青い薔薇 4
それは、町子の祖父が彼女に送った手紙だった。しかし、この内容は何なのだろう。これでは、町子も、町子の友人である二人の女子も、そして輝も、皆学校や私生活を犠牲にしてやらなければならないことがあるかのようだ。そんなことができるのだろうか。輝には母もいるし、なかなか休むこともできないバイトや勉強もある。安定した生活を手にするにはどれも不可欠なものだ。それを捨てろというのか。
「読めたでしょ」
輝の青い顔を見て内容を理解したと悟ったのか、森高が手紙を返すようにと、手を差し伸べてきた。輝は、手紙を素直に返したが、心境はそう素直にはいかなかった。
「森高」
青い顔のまま硬直して、輝は言った。
「お前のおじいさん、いったい何者なんだ? どれだけ金持っているかは知らないけどさ、信じていいのか?」
その問いに、森高は笑って答えた。
「おじいちゃんは、安定した力を持っている英国の実業家。権力は嫌っているけど仕事はきっちりやるから周りからも信頼がある。それに、バックボーンが大きいから大丈夫だよ。とにかく、会ってみない? ゴールデンウィークにさ、英国行こうよ」
「ゴールデンウィークに英国って、簡単に言うなよ」
森高は輝の都合など何一つ考えていない。輝が今どういった状況にいるのか全く理解できていない。だからこんなことが言えるのだ。
輝はそう感じて気分が悪くなった。これ以上こんなズレたお嬢様と一緒にいると、自分までずれてしまいそうだ。
すると、森高は輝の手をそっと取った。暖かくて柔らかい手だ。輝の、ごつごつした手とはまるで違う。それはそうだ。生まれも育ちも違うのだから。
不機嫌になっている輝の顔を、森高はあえて見なかった。視線を自分が握った輝の手に落とす。
「ごめん。少し先走りすぎた。ゴールデンウィークに英国に行くってことは、輝は、部活もバイトも休まなきゃいけなくなるよね」
輝は、頷いた。
「まあ、そんなところだよ。それに母さんを一人置いて英国に行くなんて」
その先を言いかけて、輝はハッとした。先日のラジオ事件。あれはなんだったのだろうか。あんなに大掛かりな事件が起きても、何もなかったかのように過ごしている。みんなそうだ。この世界全体がそうふるまっている。
普通ならあんなに人がいる中で家が一軒燃えたら大事件だ。しかもその周りにいた人間はすべて何か人を傷つけるものを持っていた。そんな大掛かりな事件があって、みんなそれを忘れたかのような日常を送っている。
そして、その外にいるのが輝や町子たちだった。
そう言えば、あのラジオ事件の黒幕がまだ分かっていない。誰が、どうしてあんなことをしたのか。それを調べる必要もあった。
そのために英国に行くのだろうか。それとも、輝や町子のこれからに関して重要なことがあるから行くのだろうか。どのみち、行かなければわからないことだらけだった。
「森高、もしかして」
森高は、そう言われて頷いた。輝の言いたいことが伝わったのか、説明を求めていることに気が付いたのか。輝の表情を読んで、こう答えた。
「輝には、バイトや部活を休んでもらわなきゃならないし、最悪、やめてもらわなきゃいけないと思う。部活はまだしもバイトは続けられなくなると思う。それが『戻すもの』としての宿命みたいなものなんだ。そして、私もそう。そのために、おじいちゃんに会いに行くの。輝がバイトを辞めてもお金に困らないように、おじいちゃんは輝にお金をかける、そう言っているの。そして、輝のお母さんも英国には招待するって言っている。学校や部活を休んだ穴埋めも、英国にある有名高校や大学にいるおじいちゃんの友人や、家族がどうにかしてくれると思う。私の伯母や伯父も、相当頭いいから、輝の力になってくれるよ。いま、私たちが大切にしなきゃいけないのは、自分たちの生活を支えるこの世界。この世界を知って、守って、維持していくことが使命なんだと思う。私と輝だけじゃない。他のみんなもそう。でも、みんなそれぞれやることがあるから、できないから、私と輝がみんなの代表としてそれをやる。そういうことなんだろうと思うよ。だから、私と一緒に、英国に行ってほしい。おねがい」
もし、今のバイトを辞めてもやらなければいけないことがあってとして、もし、それを支援してくれる人がいたとしたら、輝はどう動けばよいのだろう。
輝は、考えた。
学校や部活を犠牲にして将来が成り立つだろうか。バイトを辞めてしまって、就職に響くようなことはないのだろうか。しかし、そんな将来も、もし、あの日の放火事件のように狂った人たちによって壊されてゆくのなら、輝の考える将来に未来はない。
いま、周りで起きていることは何なのだろう。おそらく輝やみんなの生きている世界はまともではない道を進んでいるのだろう。そうだとして、世界が選んでいっている道を正すものが輝たちならば?
いや、そうではない。本来世界があるべき姿を導き出すのは輝たちではないはずだ。
この間ソラートに聞いた話では、それを選択して監視するのは、因果律の外にいる地球のシリンだったはずだ。その存在が何もしないのならば、今の世界は問題がないことになる。
「森高、ソラートさんは、この世界を操っているのは地球のシリンだって言っていた。だったら俺たちに出番はないんじゃないのか?」
すると、町子は困ったように輝に笑いかけた。
「地球のシリンは、因果律は操らない。もしそんなことをしていたら、広島や長崎に原爆は落ちなかったし、ナチス・ドイツも存在しなかった。この世から悪という悪を排除できるはず。でもそれはやってはいけないことになっているの」
「やってはいけないこと?」
「地球のシリンは、確かにそういう力がある。でも、地球のシリンは支配者じゃない。ただ監視するだけ。もし、人類が選択した道を誤って滅んだとしても、それに手出しは決してしない。それが、人類が出した答えだから」
「じゃあ、何のためにいるんだよ、地球のシリンって。使わないんじゃ、その力を持っている意味がないだろ」
「意味はあるよ」
森高は、そう言って空を見た。彼女の良くやる癖だ。朝美と友子はそれを見てハッとした。森高町子が空を見上げるとき、それはだいたい、彼女自身が彼女を苛んでいる時だ。
「ただ、その意味が、すこし重苦しいだけ」
森高は、そう言って輝のほうに向きなおった。少し寂しげな瞳をしている。これで何度目だろう。輝はそんな彼女の表情を見ては、彼女のその瞳の原因を知りたくなった。
「いまは、俺には事情がよくわからないし、俺の将来がどうなるかも不安でしょうがない。でも、もし、これが本当に必要なことなら」
すこし重苦しい、地球のシリンの事情。それがいったい何なのかも知りたかった。森高の表情の意味も知りたかった。そして、なにより、自分の将来がどうなるかが不安だった。もし、安定した未来を選べないほどに世界が切迫しているのなら、もし、輝の考える将来にたどり着けないほど事態が進んでいるのなら。
だったら、輝には、理由がある。
英国に行く理由がある。
「森高、俺は英国に行かなきゃいけないんだろうな」
そう、輝は答えを出した。
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