第25話 ある晴れた日に
二十五、ある晴れた日に
月の箱舟を倒して一か月。輝たちは、月の箱舟があった時と全く変わらない生活をしていた。屋敷に住む者も変わらずにそこにいた。皆、帰る場所をなくしていたか、帰る必要がなくなっていたからだ。
輝たちは相変わらず学校に行きながら、新しいシリンたちと出会うためにそこら中を旅してまわっていた。そんな生活にもすでに慣れ、学校の出席日数とミシェル先生の怖い顔を思い浮かべては恐怖におののいていた。ロビーにいる天使と悪魔のお茶会は楽しいものになっていた。カリーヌやカリムに混じって、たまにミシェル先生が来るようにもなった。休日にはドロシーを連れてやってくるソラートも加わって、天使と悪魔のお茶会は賑やかなものになっていった。クローディアとアイリーンは、そのお茶会をもっと楽しくするために、お茶を用意している芳江や瑞希に様々な注文を出していた。スコーンだけでなくパウンドケーキや、たまに月餅や羊羹、ゼリーや果物など、色々なものを注文していた。お茶も多岐にわたり、紅茶にしても産地をいろいろ選んだり、無数にあるハーブティーを取り寄せてもらったりしていた。お茶は瑞希が、お菓子は芳江が用意していた。
「ミシェル、輝たちはちゃんとさぼらずに授業は出ているのかしら?」
ある日、アイリーンがそう尋ねてきたので、ミシェルは問題ないと答えた。すると、その横でクローディアが笑った。
「少しくらいサボったっていいのに」
それを聞いたミシェルは、すました顔で緑茶を飲み、湯飲みを静かに置いた。
「その悪魔の誘惑には乗せませんよ。輝たちの管理はきちんとしていますから」
「おお怖。輝たちに同情するぜ」
ミシェルの本当の姿を知っているカリムが、肩をすぼませる。ミシェル先生を恐れているのは学校の生徒たちだけではなかったのだ。
「それにしても、こうも平和だと、平和ボケしそうね。またどこかに行ってみたいわ。町子たちが海に行ったように」
カリーヌが頬杖を突くと、ミシェル先生が注意した。カリーヌは背筋を伸ばすと、バツが悪そうに笑った。
「でも、海って言うのはいいアイデアね。もっとも、今はもう秋。常夏の楽園でもない限りどこへ行っても海開きはしていなさそうだけど」
アイリーンが出された羊羹を食べながら、喋る。それもミシェル先生に注意され、アイリーンは膨れてしまった。
「堅苦しいわ、ミシェル」
すると、体格のいいソラートが景気よく笑って、その場を明るくしようとした。
「ミシェル、少しは肩の力を抜いたらどうだ? 私を見てみろ」
「あなたは肩の力を抜きすぎです。ドロシーに影響でもされたのですか?」
ミシェル先生がすましていると、ドロシーも膨れた。
「なんかそれ、あたしがはしたない女みたいな言い方!」
「はしたないではないですか。頬杖などついて。足も、ソファーの上から下ろしなさい」
「はあい」
ドロシーはつまらなそうに膨れて、ミシェル先生の言うとおりにした。芳江と瑞希はそれを見て笑っていた。
「それにしてもどうして瑞希さんまで英語がおできになるんです?」
芳江は、輝を産んだときに、突然外国語ができるようになった。しかし、瑞希の場合は普通のシリンの母だ。実花でさえ英会話教室に三歳のころから通っていたのに、どうしてこんなにきれいな英語を、瑞希も話せるのだろう。
「実は、英会話教室に通っている実花からすべて教わっていまして。よく会話の相手をさせられていたんですよ」
「そうだったんですか」
母親二人はオホホホと笑いながら、自分たちの子供の話に花を咲かせていた。
そんなとき、ロビーの扉が開いて誰かが入ってきた。
往診を終えたナギとケンだった。
二人は笑い合いながら楽しそうに会話をして、こちらにやってきた。
ナギは今回の一件で海のシリンではなくなり、普通の人間の女性として生きていくことになった。ケンは少年の姿から中年男性に戻ることはできなかったが、その中間あたり、二十代後半くらいにまで戻って、そこで成長をいったん止めた。
「ケンはシリンじゃないのよね」
ドロシーがそう言って呼び止めると、二人はそろってお茶会の席にやってきた。
「うん、ここから年を取っていくんだ。ナギ先生と並べて嬉しいよ」
ケンが笑うと、ナギが横からすっとやってきて並べてあるお茶菓子を手に取った。
「これは柿のジャムだね。いい色だ」
スコーンに添えてあったジャムを手に取って、ナギは嬉しそうにその香りを嗅ぐ。そして、満足げにテーブルに戻すと、ケンと一緒に自室に戻っていった。
「今日の訪問者はこれだけか」
ナギとケンが行ってしまうと、カリムは少し寂しそうに呟いた。するとそこにいた皆が立ち上がり、お茶の片づけを始めた。
「あとはイーグニスさんの夕食が楽しみだわ。あしたは何かパーティーをやるらしいしね」
クローディアが背伸びをする。
「さあ、今日はこの辺で店じまいとしましょう」
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