編矢紐短編集

ナズ森

第1話羽澄嘉は料理ができない

包丁は一度だけ握ったことがある。小学校高学年のときだ。調理実習で、カレーを作ることになったとき、同じ班の女子に「嘉くんはにんじん切ってね」とお願いされた。とても断れる雰囲気ではなかったから、初めて握るひんやりしたそれを、俺はなんの躊躇もなく思いっきり振り切った。結果。

「嘉くんは、お皿洗いお願いね」

手のひらをひっくり返したそのセリフに少しだけ腹を立てつつも、断れるわけもなくしぶしぶスポンジを握った。左手の絆創膏を貼った部分がズキズキ痛むけれど、気にせず洗う。幸い、食器洗いの才能はかろうじてあったようだ。しかしそれ以来、俺は包丁を握ることはなかった。


中学2年。また調理実習があった。今度はハンバーグを作るらしい。

「嘉くんは、ハンバーグのタネをこねてね」

タネとは何か。よく分からないまま、肉の塊をこねた。結果。

「嘉くんは、お皿洗いお願いね」

またである。確かに何故かみんなの目が嘘だろお前…と訴えかけてきたけど、俺は言われたとおりこねただけだ。あとから檬架に言われたことだけど、「嘉のあれはこねてるっていうか、握ってた」

ともかくそれ以来俺がハンバーグを作ることはなかった。代わりに、食器洗いの腕は確実にあがっていた。日々のたまものだ。

今思い返せば、俺は家で包丁もほとんど握らず、食器洗いの手伝いばかり頼まれていた。

母さんは気づいていたのだろう。

息子の料理下手に。


そして高校2年。調理実習。俺は食器洗いを立候補した。

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