「若柴日記」ある日の妻の疑問

@HARUPIN

第1話

「あなた・・・」

 呼ばれたので振り向いた。妻がいた。

「なになに、どうかした?」

 妻にちょっとどきどきする時がある。顔色を窺う(御機嫌か探る)どんな地雷を踏むか知れないからだ。

 妻はワード一つで全ての引き出しが開いてしまう。いつ、何が怒りのツボに嵌まるかわからないのだ。

 妻本人は記憶を司る海馬が活発→トラウマ→人が怖いから→脳疾患や後遺症(傷病・薬害)→やっぱり人が怖い→フラッシュバックなのかな?で結論付けたらしい。

「あのね、あなた。」

「はいぃ」

怖いし、可哀想だから低姿勢。今は逆らわない。

「わたしね、娘には」

 子供はまだない。

「正しい、素敵な日本語を教えたいの」

 言葉の最後だけ笑顔になる。

 正しい、素敵な日本語とは死語でしょ?奥さん。

「古代の昔から。万葉の昔から。素敵な色がたくさん生まれて、素敵な紋様や衣装が作られた。草に降りたアマ露さえ、目に浮かぶわ。まるでビーズ玉のように煌煌しい透明度」

 出た、文学少女。僕の奥さんがあらふぃふに片足突っ込みそうで若く見えるの、これのせいかな。

 少女時代に半身を残し、アンバランスな心と身体のまま生きている。だが、人の本質を見抜く分析力凄い。

 しかし自分でモヤをかけ、あやふやにし、見えない不安にし、彼女は敵に敗北する。人に興味はない。いや、人の持つ興味に関心がない。だから、ちょっかいを出されると混乱し、挑発に乗り、疲弊して負ける。

「みんなのこと好きだった。でもみんなは違かった。」

 人の持つ欲と幸せの度合いが、彼女の場合、慎ましすぎたのだ。

 弱みに付け込まれる優しさもある。何度もあるので、騙されていると分かっているが、彼女は引き返さない。

 相手が騙し屋だと自分の読みが正しかったと、ことが露見するまで、分かっていてやる天の邪鬼でもある。

 そして菩薩のような慈愛を持ち、僕のような男にさえ、おそらく少女の頃のままの愛情で接して来る。

 多分、妻を知る人間は、別人なのか本人なのか一瞬考えるだろう。良く言えばカメレオン女優。悪く言えば二面性で複雑、不安定な

人。とらえどころがない、であろう。

 この数年前だが、そんな彼女は今まで出会ったのは詐欺師症候群70%以外の30%の人間の皮を被ったサイコパスだったと納得した。坊っちゃん先生よろしく、学校は詐欺師泥棒養成所なのだと。

 そう自分に言い聞かせたのかも知れない。

「三つ子の魂百まで。仲良しごっこ倶楽部はガッコだけにしてよね。大人がやってるいじめ、子供のまんま。あんな醜女に娘になってほしくない。自分でやってて周りも知ってるのに恥ずかしくないのかなあ。周りも同じだしね。男も女も。その親も同じね。」

 何はともあれ、今の妻は溌剌さを取り戻している。いいことだ。

「ただ、わたしの画ではあの古代や万葉の太陽に愛された鮮やかな色も出せないし、わたしの文章では読む人の頭の中に映像化出来ないと思うの。」

 妻はうっとりして饒舌だ。

「うんうん。」

「なんで斜陽とか続 皆殺しの唄とかさ、活字だけで視覚化できちゃうのによ、わたしの頭の中では凄い映像なのに太宰治とか昔のスターとかの写真見るとなんだかがっかりするの。全然、実写わたしには格好良くないの。わたしの頭の中の映像は小説と同じ時代の筈なのに、あの頃の日本人の格好、良く見えないの。」

「ふんふん」

「若い頃の○村○俊みたいな格好してるけど、みんな今あの頃の自分の映像とか写真とか見たらどうなのかな。私だったら恥ずかしい。でもあなたもあの格好していたのよね。長髪にピタピタのシャツに裾開いたズボンとか。」

(妻とは二十歳離れている)

「あなたは恥ずかしくない?」

 当時の写真を見れば懐かしいし、妻に一緒に見られたら、まあ気恥ずかしい。

「白いツナギみたいなの着て、ラッパ裾で袖にマフラーの房みたいなのいっぱい垂らしたの着て平気?」

 若い頃の僕は某スターに似ていた。

「小説は素敵なのに。子供心になんて悲しい綺麗な愛なのって思ったのに。ああ、わたしの頭の中の映像をそのまま映像化出来る装置、誰か作ってくれないかしら。そんな人にノーベル賞あげてほしい。あと、見てる夢も映像化出来る装置。」

「・・・」

 (SF?)

 近未来30年でも無理じゃない?

 そもそも近代文学文豪とハードボイルド外して官能?化けてる○籔氏がテキスト同じ並びなの?奥さんの中じゃ。あの本が悲しくて綺麗な愛なのって思うか、どんな子供だったんじゃ。

 悶々とする僕。奥さんとの会話はいつも脱線、その広がりは無限だ。

「何作ってるの?」

 僕の手元を覗き込む。ジオラマの模型製作中。妻が義父と僕に買ってくれた、は○きるーぺのお陰で細かいぱーつも良く見える。

「細かーい。大変ねー。珈琲入れて来てあげる。」

「悪いねー。」

 顔が緩んでしまった。妻は自分の時間を取り戻し、心に余裕を持てるようになり、細かいビーズ玉やスパンコール、ボタン等の存在を思い出し、私と共通するぱーつの接着と言う苦戦を共にする戦友となった。

 過去にはサイコパスうようよな幾多の戦場をくぐり抜けて来た策士・宰相として強い絆を結んだのだ。妻の心遣い、こんな嬉しいことはない。

 珈琲のいい香りが鼻腔から眉間の裏に抜ける。良い香りがストレスを軽減すると言う。妻も僕もいつ死んでもおかしくない病を抱えている。

 見えない不安。それが命を縮める悪い奴等なのかも知れない。

 だが、娘を生むのだ。

「わたし、女の子を産むわ。今ではないけど、いつか産むわ。神様しか知らないことだけど。」

 妻が言うことはいつか真実(ほんとう)のことになるのだ。

 大丈夫。今日も明日も明後日もその後もずっと、僕達は珈琲を飲むのだ。



              一話  完

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