羽澄くんと日野さん

ナズ森

第1話

教室の隅でひっそりと過ごす私には、彼は少しだけ眩しすぎた


満開の桜も散った、4月。高2のクラス替えで、仲の良いグループが着々と盛り上がる中、私はひとり取り残された焦りでいっぱいだった。唯一前のクラスでも仲の良かったバスケ部の南ちゃんは、同じ部活の子たちと話していて、とてもその輪の中に入れる雰囲気ではなかった。そうでなくても人見知りの私にはそんな勇気微塵もないのだけど。

こっそりとため息をつく。この時期は本当に憂鬱でしかない。ただでさえ部活に所属してなくて友達が出来にくいのに加え、口下手で、人見知りで、あがり症で…全く取り柄のない私。きっとこの1年南ちゃん以外とは話すことなく過ごすんだろうな…男子なんてもってのほか。生まれてこのかたまともに話したことなんてないんだから。なんて、いつものようにネガティヴモード全開で俯いているといつもと変わらず時間ぴったりに始業の鐘が鳴った。

つつがなく授業が進む中、ふと視線の先に舟を漕ぐ頭がひとつ…。…えーと、誰だったかな。自己紹介のときのことを必死に思い出してひとつ前の出席番号の人の名前を思い出す。

「(…あぁ、弓道部の)」

羽澄嘉くん。なんだかほわぁとした雰囲気で、長身なのに、全く威圧感がない。

それでいて天然で、クラスの自己紹介のとき、水泳部の七種芽夢くんの漢字が読めなかったのか、「へえー、なっしゅって読むのかと思った」と本人は独り言のつもりがなかなかの音量で言うしまつ。おかげで彼はすでにクラスで「ナッシュー」というあだ名をつけられている。

そんな不思議な羽澄くんが、絶賛居眠り中というわけだ。


ここで私に究極の選択が訪れる。起こした方がいいんだろうけど、その方法だ。彼は無害だろうが、極力男子とは関わりたくない。しかし、ここで起こさなければ先生に見つかって注意されかねない。でも、私ごときが羽澄くんの背中を叩いて、触れて、いいんだろうか…。ひとり悶々と悩み、辿り着いた結論は「服を軽くひっぱる」。これなら大丈夫だろうと先生が黒板に何かを書き始めた瞬間を狙って決行する。

くんっ

「………っ」

…あ、起きたかな。肩が少しびくってした気がする。ほっと胸をなでおろしたそのとき、突然目の前の頭がぐるんとこちらを向いた。あまりの不意打ちに頭が真っ白になる。どうしよう、怒らせてしまったかもしれない。糸目がちな彼は普段からあまり表情が読めない。だから、今も無表情に見えるのだけど

「〜〜〜〜〜」

今のって…。最後に少し照れ臭そうに笑って、彼は前へ向き直し板書をノートに写し始めた。

かく言う私は今起きたことを必死に頭の中で整理していた。声こそ聞こえなかったけれど、今確かに彼は「ありがとう」と言った…と思う。口パクを読み取る技術がないからなんとも言えないけれど、多分そうなんだと思う。胸の中が、ほわっと温かくなった気がした。


金曜日。委員会と教科委員を決める時間が設けられた。うちの学校ではどちらかに必ず所属しなければならなかった。

まず委員長を決めるらしく、これはさほど時間がかからずに決まった。

次に委員会。私は図書委員に立候補するつもりだ。去年もそうだったし、なによりひとりいれば十分なので気楽だ。教科委員のように毎日仕事があるわけでもないからね。

「じゃあ、次は図書委員やりたい人いますかー?」

委員長となった中川さんの声が聞こえ私は静かに手を挙げた。幸い、本に興味がないクラスなのか、私以外に手を挙げた人はいなかった。

「……他にはいませんか?では図書委員は日野さんにお願いします」

ふう。少し緊張したけど、なんとかノルマクリアだ。本当は、ここで無理にでも他の子と一緒の委員会とか教科委員になれば少しは友達らしい子が出来たかもしれないけど、生憎私はそんなチャレンジャーではない。本は好きだし、これでいいのだと自分を慰める。

そんなこんなでみんな何かしらの委員会に属し、さあお開きだと言うとき中川さんが「ん?」と綺麗な顔をこてんと傾けた。

「えっと……羽澄嘉くん!まだ委員会とか入ってないみたいだけど……」

「……あ、バレた」

……なんとなんと、確信犯であったか…。

クラス中がくすくすという笑いに包まれる。

「馬鹿ひろー!面倒いからってそれはなしだろー!?」

「えーーでもーー」

「でもじゃない!あー…ごめんね中川!他にどこか空いてる委員会とかないかな?」

七種くんが、羽澄くんのお母さんのように世話を焼いてるのを見てさらにみんなが呆れたように笑う。あの2人、もうあんなに仲良くなったんだ。

すごいなあ。きっと私が羽澄くんの立場だったらしーんとなるだろうに、こんな和やかな空気にしちゃうんだもんな、羽澄くんは少し特別な存在なのかもしれない。


中川さんが「えーと、ちょっと待ってね」とプリントと、黒板に書かれた誰がどの委員会かという副委員長の相澤くんの綺麗な字を交互に見始めた。ものの数分もかからないうちに分かったらしく彼女は耳を疑うようなセリフを吐いた。

