おとなとにんげん

総一

第1話

僕は今、介護施設で働いている。



元々、介護に興味があったわけではなかったけれど、半年間勤めた会社を辞めた時、すぐに働ける場所を探したらこうなった。


勤めていたのは中小企業の人文書院という出版社だった。



第一志望だった帝國出版に落ちた僕はしがみつくようにそこに就職したのだけれど、うまくいかなかった。





「自分はこんなところで燻ってる場合じゃない。」




そんなふうに思って必死に努力した。




でも、中小企業でさえ二十三歳の僕にはうまくやるのは難しかった。




社長はどうしようもないほどに社長だったし、上司は圧倒的に上司だったし、先輩は絶望的に先輩だった。





遠かった。届かなかった。




あまりにも僕は小さな存在だった。







はじめは勉強することも楽しかったけど、なかなか仕事を任せてもらえない自分、信頼されていない自分を自覚するほど苦しくなった。





居ても居なくても、僕は変わらなかった。





それが辛くて、逃げるように今の職場に就職した。





他人の下の世話をするなんて考えられなかったけど、案外慣れるものだ。




うちの施設は業界の中でもホワイトな方だ、と神戸さんはよく言っていた。



神戸さんはとても気さくで優しい。たしか三歳になるお子さんがいたはず。



入職したばかりの時からよくしてもらってる。




「分からないことがあったらすぐに聞く。これ絶対ね!そのままにしない!」




オムツ交換、トイレ誘導、食事介助、看護師さんに報告するタイミングなどなど、たくさんのことを教えてもらったおかげで、今はなんとかなっている。






でも、やっぱりずっと何か引っかかってる感じが、僕の中にはある。




出版社への思い、帝國出版への思いがずっとある。



ようは引きずってるんだ。




「自分のやりたいことはこんなことじゃない!僕は出版社で、それも帝國出版で!」




 そんなことを考えたって仕方がないのはわかってる。わかってるけど、やっぱり捨てられない。




 業務は一通り覚えたし、ある程度は出来るようになったけど、その思いがずっと僕を苦しめる。




 仕事で失敗すると、「だから僕は帝國出版に受からないのか」なんて考えてしまうこともあった。




関係ないのはわかってる。それなのに考えてしまう。だから苦しいんだ。




泣いたって帝國出版に就職できるわけじゃない。それでも涙が出てくる。





こんなこと、職場の人には言えない。





本当に僕は弱い人間だ。







しかし、この介護の業界というのはすこし気味が悪い。




やたらと入所者様、利用者様、なんて呼んだりするし、さも「自分たちには大きなことが出来る」というような顔で介護の未来、医療の未来について熱く語る人が多い。



なんの資格も持っていない僕にだって出来るんだから。



無価値とは思わないけど、もうすこし自覚した方がいいと思う。



自分たちの立ち位置を。自分たちの市場価値を。


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