パレスチナの月 2

 輝と町子がシリウスとともにパレスチナの土を踏んだのは、『ジブリールの聖地』ができて数日後のことだった。うわさはあっという間に広がり、パレスチナはおろか、近隣諸国にまでそれは広がっていた。

 シリウスは二、三回ほど、パレスチナに来たことがあるという。それでも事あるごとに変化する街並みに、戸惑っていた。とりあえず、地球のシリンがいそうな、常設の医療支援テントに行くことになり、情報を町で集めることになった。すると、シリウスが途中でふと足を止めた。

「無駄足か? ここに地球のシリンはいない」

 そう言って、ため息をついて周りを見渡した。

 街並みを確認する。ここにいるはずはない。ここに地球のシリンがいるのなら、今感じているこの大きな気配があるはずはないからだ。

 ため息をついたシリウスを不審に思ったのか、町子が尋ねてきた。

「どうして? シリウスさん、分かるの?」

「ああ、大体な。ほら」

 シリウスは答えて、自分たちの進もうとしている通りの真ん中を指さした。すると、アラブの女性の着る服を全身にまとった女性が静かにこちらに向かってきた。

 その女性が近づいてくると、シリウスは呆れた顔をしてその女性の腕を握りしめてこちらに引き寄せた。

「あんた、そんなのが変装になると思ってるのか?」

 すると、女性は、顔を覆ったままこう答えた。

「変装じゃないわよ。郷に入れば郷に従えっていうじゃない」

 そして、そう言った後、顔を覆っていた布を全て取り去った。

 すると、きれいな金の髪が流れて背中の一歩前で止まり、白い肌が姿を現した。見慣れた顔、見慣れた声。

 フォーラだった。

「な、この女がここにいるってことは、あいつはここにはいない。納得しただろ」

「いや」

 輝は、どうして全く分からなかった。地球のシリンは月のシリンを嫌っているのだろうか?

「シリウスさん、俺には全く理解ができないんだけど」

 なんとなく納得した様子の町子を見ながら、輝はシリウスに質問をした。輝は町子のように覚醒した存在ではない。だから、なんとなく納得できるわけがなかった。

 輝の様子を見て、シリウスは少し考えるそぶりを見せた。シリウスは町子のことについてすでにある事実を掴んでいた。だからこそ、余計に輝のことが気がかりだった。

「まあつまり」

 少し、寂しそうに笑いながら、シリウスは輝にこう説明した。

「信頼し合っているってことだな」

 すると、町子がびくりとして、胸に手を当てた。俯き、青ざめた顔で地面を見る。

「町子、分かっているんだな、自分のこと」

 町子は、目をつぶって、頷いた。

 シリウスは、そんな町子を抱き寄せて、背中をたたいて、彼女が落ち着くのを待った。

「今はいいんだ。後でお前のおじさんにも聞いておいてやる。だから安心しろ」

 町子は、シリウスに抱かれたまま頷いた。フォーラも気づいていたのか、シリウスの行動に口出しはしなかった。輝は、余計に訳が分からなくなって混乱していた。

「地球のシリンと月のシリンが信頼し合っているってのは分かった。だけど、それと町子はどう関係あるんだ?」

「関係は、ほとんどないわね」

 町子の様子を見ながら、フォーラが言った。

「私と地球のシリンが信頼の糸で結ばれているのは本当よ。でも町子ちゃんが抱えている問題はそれよりもっと深刻かもしれない。今まで誰にも言えなかったことだし、気付いてあげられる人が理解するまでは分からない事実だから」

 深刻な事実。

 町子は、何か重篤な病気にでもかかっているのだろうか。それとも人には言えない秘密があるのだろうか。シリウスの言葉からは、前者のほうが強いような気がした。町子の伯父と言えば、医者であったはずだ。その伯父に相談するということは、何かの病気である可能性が高い。しかも人に言えない病気なのだ。

 輝は、迷った。

 これからどうやって町子に接していけばいいのだろうか。知らないふりをしたらいいのか、それとも気を使ってやるべきか。どちらにせよ腫れ物に触るように接することしかできなくなってしまいそうだ。

「輝君」

 真剣な顔で、フォーラが輝の肩に手を当てた。

「町子ちゃんとは今まで通りに接してあげて。病気でも何でもないのよ。でも、あの子は少し人より使命感が強かっただけ。周りの期待に応えようと頑張ってしまっただけなのよ」

 輝にはよくわからないことだったが、今までの町子を見ていたら、少しずつ、フォーラの言っていることが理解できる気がした。

 フォーラに促されて、輝は、町子のもとへ行った。そして、ゆっくりとシリウスから離れる町子の手を取って、皆の輪の真ん中にいざなった。

「町子、行こう。次はアメリカだ」

 輝がそう言って、町子が涙をぬぐったその時だった。

「待った!」

 大きな声で、待った、と声がかかった。

 四人はびっくりして声のした方向を見た。するとそこには一人の青年がいた。アラブ人の青年だった。瞳の色は見事な金色。フォーラに劣ることのない金色だった。

 青年は、びっくりする四人の旅人に向かって、頭を下げた。

 そして、こう言った。

「お願いだ、パレスチナの月を、取り戻させてくれ!」

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