極月の鴉
鐘方天音
第一章 発端
第1話
きっかけは、重さ約四グラムの一枚のハガキであった。送り主と内容はというと、見知っているようなそうでないような家の名があり、その家人の十三回忌法要を執り行うというものである。そのハガキを最初に見つけたのは、学校から帰宅した女子高生・
「母さーん、この
「ああ、あたしの遠い親戚。あたしのはとこだったか、いとこだったかの家」
母の桂子はフライパンの炒め物から目を離すことなく答える。
「何その曖昧な答え…」
「その家はねえ、あたしの家系の総本家に当たるんだけど、あんまり良い噂聞かないのよ。やたらプライドが高いとか、分家を見下しているとかね。今どき、十三回忌までやる家なんてそうそうないし」
桂子は面白くなさそうに続けた。つぐみは母の言葉に引っ掛かるものがあった。
「そんなに凄いの? 烏丸さん家(ち)って」
「何か、昔華族の端くれだったとかなんとか」
「凄いじゃん!」
「あくまでも端くれよ、端くれ。一回だけその家に行ったことがあるけど、ただ山ン中にデカいだけの屋敷があるただの田舎モンね。そのくせプライドだけは山のように高くって」
半ば吐き捨てるように桂子は烏丸家のことを述べる。一方で、つぐみの烏丸家に対する好奇心は火にかけられたカルメ焼きのように膨れ上がっていく。
「でもウチ、そんな由緒ある血筋でもあるんだ。平々凡々な家だと思ってたけど」
「だから、ウチはあくまでも分家! 分家なんてもう別物扱いよ。さ、手伝ってくれないんならあっち行って頂戴」
しっしっ、と野良犬を追い払うように桂子はつぐみを台所から追い出す。つぐみもハガキを手にし、文句を重ねられない内にその場をあとにした。
自室に入って鞄を机の上に置いたあと、キャスター付きの椅子に座ってじっくりハガキの内容を読んでみる。
時候の挨拶から始まり、丁寧に十三回忌が行われる時間と場所が記されている。結びの言葉が〝かしこ〟というところから分かるように、ハガキの送り主は〝烏丸葉子〟という女である。法要は葉子の夫〝烏丸良吉〟の為のものであった。――確かに、十三回忌というのはつぐみ自身、あまり耳にしたことが無い。精々七回忌までがよく聞く周忌であり、最近では七回忌も行わない家も多い。それほどまでにこの良吉という男は手厚く供養されているのか、とつぐみは勝手に想像した。
ハガキを目にした翌日、つぐみは学校で、友人の一人である
「十三回忌とは珍しいね。それも、わざわざ遠戚の君の家にまで案内状を出すんだ」
深花耶は不思議そうに返した。知性溢れる男性のような口調と反して、深花耶自身は凛とした美少女である。天然だという茶色みがかった黒髪は長くさらさらで、先を切り揃えて両サイドを一部編み込んでいる。亜麻色の大きな瞳は、常に冷静で理知的な眼差しをしている。それに比べるとつぐみは何の飾りもないミディアムの髪も瞳も真っ黒な、どこにでもいる十人並の容姿である。更に深花耶は成績優秀、博覧強記であり、その点でも深花耶には敵わないが、彼女のあけっぴろげな性格故か、つぐみが深花耶に気後れしたり、ましてや妬んだりすることなど一度も無かった。
「だよねー。ちなみにその親戚関係者からは評判良くない家みたいだけど」
「さしずめ、名のある旧家のプライドっていうやつだろうね。ここも田舎だからね、そういった家は多い」
「まだハガキのことしか言っていないのに、よく分かったねえ。お母さんも言ってたんだよ『山のように高いプライドだ』って」
「面白い比喩だね。でもそのプライド、案外〝本家〟という肩書だけじゃないかもしれない」
「どうして?」
「十三回忌までやる家は、地域差や宗派によって異なるかもしれないけれど今じゃ珍しい。その上、尊属外の親戚にまで案内状を出すってことは、盛大に行うということだろう。法要ってのはかなり金が掛かる。それこそ、財が無いと出来ないことだからね。だから、あながち烏丸家は名ばかり本家ということでもないということさ」
「言われてみれば確かに…。もしかしたら凄い家の血筋なのかも、私!」
「それで、どうするの?」
「へ?」
深花耶の質問に、つぐみは抜けた声で返した。
「十三回忌法要、行くのかい?」
「んー、どうしよっかなー…気になっているんだけどね」
「気になるなら行ってみればいいんじゃないかな。本家なら、つぐみのルーツも分かるかもしれないしね。ただ、法要の日が来月のクリスマス・イヴ…十二月十四日だから、浮かれることは出来ないけど」
「そっか! クリスマス・イヴかー…。狙ったような日に亡くなったんだね、良吉さん…」
「死ぬ日付を決められる人間は、自殺を除いていないよ」
笑いのツボに入ったのか深花耶は大口を開けて笑い、それにつられてつぐみも笑ってしまった。
深花耶に十三回忌のことを話してから一週間、つぐみの頭の中にある法要のことは記憶から少しずつ欠落していった。しかし、その消えかけていた記憶を拾い上げ、呼び戻したのは意外にも、母であった。
