青い薔薇 9
いつの間に眠ってしまっていたのだろう。輝は、目の前にぼやけた土壁が見えて、自分が目を覚ましたことに気が付いた。たしか、悪い男たちからローズを守ろうとして、返り討ちにあってしまったのではなかったか。ではここはいったいどこだろう。まさか、ジャンクたちの本拠地で、いまにも売られるのではないだろうか。不安に思って周りを見渡していると、誰かが輝の近くにいるのが分かった。次第に視力が戻ってきている。黒髪の男性だ。肌は黒くない。日本人みたいな色をしていて、輝より背が高かった。その人物は、輝が目を覚ましたことに気が付いてこちらを向いた。すると、輝はその人物を一目見て驚いた。
瞳が青い。それも深くてしっかりとした色だ。まるで宇宙に浮かぶ地球のような、見事なコバルトブルーだった。東洋系の人間でこんなにしっかりした青の瞳を持つ人物など、見たことがない。
「目を覚ましたか」
その人物は、そう言って輝に笑いかけた。その笑顔に、輝はホッとした。この人は相当な美形だ。すごくカッコよくて強そうだ。おそらくここはジャンクなどではないだろう。でなければ、こんなカッコいい東洋人が、着ている服にしわ一つない状態で輝のそばにいるはずはない。
では、この人が輝たちを助けてくれたのだろうか。強そうだから、あれくらいのごろつきなど相手にもならないだろう。筋肉ダルマではないが、強そうだ。なぜかとても、その部分においては信用していい気がした。
「ここは? あなたは誰なんです?」
輝の質問に、強そうな東洋人は答えた。
「ここは、ローズの家だ。今、彼女はお前の体に塗る薬を調合しに行っている。それと、俺のことなんだが」
起きたがっている輝を助け起こし、強そうな人は言った。
「輝、お前とローズの二人だけの秘密にしておいてほしい。いまは」
「しかし、それでは」
この強い人の瞳の深い青は、ローズの薔薇の色とよく似ていた。彼女と何か関係あるのだろう。でなければ、あんな瞳の色をした東洋人など見たことがない。彼もまたシリンなのだろうか。
「もしかして、あなたは、ローズさんと同じ薔薇のシリンなんですか?」
すると、その質問に、強そうな人は丁寧に答えてくれた。
「ふつう、一つの媒体からは一つのシリンしか生まれない。青い薔薇のシリンならば地球上にはローズ一人だけだ」
「そうなんですか」
輝がそう答えて考え込んでいると、強そうな人は、輝の体に巻いてある包帯を替えると言って、輝の着ている服を脱がせた。輝は、自分でもびっくりするほど包帯が多いことに気が付いた。体はそんなに痛くないのに、包帯は多い。おそらく、打撲傷は少なく、表面だけの傷で済んでいたのだろう。
「遅くなってすまなかった。よく頑張ったな、輝」
そう言って、強そうな人は笑ってくれた。
ああ、なんだか懐かしい。この人と一緒にいると懐かしい気分になる。父親といるときのような気分、そして、学校でいつも一緒にいた友人たちといる気分。
輝は、この人のことが知りたくなった。ここで一時だけ出会って別れるだけなら、それは嫌だった。
「あの、あなたの名前は? 名前はなんていうんです?」
すると、強そうな人は首を横に振った。
「またいつでも会えるから、いいじゃないか。どのみちローズのことで俺もお前もしばらくここにいなければならないし。でもまあ、不便なら『おじさん』とでも呼べばいい」
「おじさん? お若いのに? それでいいんですか?」
強そうな人は、頷いた。そして、輝の包帯の交換を素早く終わらせると、こう言った。
「ローズ、入れ」
すると、頬を赤く染めたローズが、ひとつ咳払いをして、部屋に入ってきた。
「私は、薬を作って持ってきただけです。よけいなことはしないでいただきたいわ」
「なら、これはなんだ、ローズ」
おじさんは、そう言って、いくつかの新聞の切り抜きが貼ってある、スクラップブックをローズの目の前に差し出した。ローズが焦ってそれを取り戻そうとすると、おじさんはそれを輝のほうに放り投げてしまった。輝がそれを受け取ると、おじさんはそれを読めと言った。今の輝になら読める。確信して、輝はそのスクラップブックを開いた。
そこには、ありとあらゆる人間の悪行が貼り付けられていた。この辺の新聞の切り抜きだが、大体は野生動物の密猟の記事だった。
「どんなに強い獣でも、猟銃には勝てない」
輝がそのスクラップブックに見入っていると、ローズが、吐き捨てるように言った。彼女は嫌悪していたのだ。この世界に。
「金の欲に目がくらんだ愚かな人間もそうだけど、これを遊びだのスポーツだのといってやる人間がいる。生きるために他の命を殺すならばわかる。それは自然の摂理だから。だけど、彼らは違う。理由が傲慢なのよ。象牙や毛皮などなくても、人間は生きていける。遊びやスポーツなら、生き物を殺さずにできるものが山ほどある。なのに、人間は敢えてそれを、野生動物でやる。狂っているとは思わない?」
「たしかに、そうだけど」
輝は、スクラップブックを閉じた。とても見ていられるような内容ではない。こんなものを体感すれば、誰だって人間に絶望する。それは分かる。しかし、輝には、人間はそれだけではないと思えてきた。たしかに、人間は、彼女が絶望するようなことばかりをしている。密猟に限らず、戦争や虐待、欲が絡んだ事件や事故。挙げればきりがない。しかし、それだけだろうか。