「図書委員なら空いてるよ」

「おっ、じゃあひろは図書委員に決定な!サボるなよ〜〜」

「………ぁぁぁ」

羽澄くん、待って、頭を抱えたいのはこっちです。う、嘘だ…。

「そういうわけで、クラスの図書委員は日野さんと羽澄くんにお願いします。じゃあ時間も過ぎてるし、今日はここで解散!で、いいですね、先生?」

「はい。掃除がある人は確実にいくように!さよなら〜」

「「「「さよなら〜」」」」

ま、待って待って待って!私を取り残さないで!ど、どうしようよりによって男子と一年間同じ委員会なんて!せめて女子なら望みはあったけど、男友達なんてハードルが高すぎる!むり!まともに話せる気がしない…!

私が脳内パニックになっても周りはどんどん教室から出ていくし、教室掃除を始めようとしている。

これが八方塞がり…?

泣きそうになるのを必死に堪える。だってここで泣いたらさすがに羽澄くんに失礼すぎる。彼だって望んで図書委員になったわけじゃないんだ。だったら、書面上は図書委員でも、仕事は私1人がやればいいだけの話。うん、そうだ。彼は面倒くさがりみたいなことを七種くんも言っていたし、それで問題ないはず。

「あーー日野さん?ひとり変顔大会中ごめんね?」

「ひゃいっ!?」

羽澄くんが顔を覗き込んできた。この人、行動が予測不能すぎる。変な声だしちゃって恥ずかしい…!

「ふふ、あのさ、なんか勝手に決められちゃったけど俺頼まれた仕事は頑張るからさ、俺が忘れてたり、助けが必要なときはいつでも言ってね?」

「………」

「あれ?聞いてる?おーい」

ごめんなさい羽澄くん。一緒の委員会嫌だなんて思って。なんて良い人なんだろう。わざわざ私なんかのために話しかけてきてくれて。

「う、うん!あ、ありがとう…!」

「まだ何もしてないけどねー。一緒に頑張ろうね、じゃっ」

そう言い残して彼は教室から去っていった。今起きたことが信じられなくて、ひとり呆然とする。男子と初めてまともに話した。それも、そうなんだけど…。

「羽澄くん……あんな風に笑うんだ…」

心の声が漏れたのも気づかずさっきの彼の顔を思い出す。目尻が少しだけ下がり、口角も少しだけ上がる彼の笑い方は知らず心が温まるようで。ぽかぽかとした気持ちを私にさせた。


月曜日。今日は一斉委員会の日。クラスで決まった各委員会メンバーがそれぞれ自己紹介や仕事内容を説明される。

去年はひとりで参加した図書委員会も、今年は違う。

「ふぁふ……委員会って大変だね…」

「あはは、そうだね」

羽澄くん、まだ始まってすらいません。

なんとなく思ってたけど彼、少し、いやかなり面倒くさがり?

多少の不安を抱えながらも委員会は滞りなく進み、無事解散となった。

メモしたノートを鞄にしまう。隣では「んーっ」と思いきり伸びをする羽澄くん。

「思ったより早く終わったね。眠くなる前で良かったぁ」

安堵の表情を顔に滲ませる。

「そ、そうだね」

「日野さんは?このあと部活?」

「…あ、いや、私はどこにも所属してないんだ」

うぅ…隠してるつもりもないけど、あまり積極的にしたくない話題だ…。

「もったいない」「じゃあ勉強してるんだ」「バイトでもしてるの?」「暇でいいね」……決まり文句を聞きたくないのが顔に出てたのか分からないけれど、羽澄くんは「そっか」と言っただけでそのあとは何も言ってこなかった。私は少しだけ安堵した。


5月。このクラスはどうやら男女の仲が良いらしい。授業も男子が笑いをとったり、かと思えば秀才が完璧な答えを導き出して分からない人に教えていたり。近年稀に見る平和さ。しかし私の状況はあまり変わらず。たまに話しかけてくれる子もいるけれど、話し下手なせいで会話が続かず、相手が困ったように笑う…みたいなことが数回あっただけ。

唯一の救いは、南ちゃんが前と変わらず接してくれることだった。

さて、ところで図書委員会は週代わりで各クラスの委員が図書館で本の貸し出しの仕事をすることになっている。その担当が、我が7組にもやってきた。

………羽澄くんは、このことを覚えているだろうか。

覚えていたとして2人きりで仕事は気まずい。しかし覚えていないとして部活で忙しいであろう彼に「今週当番だから昼休みと放課後は時間空けておいてください」なんて言う度胸私にはない。もやもやもやもや朝から悩んだ。そして昼休み。

結論から言うと、羽澄くんは図書館に来なかった。

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