第6話 子守唄

喚きだした青年をノックダウンしてから少しの間私は勝利を喜んでいた。

いきなりよくわからないことで怒鳴られ、さらに乙女を言ってはならない言葉で傷つけたのだ。

脛を抑えて転がり回っている青年は酷く痛そうだが、自業自得だ。

転がりながら自分の行動を改めろ。

そう私は鼻を鳴らしてフェリルを連れ、この草原を後にしようと振り返った。


「畜生、何でだよ……」


だが、後ろから聞こえてきたその声に私の足は自然と止まっていた。

私が振り返ると、そこにいた青年は目に涙を浮かべていた。


「何を見ている!」


青年は私に見られていることに気づくとそう叫んで目元を強引に拭った。

先ほど浮かべていた涙、それがどうしてあふれ出したのか私には分からない。

この状況を見たならば、脛を殴られその痛みで溢れ出しただけのそんな涙だとそう判断すべきだったのかもしれない。

実際殴られた時青年は涙目になって転がり回っていたのだから。


だが何故か私にはその涙の理由がそれだけだとは思えなかった。


毎日どうしようもないことを抱えて、それでも日々必死に生きるしかなくて。そんな思いが、どうすることできないそんな目の前の現実に対する思いが溢れ出した、そんな涙に私は思えたのだ。

いや、そう言うべきではないかもしれない。

別に私は青年の流した涙と表情を見て、こうではないかと頭を働かせた訳ではないのだから。

私が青年にそんな風に感じた理由、それはもっと単純な理由だ。


ただ、涙を流していた青年の姿が、昔の私の姿に重なって見えたそれだけの。


そしてそのことを悟った時私は青年へと足を踏み出していた。






◇◆◇







「っ!来るなぁ!」


折角慰めてやろうと思って足を踏み出したのに、私の行動に対する青年の第一声はそんな乙女に発するにはあんまりな声だった。

………確かに突然脛を殴打するのはやり過ぎたかもしれない。

だが、それでも王子の怯えようはひどかった。

近く私から少しでも距離を取ろうと、必死に身体を動かす。

未だ私の殴打のせいでその動きはノロノロとしたものだが、顔には逃げようとする決死の覚悟が浮かんでいて、思わず私はそれほど痛かったか……と青年に声をかけそうになってしまう。


「フェリル」


だが最終的に私が口にしたのは頼れる友人への助けを求める言葉だった。


「クルル……」


フェリルは酷く疲れた様子で、だがそれでもきちんと私の呼びかけに応えて青年を翻弄してくれる。


「くそっ!こいつ!」


青年はフェリルにも苦手意識が生まれていたのか、やや過剰な反応でフェリルを退かそうと身体を動かす。

だがそれでも学習するタイプだったのか今度は私のこともきちんと注意していて……あ、私のこと気にし過ぎてフェリルにいいようにされている……なんか残念なイケメンだな……


「な、何をする!私が誰か……」


「いいから、黙って言いなりになる!」


そして今度も私はあっさりと青年を取り押さえようとする。

そのままいつもフェリルにやっているように膝に頭を乗せようとするが、抵抗するせいで上手くいかない。


「おとなしく、しなさいっ!」


「なっ!」


そして業を煮やした私は最終的に青年の頭を自分の胸元へと抱え込んだ。

その私の行動に青年が驚く気配が伝わって来るが私は気にしない。

ただ、青年を取り押さえようとして乱れた呼吸を深呼吸して整えて、


「ーーーーー♪」


「えっ?」


ーーー そして子守唄を歌い始めた。


頭を胸元に抱えるその抱きしめ方と、いつもフェリルにしている膝枕、それは小さ頃私によくお母様がしてくれたことだった。

その頃からお母様とお父様の仲は悪くて、そのせいで私はお父様に構ってもらえることはほとんど無かった。

さらに他の貴族の子供のようにお茶会に出ることも許されず、私はいつも1人で部屋に閉じ込められていた。

その時私はよく寂しさに耐えかねて泣いていた。


ー あらあら。大丈夫?お母様のもとにいらっしゃい。


そしてそんな時いつもお母様は私にそう言ってくれて抱きしめて子守唄を歌ってくれたことを私は覚えている。

抱き締めら、接したところから感じるお母様の体温はとても暖かくて、私はお母様の優しい子守唄を聴きながらその時は酷く幸せな気分で眠るのだ。

それがお母様の生きていた時の私の唯一の幸せな時間で。


ーーー だからその時の自分と同じような表情をした青年の様子を見た時、自然と私は私がお母様にされたように彼のことを抱きしめないとと、そう思ったのだ。


そして子守唄を歌う内に最初は抵抗していた青年の身体から力が抜けて行くのが分かった。

おそらく彼は酷く疲れていたのだろう。

いつの間にか、青年は酷く心地よさそうな安心しきった寝息を立てながら眠りに落ちていた。


「ふふ。こうして黙っていればまるで王子様みたいなのにね」


そしてその青年の寝息に私は何故か心が落ち着いて行くのを感じていた。

もしかして私を抱きしめていたお母様もこんな気持ちを感じていたのだろうか。


「クルッ!」


「もう少し」


そんな中、不機嫌そうなフェリルがこんなやつ早く起こせとばかりに羽で私に訴えて来る。

だが、そのフェリルの訴えを私は笑って断った。

青年の身体は思ったよりも重くて、さらにこうして座っている今も刻一刻と時間は過ぎている。


けれども、この疲れ切った青年の疲れがある程度抜けるまではこのままでいよう、そう私は決めてまた子守唄を小さな声で歌い始めた……

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