春こぼす
よしの
第1話
「清次郎さんはお元気ですか」
世間は花見だ満開だと賑やかしいというのに、神社には常緑樹が生い茂っているため未だ蕾だらけの桜木の下、突然声をかけられた。
清次郎は祖父の名だ。何と答えるべきか、そもそもこの素性の知れない女に正直に答えて良いものか考えていると、それを察したらしく、ごめんなさいね、と柔らかく謝られた。
「しばらくこの街を離れていたんだけど、戻ってきてから毎日お参りに来てるのに全然宮司さんの姿を見かけないから…。お孫さんよね?宮下楓ちゃん。」
たしかにここ2週間ほど、何度もこの人を見かけていた。見かけてはいるが、それ以前に会ったことはないはずだ。
「…祖父は一昨年、…いなくなりました。」
「いなくなった?」
「今の宮司は父です。」
あえて選んだ「いなくなった」という言葉に一瞬考えるような素振りを見せたが、いなくなった、と小さく呟いて下げていた視線を再び楓に向けた。
「祖父にご用だったんですか。」
「いえ、用というわけではなかったんだけど、昔からの友達でね。…そう、もう会えないのね。」
正しく伝わったようだ。先ほどよりも幾分眉尻を下げ寂しそうに笑っている。しかし、祖父と友達とは。目の前の女性は多く見積もっても30歳程度だ。
「楓ちゃんは、もう高校生?目元がお祖父さんの若い頃にそっくり。」
「来週、入学式です。」
「そう。おめでとう。もしかして、私立の高校?」
「はい…。」
この辺りに私立校は一つだ。なぜわかったのかは知らないが、たしかに思い描いた校舎は同じもののはずだ。受験の時に、家族皆が公立校にするよう反対する中、祖父だけが「良い学校だ。楓の行きたい学校にしなさい。」と味方してくれたのだった。
思い出すと胃のあたりから何かがせりあがってきそうで、思わず背筋をのばした。
「きっと良い学校よ。楽しみね。」
その人はにこりと笑って、またね、と一言残して帰って行った。
「八幡様の子なのに、そんなに弱くてどうする」
「泣いてばかりいたら神様に嫌われるよ」
昔から家の者は皆楓にそう言った。ただ、祖父だけは違った。「お前は優しい子だから、きっと神様が守ってくださるよ。」といつも温かく見守ってくれた。
だがそう言ってくれた祖父は、一昨年事故に遭った。脇見運転の車にはねとばされたそうだ。
神様は、結局優しい人を守ってくれなかった。
あの日の夕方、たまたま楓は気まぐれに犬の散歩に出た。なぜだか、たまたまそういう気分だったのだ。出かけてしばらくすると雨が降ってきた。傘を持って出なかった楓を迎えに行こうとした途中で、難に遭った。
何人かいる孫の中でも一番出来の悪い自分のせいで祖父は一生を終えなければならなかった。そう思うと、罪悪感よりも悲しみよりも、怒りで目の前が真っ赤になった。
どうして散歩に行こうなんて思った。
どうして雨なんて降った。
どうして迎えになんて出た。
どうしてそんな時に脇見運転なんてした。
どうして、助けてくれなかった。
結婚だ安産だ受験だなどと人の願い事ばかり神様に伝え続けた挙げ句にこの結果なのだ。あまりに呆気なく、無力だった。
ーーーーー
「ねぇねぇ楓!」
入学式を終え、先月まで中学生だったのに、もういかにも「女子高生です」といった雰囲気の少女が、目を輝かせて楓の席に走り寄ってきた。新入生特有の騒がしさの中にあっても、涼やかな声はかき消されることなくまっすぐに耳に届く。
多少の蛇行はしながらもそれなりに楽しく過ごした中学を卒業し、楓と幼なじみの花村亜紀は揃って同じ高校へと入学した。
式から数日は経っていたが、教室の中では生徒達それぞれが様子を見つつ、気の合いそうな仲間作りに勤しんでいる。そんな中、楓と亜紀は無事に同じクラスになっていた。
「聞いた?保健室の先生がめっちゃイケメンなんやって。見に行こー?」
関西弁混じりで、イケメン好きな亜紀が満面の笑みを向けてくる。
「え…保健室の先生が男…?」
そう問うと、亜紀は黒目がちな目を更に輝かせて、「見に行こー?カナちゃん達も見に行ったんやって、かっこよかったって言うとったんよー。」と、口調は柔らかいのにやけに強い力で袖を引っ張られた。
引かれるままにたどり着いた一階の奥にある保健室では、すでに何人かの女子生徒が中を伺ってはしゃいでいる。
「わ、やっぱり女の子いるね。なんか混んでるし、また今度にしない?」
「えー、せっかく来たんやから、もちょっとだけ見て…あ、見えた!」
保健室の入り口を塞いでいた3人組がその場を離れたことで、視界が奥行きを得た。
「イケメンっていうか、綺麗…?」
「ほんまやなぁ…。」
清涼な空気漂う真っ白な空間に佇むその人は、明るいブラウンの髪が優しい波を描いており、その髪が影を落とす中性的な顔立ちが、ほっそりとした身と白衣に映えている。
物憂げな横顔に見惚れようとした瞬間、その美形の背景にある時計が目に入った。あと1分で長針と短針が完璧に重なる。
「あ、時間…」
ばたばたと慌てて階段を駆け上がり、移動教室の集団をすり抜け、教師が来る前の教室になんとか滑り込むと、斜め前の席から亜紀が振り向いていたずらっぽく笑った。
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