「ローズさん、あなたの言うことはもっともだ。密猟は俺も許せない。密猟をする奴も許せないけど、その密猟で手に入れた象牙や毛皮を買い求める人間だって許せないよ。でも、だからって、人間に絶望して、こうやって新聞の記事をスクラップして批判していれば密猟は減るのか? ここで悶々としていたって仕方ないだろ。それに、あなたが絶望するほどまだ、人間は汚れすぎていないと思う」
「それは、あなたが日本人だから言えることよ、アキラ」
ローズは、輝の持っていたスクラップブックを手に取り、半ば強引に奪い取ると、そのまま部屋を出て行ってしまった。
おじさんはため息をつき、輝は、一抹の不安を覚えたままうつむいていた。
「あれが、薔薇が凍った原因なんですか」
輝は、うつむいたまま手を握った。彼女の闇を深くしてしまったのだろうか。輝は、不安と一緒に、自分への怒りがわいてきて、いてもたってもいられなくなった。
「さあな」
おじさんは、明確な答えを出してはくれなかった。ローズと同じシリンなら、彼女の気持ちくらいわかりそうなものなのに。そうだ、大体この人はシリンなのだろうか。シリンのことをたまたま知っている人間だというだけなのだろうか。このおじさんという人は、良くわからない人だった。輝のことを助けてくれたと思ったら、こうやって手を引く。いったい何がしたいんだろう。
「輝、ローズを救いたいか」
輝が考え込んでいると、おじさんはそう言って輝のほうを見た。堂々としている。先程のローズの行動にまるで動揺していない。
「救いたい」
そう輝が言うと、おじさんは笑いかけてくれた。すると、輝の心に何か灯がともった気がした。勇気が湧いてくる。なにか、できそうな気がしてくる。
ああ、これだ。
この笑顔だ。
輝が先程から感じていたのは、これだった。懐かしさとともに感じていた不思議な感じ。この人の笑顔には重さがあった。だから、勇気づけられた。
「おじさん、あなたが何者かは分からない。いろいろ分からないことだらけだ。だけど、あなたは何か俺と同じものを持っている気がする。ローズさんを救いたいって思うのもそのせいなんじゃないか。あなたは、俺と同じように、彼女を救いたいと願っている」
すると、おじさんは静かに笑って、こう返してくれた。
「ローズを救うのはお前だからな。輝、お前は、戻すものとしてここに来て、それでもこの境遇に納得できていない。周りのいいように物事を進められて、自分の意思は全く通らなかった。そうだろう」
輝は、頷いた。
もはやこの強そうな人が何を知っていて何を話していても気にならなかった。それくらい、輝の脳や心は、不思議な現象に慣れてきていた。
「まだ、納得できてはいない。町子たちのもとへ帰りたいとは思えないんだ」
「そうか」
そう言って、おじさんは立ち上がり、輝のもとを離れて小さな窓際に行くと、外の風景に目をやった。
「俺も、ずいぶんと迷ったな」
おじさんは、つぶやくようにそう言った。外の風景に目をやったまま動かない。
「その間に、多くの命が失われた。俺が吹っ切れていればこんなことにはなっていなかった、そう何度も思った。だが」
一つ、ため息をついて、その強そうな人は輝に向き直った。
「俺一人吹っ切れたところで変えられるほど、流れは小さくなかったんだ。導き出された結果はどんなことをしても同じ結果になる。世界は、自分の中に閉じ込めておけるほど小さくはない。輝、お前は戻すものである前に一人の人間だ。そのことを前提に、周りの人間たちに意見したことはあるのか?」
輝は、その問いに、あっと声を上げた。
確かに、輝は今まで自分が戻すものだという役割にだけ捕らわれていた。戻すものだからこんな目に合う、戻すものだから学校を退学させられた。そうやって何もかもを諦めてしまっていた。自分自身の問題を周りだけのせいにして、問題のすり替えをしてしまっていた。
そうだ、問題は自分自身の考え方や、行動だったのだ。周りのせいにするなら、なぜ、周りの人間にきちんと自分の意見を言わなかったのだろう。いったうえで否定されたなら、まだ恨む必然性はある。しかし、輝はなにもしていない。
「俺はさ」
冷や汗をかいてうつむき、両手を握りしめている輝に、おじさんは言った。
「受け入れざるを得なかったんだ。輝、お前みたいに選択肢や意見を言う余地が残されているわけではなかった。それでも、意思表示はしたかったから、せめて周りの言いなりにはならないようにと反抗し続けていた。だが、お前にはそれがある。自由があるんだ」
「自由」
おじさんのほうに目を向け、輝は口を開いた。噛みしめるように、自分の発した言葉を反芻する。
「あなたには、自由がなかったんですか」
その問いに、おじさんは静かに笑って答えてくれた。
「俺はいつでも自由だよ。今も昔も。だから、お前も自由だ、輝」
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