第二十六話 過去を顧みる

「お前は、変わった娘だな…。鬼として恐れられている俺を、真っ直ぐなで見つめる…」

自分が里見家の姫だという真実を告げられて動揺した私はその後、前世の姿“琥狛こはく”と、蒼血鬼・蟇田素藤ひきたもとふじが出てくる夢を思いだしていた。明るい陽射しの中で、私はその男と語り合う。夢の中にいる私は、どうやら平安時代の貴族だったらしい。そして、鬼である素藤に攫われた事によって出逢ったのである。

 あの時の素藤の声は優しく感じられた…。多分、“琥狛”にとって最も幸せな時間だったんだろうな―――――――

夢の事を思いだしていた私は、なぜか胸が苦しくなっていた。それと同時に、自分の存在意義について、不安を感じるようになる。

「私…どうなってしまうんだろう…?」

狭子の心の叫びが、声になって出た瞬間であった。


「退屈そうだな、琥狛…」

「っ……!」

気が付くと、自分の目の前に蟇田素藤がいた。

「何をしに…来たの…?」

私は懐かしい気持ちと理性に苛まれながら、白髪の鬼を睨む。

しかし、疑いの眼差しを向けても、この男が持つ余裕の笑みがくずれる事はなかった。

「今、妙椿みょうちんはここにはおらん…。故に、お前の見張りをこの俺に命じていったようだ」

「…私を、犬士達みんなの元へ帰してよ…!」

この時、私は「絶対会話したくない」という強い意志を持っていた。

すると、素藤は本堂内にある段差のある場所に座り込む。

「事が済むまで、帰す事はできん。…最も、妙椿と縁を切った後は俺がお前を戴くがな」

「な…!?何を勝手な事を…!」

 何て、自分勝手な男性ひとなんだろう…!?

軽い苛立ちを感じながら、私はそんな事を考える。

「な…何…?」

すると、男は立ち上がり、床に座り込んでいる私の目の前にやってくる。

穴が開くぐらい顔を近づけられた途端、必死に目をそらそうとする狭子。

「っ…!!?」

その後、彼の手が頬に触れた瞬間…私の唇に柔らかい物が触れる。

なんと、顔を近づけてきた素藤は…そのまま私の唇に口づけをしたのだ。突然の行為に、頭の中が真っ白になる狭子。しかし、腕を縄で縛られているため、目の前からどかせる事ができない。しかも、この時にとても奇妙な事が起きていたのである。それは、以前にもこのような事があったような感覚を持ち…そして、私の中にいる“何か”が素藤の想いに応えようとしている。すると、素藤は更に厚い口づけを求めてくる。

 何…なぜ、私は抵抗しようとしないの…?

本来なら、狭子にとってこれはファーストキスに当たる。しかも、好きでもない男が相手のため、本当ならば嫌がって抵抗をするはずである。しかし、求められる想いに身体が応えようとしている。それは、私が本当に前世で“琥狛”だったからなのであろうか。数秒程、時間が止まったかのような静けさが続き、素藤はようやく唇を離す。

「…泣くほど嬉しかったのか?それとも…」

「え…?」

私は、この男をののしってやろうかと思っていたのに――――――気が付くと、無意識の内に一筋の涙を流していたようだ。

「…貴方が言う“琥狛”なら、そうなのかもしれない…。でも、私は“三木狭子”。過去世かこせいに何があろうと…関係ない。それに…」

「それに…?」

「こんなの…悲しすぎるよ…」

「…!?」

私は俯きながら、ポツリと呟く。

この時、普段はポーカーフェイスである素藤の表情が少し崩れた。狭子が口にした思いがけない台詞に、驚いたのかもしれない。

「私は、貴方の事を夢の中でしか知らないし、信乃達みたいに行動を共にしたわけでもない…。お互いがお互いの事を知らずにこんな事をするのは、悲しいし…虚しいよ…」

私の言葉を聞いた素藤は、何も言わずに黙っていた。

「…夢…か。成程、面白い事を申すな…」

「え…?」

黙り込んだ後、突然呟きだしたので、きょとんとする狭子。

すると、苦笑いをしながら、私の頬につたっていた涙を指ですくう。

「泣くな、琥狛…。今は帰してやれぬが、今しばらくの辛抱だ」

この時、私はこの台詞ことばが、心から述べた言葉ものだという事がはっきりとわかった。

 敵のはずだけど…変な男性ひと…だな…

思いがけない優しさに、戸惑いつつも安堵の表情を私は見せる。


「…素藤様」

牙静がぜいか」

それから数分後、この建物の入口付近に、彼の手下である牙静が現れたのである。

その突然の出現と、鈴茂林の事を思いだした私は、思わず身構える。しかし、彼らはそんな私の事は目に入っていなかった雰囲気で会話をする。

「頼まれておりました品をお持ちしました」

「うむ、ご苦労。…下がってよいぞ」

牙静から小さく包んだ風呂敷を受け取った素藤は、目で手下に合図をする。

すると、牙静はまるで瞬間移動をしたような勢いでその場から姿を消した。素藤は、その風呂敷の結び目をほどき、中にくるんでいた物を取り出す。一つは、紐でしばってある書物。そして、もう一つは―――――――