「つぐみー、ちょっと良い?」
溜め息交じりに呼ばれたので、つぐみは夕食後に見ていたテレビから目を離して桂子の顔を見る。先程から仕事関係者と携帯で話し込んでいるのは耳に入って来ていたが、テーブルの上に広げられた資料や手帳を見ると、何やら深刻な事態が発生したらしい。
「どうしたの?」
「来月の12月24日から30日まで、仕事でどうしても沖縄まで出張になっちゃったのよー…」
「うわー…年末なのに大変だねえ…」
つぐみは同情してそう返した。桂子は日本国内を専門とした旅行雑誌の編集者をしている。父は単身赴任でこの家にはおらず、時々桂子も取材の為に旅行に行く。つぐみも何度か幼いこともあって母の取材旅行に連れて行ってもらったことがあり、日本各地の観光地を楽しませてもらったことがあった。
「何度か断ったんだけど、結局あたしが行くことになっちゃったのよ…」
「でも、この寒い時期に沖縄ならちょうど良いじゃん」
つぐみは気休め程度に慰めの言葉を掛けると、桂子はきっ、と睨む。
「父さんも30日に帰って来んのよ。あたしがいない六日間、あんたどうするつもり?」
「子供じゃないんだから、一人で何とかやっていけるよ!」
「最近は物騒だから、一応女の子のあんた一人で置いておくのは心配なのよ!」
「一応って何よ!」
桂子の言葉にむくれながらそう返したところで、つぐみはふと、24日の十三回忌法要のことを思い出す。
「そうだ、24日ってさ、その烏丸さんの法要がある日だよね?」
「それがどうかしたの?」
「だからさー、その法要に行こうかと思って」
「はあ!?」
桂子は心の底から驚いたのか、一層甲高い声を出した。
「何でそこでその家の名前が出てくんのよ!」
「実は、前にハガキもらったときから気になっててさー。深花耶にも『行ってみればいい』って勧められたし…」
「やめときなさい! きっと行ったって碌なことないわよ」
「それは分かんないでしょ? じゃあ母さんが一回行ったとき、その烏丸家の人皆が嫌な人だったの?」
「…まあ、優しい人もいた…けど…」
発言の後半の部分は小さくなっていった。今回はつぐみが一枚上手であり、もうひと押しである。
「じゃあ、行っても良いでしょ? 来てもらう為に案内状はあるんだから」
そこで桂子は深い溜め息をもう一度ついた。これは、降参の合図である。
「もう、勝手にしなさい。でも法要って言っても一日だけでしょ? あと五日間はどうするのよ」
「それは深花耶とか、伯母さんの家とか…とにかく当てはたくさんあるから」
「はいはい、じゃあ連絡入れておくわ。くれぐれも、どの家にも失礼の無いようにね。あと、烏丸家に行って後悔しても知らないから」
「本家の人と仲良くなれば、後々得かもよ?」
つぐみはあくどく言ったが、桂子は無視して電話の方へと向かった。――後で分かったことだが、烏丸家の電話対応をしたのは使用人の女であったらしい。想像以上に財力のある本家に、つぐみは驚いて目を白黒させた。
◆
2012年12月24日の正午。つぐみはキンと凍てついた空気にちらちらと降る雪の中、烏丸家のある〝影山村〟に最寄りの駅から一台のバスに乗り込んだ。
ここから一時間半バスに乗って、それからは徒歩である、と桂子に聞いた。そのことを知っただけで烏丸家に行くことを早速後悔したが、更にそのバスも村からは二時間に一本しか便が無いと情報を付け加えられ、更に後悔した。しかし、キャンセルする勇気が桂子にもつぐみにも無かったので、行くよりも他に無かった。
モミの木でない木々が電飾に彩られ、少しでもクリスマスの雰囲気を出そうと頑張る駅前をバスは出発する。今頃桂子は飛行機の中に、友人たちはクリスマスのイベントやショッピングに行ったり、パーティを開いたりと、楽しい一日を過ごすのだろう。きっとお洒落をしている友人もいる。そしてつぐみはといえば、法要なので高校の制服姿である。その上には学校指定のダッフルコートとマフラーを着込み、百デニール越えの分厚いタイツ、レインブーツと、防寒・防雪の準備はばっちりである。
元々この地方は雪が多い方ではあるが、山間部は平地の倍以上の積雪である、とまたもや桂子が教えてくれた。世間と自分との対比をしたところでどうしようもない、と考えるのを止めてつぐみは窓の方に目を向けた。――曇っていて景色はぼんやりとしていた。
バスは段々と建造物よりも緑の多い景色の中を走って行く。もっとも今は、積雪で真っ白になっており、緑の代わりに白の比率が上がっている。
二、三人しか乗っていなかった客もいつの間にか降りており、気が付けばバスにはつぐみ一人しか乗っていなかった。道がしっかりと除雪されていないせいか、車内はガタガタと大きく揺れる。そんな状態が暫く――どれほど続いたのかはっきりしなかったが、やがてゆっくりとバスは止まり、終点・影山村に到着した。
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