方ご兄弟の知りたかった事を可能な範囲でお答えしましてよ。何でもお聞きになって。但し、わたくし自身が確証の無い件に関してはお答えし兼ねますけれど」

 そう言ってシャーロットはふわりと軽やかなターンを決める。

「…では、殿下は何故クリスにあの様なドレスを着せ衆人環視の前に差し出されたのかをお聞きしても?」

「そんなの決まっていますでしょう。女として、クリスのあの芋っぽいドレスが気に入らなかったからですわ。なんですのアレ。国中探してもデビューした令嬢にあんなドレスを着せる家なんてありませんわよ。よくもまぁ年頃の令嬢にあんな格好をさせたものですわね。クリスが幾ら純粋でお洒落に興味が無いからって、限度がありましてよ。今後一切あの様な格好をさせないと、わたくしの名においてサンテルージュ侯爵家の方々には誓って頂きたいものです。どのみちまたあんな格好をしようものならわたくしのドレスに着替えさせますから覚悟なさいな」

「……善処致します」

「衆人環視、という言葉は頂けませんけれど、それについてはわたくしの我が儘でしてよ。貴方なら知っていらっしゃるでしょう、わたくしがあえて・・・親しい友人を傍に置かなかったことを」

「ええ」

「クリスは趣味が合うということもありますけれど、それ以上に他の令嬢が私に近付く時に有している欲が全く無いということがとても貴重なんですのよ」

「そうでしょうね。クリスが他の令嬢と違うのは私も断言できます」

「わたくしは自身の今後の身の振り方が決まってしまった後も、クリスとは仲良しでいたいんですの。もしかしたらこの国の犠牲になるかもしれないわたくしの唯一の我が儘なんですのよ。その為に、今夜クリスを皆さんに紹介しましたの」

「それが私たちの大切な妹を危険に晒すかもしれないと、殿下なら理解なさっていると私は思っていたのですが、わたしの思い違いだったのでしょうか」

 アレキサンドリアは瞳に冷たい色を浮かべ目の前のシャーロットを見据える。

「あら怖いこと。勿論理解していてよ。でも、サンテルージュ家の令嬢だからというのも計算ずくでしてよ。あなた方・・・・なら、クリスを決して危険には晒さないと、守ってくれると期待しているのですもの」

「随分と私たちをかって下さっているのですね。ですが、私たち兄弟も万能ではないのですよ」

「…そうですわね。そればかりはクリスの力に任せる、というのが当初のわたくしの見解でしたわ」

「…過去形、ですか」

「ええ。もしかしたらもう一人クリスを守って下さる方が出来るかもしれないと思う方がいらっしゃいますわ。ただ、こればかりはわたくしにまだはっきりとした確証がありませんの。だから、必ずとはお答え出来兼ねますわ」

「そうですか…」

「もうそろそろ音楽が終わりそうですし、わたくしから最後に2つお伝えすることがありますの」

「なんでしょう」

「1つは今夜邸に戻られたら侯爵様から話されると思いますけれど、明日よりクリスにはわたくし及びわたくしのお母様のサロンに入って頂きます。クリスがお兄様と踊っていらっしゃる間にお母様と話して決めたのですけれど、クリスはもっと社交の場に出るべきですわ。お母様は先日クリスが王宮に滞在した時からこの件を考えていたみたいで、是非にと仰っていますわ。勿論今後はサンテルージュ侯爵夫人のサロンにもこれまで以上に参加することになるかもしれませんけれど、出来る限り参加した方が今後クリス自身が助かる事も多いと思いますわ。そしてもう1つは弟のエドワルド様にお聞きになるかもしれませんけれど、社交に慣れていないクリスにお兄様が社交の練習相手になると先程おっしゃいましたの」

「王太子殿下が…?」

「これは正式なものではありませんけれど、少なくともクリスが王宮に来た時には何かしらの事はされるのではないかと思いますわ。勿論、正式なものではない以上未婚の男女ですし、わたくしもその場に同席するとお約束致しましてよ。侯爵家としてはその点を理由に出されれば断る事は容易でしょうけれど、わたくしとしてはお兄様ほど社交の練習になる相手はいらっしゃらないと思いますの。それに、その辺の貴族の子息に任せるよりは、立場上お兄様の方が下手な事は出来ないでしょうから安心だと思いますわよ」

 アレキサンドリアとしてはシャーロットの提案に対して文句の付けようは無い程の好提案ではある。

「仰せの内容については私からも父…、侯爵へ伝えましょう。私個人としては全ての提案丸無視でクリスを守りたい所ですが、クリスを我が侯爵家の一員と考えた上で申し上げれば、これ以上ない程の提案ではあります。恐らく父も2つの提案を飲まれるでしょう」

「そう、それは良かったですわ」

 にっこりとシャーロットがアレキサンドリアに微笑んだ所でワルツは終わりを迎えた。

 互いに礼をして再び視線を絡ませる。

「では、例の件をよろしくお願い致しますわ」

 そう言うとシャーロットは背を向け、王族専用のスペースへと戻って行った。

 アレキサンドリアはそれを見送ることなく、今踊りを終えたばかりのクリスティーナとオルフェンシアの元へと戻るのだった。

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