「それは…!」

「…見覚えがあるだろう?」

目を見開いて驚く中、白髪の鬼は“それ”を持って私の近くへ来る。

その手の中にあったのは―――――――――私が通っていた高校の生徒手帳だ。

私の生徒手帳は、制服と一緒に音音おとねさんに預けているから、“これ”は…

そんな考えが頭の中によぎった直後、この生徒手帳が自分の幼馴染・染谷純一の物である事に気が付く。私の思いを察知したのか、彼はその生徒手帳をパラパラとめくる。その最後のページには、制服を着た純一の顔写真が貼り付けてあった。

「…そういえば、貴方は純一の事を知っていたんだっけ?」

さっきまで涙顔だった私は生徒手帳を見たこともあり、気分も大分落ち着いてきていた。

「…左様。文明七年(=1475年)…あれに出会ったのは、今から8年ほど前の事だ」

「…そんなに、“昔”って感覚ではなさそうだけど…?」

私は、彼が本当に少し前の話のような口ぶりをするので、不思議そうに首を傾げる。

「俺は、この姿のまま500年は生きている…。故に、お前たち人の子とは違い、時を感じる感覚が異なるのだ」

「鬼だから…?」

私の問いかけに、否定も肯定もしない素藤。

“蒼血鬼”として生きてきたのだから、いろんな陰口やつらい事を経験してきたのであろう。それでも、“鬼”という言葉に複雑な想いがある―――――この時の素藤の表情かおは、まるでそんな想いを物語っているようだった。



「そっか…。貴方は、“この世界”の事を、純一から聞いていたのね…」

あれから、素藤は話を本題に戻したのである。

彼は、私に紐で縛った書物を見せてくれた。その書物には、下手くそな字ではあるが―――――『南総里見八犬伝』に纏わるまとめ書きが記されていたのである。

「…その男は、安房国あわのくに・富山で俺が発見した。それは、そいつが持っていた書物の内容をまとめた物のようだな。…これを見て、今の名前を知ったのだ」

私が書物を読み漁る中、素藤は“それ”を見つめながら、ボソッと呟く。

 私も借りていた八犬伝の本を読んで、書いたのね…

内心でそんな事を考える狭子。八犬士の事や、物語の発端・犬士列伝・関東大戦など――――世間一般で知られているような内容の全てが書かれていた。しかも、この時代の人でもわかるような古文でだ。また、この時に私は「これを見て、彼は今の名前を名乗りだしたのではないか」と考えていた。しかし―――――――――

「ねぇ…。純一は結局、どうなったの?現代…いや、先の世に帰れたの?」

私は、ふと思いついた疑問を尋ねる。

 …あれ?

普段ならば余裕そうな笑みを浮かべながら答える素藤。しかし、この時は何も言わないまま黙り込んでしまう。

あまりに予想外な行動に、戸惑う狭子。どのような答えが返ってくるのか、戸惑いつつも待っていると…少しの間だけ沈黙が続いた後、彼は口を開く。

「あやつは…死んだ」

「え…?」

その第一声を聞いた途端、身体が硬直する狭子。

「そやつ…すなわち、琥狛が申す“先の世から来た少年”は…どういうわけか、“蟇田素藤ひきたもとふじ”と相成り…呆気なく死んだのだ」

「純一が…素藤になって…!!?」

それを聞いた私は、目を丸くして驚く。

聞かされた真実は、不可思議であり残酷だ。原作に出てくる同名の人物は、里見家の浜路姫に恋慕するが叶わず、妙椿みょうちんと手を組んで、ひと悶着仕掛ける人物。その出生は、親兄弟のいない山賊の子だったという。

 何故、私が来た時期よりも前にタイムスリップしたのかはわからないけど…。とにかく、今目の前にいるこの男性ひとは死んだ人物―――――純一の名前を名乗っている…という事…?

私は白髪の鬼を見つめながら、ふとそんな事を考える。

“三木狭子”として見るこの男性ひとと、“琥狛”として見るこの男性ひと―――――いずれかの物かはわからずとも、この時の私は、彼に対して何か思う所があったのであろう。それは、とても胸が苦しくなっていたからだ。

再び泣きそうな表情をしていた私に、素藤は述べる。

「奴は、幾度もお前の話をしていた…。お前が、この書物にあるように右の耳たぶに黒子があり、五の姫とそっくりである事も含めて…な」

「…あんなに歴史が嫌いな奴が、私の事でそんな話を…」

ポツリと呟く狭子。

現代でもよく知る幼馴染が、もうこの世の人ではない――――――――その重く厳しい現実は、今の私には余計リアルに感じられたのである。また、この呟きと同時に『里見八犬伝』の本を一生懸命読みながら書物に書き記す彼を思い描くと、なぜか微笑ましく感じられていた。

この後、私はこの素藤を名乗る男との語らいを続ける。

 …最初に出会った時は怖い人だと思っていたけど、本当は…

会話の中、いつしかそんな考えが生まれてくる狭子。

こうして私は、囚われの身という事を一時忘れ、白髪の鬼から様々な話を聞く事ができたのである。

その一方で、行徳にいるであろう信乃達や、最後の犬士・犬江親兵衛いぬえしんべえらが動き始めているのであった―――――――――

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