パレスチナの月 4

 一行は、マフディとともに街で最も人気のない裏路地へと入っていった。輝は一度こういった場所でひどい目にあっていたので乗り気がしなかったが、今はシリウスやフォーラもいる。彼らが危険な場所を選ぶとは思えなかったし、また、やってきても大丈夫だという安心感がどこかにあった。一緒についてくる町子を見ると、彼女はどこか寂し気な雰囲気を漂わせていた。だが輝を見るといつものように笑ってくれた。

 マフディは、裏路地の奥に着くと、一息ついて皆のほうを見た。そして、胸に手を当てて一礼をした。

「夜の王シリウス、月の女神フォーラ、そして、見るもの、戻すものよ」

 マフディがそう言うと、彼の体からまぶしい光が発せられた。それは裏路地の暗がりを照らし、外の日の光に交じって消えていった。

 輝や町子が目を開けると、そこには一体の天使が片膝をついていた。

「我が名はガブリエル」

 マフディがいたはずのそこにいる天使は、そう言うと静かに立ち上がった。

「ガブリエル、熾天使のうち三人目ね、そうでしょ、町子ちゃん、輝君」

 フォーラはそう言ったが、何の動揺も見せていない。まるでこうなる前から分かっていたかのようだ。

「そうだけど、フォーラさん、まさか」

 フォーラは、輝の問いにひとつ、頷いた。

「分からないわけがないわ。マフディからはシリンのにおいがプンプンしていたし、第一、ジブリールの聖地で、その発端となった少年を助けてほしいって、いかにもガブリエルじゃない。ガブリエルはアラブではジブリールだし」

「そうだったの?」

 町子が目を丸くして聞いてきた。すると、今度はフォーラが目を丸くして町子を見た。

「セインから聞いていないの?」

 町子が頷くと、フォーラは呆れて、ため息をついた。目の前ではシリウスが、マフディの姿に戻ったガブリエルと何かを話している。

「例の町に、案内してくれるそうだ。こいつの正体も分かったことだし、いいよな」

 シリウスがマフディの言葉を代弁すると、一行は了解して裏路地を出た。すると、町の広場に何やら人だかりができている。行ってみると、そこには歌と踊りで町の人間の目を引く二人の少女がいた。このような町で大道芸などをしても、何の意味もないのではないか。輝はそう思ったが、何か嫌な予感がするとマフディが言うので、皆でその大道芸を見に行ってみた。

 すると、歌を歌っていたのはショートカットの少女、踊りを踊っていたのはロングヘアの少女。顔が似ているので双子だろうか。可愛い女の子だった。

「ユダヤ人だわ」

 小声で、フォーラがシリウスに耳打ちをした。ドイツ語だ。この町の人間にわからない言語でなければこのような会話はできない。

「この土地でユダヤ人が無事でいられるとしたら、おそらくはあの二人」

 シリウスが返した。すると、マフディが何やら尋常ではない様子であの女の子二人を止めに入ろうとした。フォーラとシリウスは二人で彼を止めた。

「まだだ。今はこらえろマフディ」

「町の人間を巻き込みたいの?」

 すると、マフディは急におとなしくなった。

「第二の聖地」

 輝は、マフディとシリウスやフォーラのやり取りを見て、少し考えた。

 ジブリールの聖地を作ったのがマフディ本人であれば、あの少女二人はこのパレスチナに第二の聖地を作るべく、マフディを挑発しているのではないか。そう思った。マフディの話はおそらく本当だろう。かれが大天使ガブリエルであったことがその証拠だ。

「彼女らは、おそらくこの町を第二の聖地にして、いままでジブリールの聖地だった場所を潰す気だと思う。これは推測なんだけど、マフディさんに執拗に絡んできたあの女の子たちがマフディさんの話す通りなら、彼女らは悪魔のシリンなんだと思う」

 輝は、あえてこの話を日本語で話した。今まで使ってきた英語では、ここで誰かに理解されてしまう恐れがあったからだ。

 そんな輝を見て、町子は少し落胆した。輝に落胆したのではない。自分に落胆していた。輝より先に能力を開花させた町子。なのに、今は輝にずっと後れを取っている、そう感じた。実際、ここに来て町子は何一つできていないし、意見もできていない。

 そんな町子の気持ちを察したのか、フォーラが町子の背中を押した。そして一回だけ、ウインクをして笑いかけてくれた。

 フォーラの笑顔で、町子はどこからか自分の中で元気が出てくるような気がした。暗い道を照らす月。それは、マフディが以前とっていたかもしれない、少年の姿につけられた月の効果と似ていた。フォーラがなぜここにいたのか、今の町子には分かる気がした。

 そんな町子とフォーラを見て、どこかに安心感を覚えたのか、マフディはシリウスに少し耳打ちをしてからこう言った。

「彼女らのうち、髪の短いほうはルシファー、髪の長いほうはサタンのシリンです」

「ルシファーにサタンか。とても強そうですね」

 輝はそう言うと、今度はマフディとシリウスの関係が気になりだした。先程から何かを話し合ったり耳打ちしたりしている。シリウスはそのたびに表情をこわばらせていた。何があったのだろうか。

 一行は、そんな輝の疑問を無視するように、二人の少女をそのままに町を後にした。マフディの案内するままに車に乗り込んで、ジブリールの聖地に向かった。

 少女たちは一行がジブリールの聖地へと発つのを見送るとすぐに歌や踊りをやめた。そして、早々に片づけを終わらせると、顔を見合わせて頷きあった。

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