フェーズ3
033 アリルゲダのデネッタ・アロックたち
【リプレイ/#Xサーバー/2024年10月21日/フェーズ4】
燃え盛る
デネッタのあとを追うように、無数の
10年前の戦争によって一度は失われた右腕は、今は
憎き霊帝を打ち倒し、醜い
デネッタの前に、数え切れないほどの不老の異邦人が、まるで雹のように降り立った。すべて、大霊の守護を得た、
大霊側達は、空気を擦るような耳障りな声で、何やら合図を送りあっている。デネッタは構わず、宮殿に向かって前進を続けた。
ひときわ大柄な厳しい甲冑を纏った大霊側が、デネッタの前に歩みでて、立ちふさがった。同時に、魔術で構成された氷の壁が現れる。
大霊側が何人もの力が重ねて発現したその障壁に向かって、デネッタは歩みを止めることなく神の腕を天にかざした。神の腕は掌から4つに裂けると、内から秘めていた白い閃光を放つ槍が姿を現した。
槍はうねる様に輝きながら、バチバチと鋭く弾けるような音を立てる。
デネッタはそれを裂けた4つの掌で掴むと、渾身の力で障壁に向かって突き立てた。
瞬間、障壁は砕け、白い雷は彼方の宮殿の門を打ち破った。遅れてやってきた激しい突風が大通りの上のものを巻き上げ、吹き飛ばす。
障壁の向こうで待ち構えていた力の至らない大霊側の何人もが、白い炎に焼かれながら消滅した。
その一撃を合図に、外天側と大霊側の不老の異邦人たちが、互いに攻撃を始めた。いたるところで激しい異能同士のぶつかり合いが起こり、あるところでは炎があがり、あるところでは凍てつき、あるところでは地が裂けた。美しかった町並みは、次々に瓦礫の山へ変わっていく。
デネッタはそんな周囲の様子を意に介することなく、前進を続ける。
数人の大霊側が、編隊を組んでデネッタに飛び掛かってきた。
真っ先に向かってきた大柄な大霊側の巨大な刃がデネッタの体を切り裂き、その影に潜んでいた細身の大霊側が素早く鋭い槍でデネッタを貫き、その向こうで狙い済ましていた小柄な大霊側の放った魔術を帯びた弾丸がデネッタの肩を穿った。
しかし、それは大したことではなかった。
デネッタの歩みを止めるほどのものではない。
次の攻撃に移ろうとしていた大柄な大霊側をすれ違い様に灰にすると、まだ人間の形をしている方の腕で細身の大霊側を掴んで小柄な大霊側に向かって亜音速で投げ飛ばした。2人の体はぶつかると同時に弾けて霧散した。
間髪開けずに別の編隊が躍り出てくるとデネッタに攻撃を加えはじめた。
先のグループよりも洗練された動きで、デネッタの必殺の攻撃を巧にかわしながら、僅かではあるが、しかし確実にデネッタへダメージを蓄積させていく。
だが、ついに支援を行っていたひとりがデネッタの白い槍に貫かれ消滅した。魔術による支援を失った編隊の動きは乱れ、間もなく全滅した。
空は赤く爛れ燃えさかり、都市は崩れて凍りつく。
外天側の不老の異邦人も、大霊側不老の異邦人も、まるで互いを求め合うように狂ったように争いあっている。
デネッタは歩みを止めない。
【リプレイ/#Rサーバー/2028年1月13日/フェーズ3】
豊暦588年。風の月。20日。
長い長い車列が、のろのろと王都へ向かって進んでいく。荷台の上で、遠ざかっていくアリルゲダを、デネッタ・アロック(27)は眺めている。
上空には、車列を護衛するように、無数の外天側の不老の異邦人が漂っている。
辛うじて人々の多くは助かったが、しかしアリルゲダの地は、大霊側の不老の異邦人たちによって、水が腐り大地には塩が浮いて、とても人が住めるところではなくなってしまった。
デネッタは失われた右腕の付け根を、そっと撫でた。先日の激しい戦いの際、不慮の事故によって絶たれてしまったのだ。いまは鎮痛剤と治療魔術でどうにか痛みが止まっている。
この先、いったいどうなるのだろう。
デネッタにはまったく見当もつかなかった。
ただ、なにか抗うことの出来ない大きな流れに、押し流されていることだけは、なんとなく分かっていた。
少し離れた車の荷台では、幼馴染の親友ルークが大きな声で、我らが神である外天コルーサーのために、霊帝の国に勝つためにはどうすればいいのかを、熱弁している。数日前に、外天側の不老の異邦人から力を授かったのだ、という話をしてから、彼は少しずつ人が変わりつつあった。前は、神様なんかあまり信じていなかったはずなのに。
翌日
王都の外に築かれた避難キャンプの片隅で、デネッタはぼんやりと、城壁の向こうにそびえる星王が住んでいるという神殿の尖塔を眺めていた。
王都は広大な森林に囲まれている。見たこともないような高さの、巨大な木が彼方まで鬱蒼と茂っており、陽の光はあまり届かない。明るく乾燥したアリルゲダにくらべると、ここはあまりにも暗くじめじめとしすぎていた。
ただでさえ住むところを追われてきて心が陰鬱としているところに、この環境である。周囲からは、深いため息と、すすり泣きが聞こえていた。
城門の方から、神官の服を着た男が兵士を数人引き連れて近づいてくるのが見えた。そうして、男は車の荷台に座っていたデネッタの前までやってくると、口を開いた。
「デネッタ・アロック、というのは、あなたかな?」
なぜ神官などという高位職の人間が、自分の名前を知っているのか疑問に思いつつ、デネッタは頷いた。
「ええ、そうですが……」
デネッタの答えを聞くと、神官の男はすでに十分過ぎるほど正されていた姿勢をさらに正しながら、わずかに首をかしげて言った。
「
聖痕、という響きを聞いたのは、何年ぶりだろうか。
そういえば自分にはそんなものがあったな、という程度の認識になっていたデネッタは、虚を突かれた思いだった。
「ああ、そうですね。子供のころ、首の後ろに出ました」
デネッタはそう言って、髪をかき上げると、神官の男へ首の後ろを見せた。
すると、神官の男と周囲の兵士たちは、感嘆の声をあげた。
そのまま、デネッタは星王に会うため、星王の住まう神殿の奥へと連れて行かれることになった。
ただ変わった痣を持つ女がいたというだけで、前を歩く神官も周囲の兵士たちも、一様に興奮気味だった。その自分自身との感覚の差に、デネッタは居心地の悪さを覚えた。
正門を越えてからずっと、一直線に歩き続けたデネッタの前に、綺麗に磨かれた濃紺の両開きの扉が現れた。
神官の男がなにやら告げると、扉はゆっくりと開き出した。
扉の向こうまで、今立っている紫色の絨毯は続いている。神官の男の背を追って、デネッタはゆっくりと、絨毯の上を進んだ。
真正面の一段高いところには大きな玉座があり、そこには新聞や本で幾度と無く見た、美しく輝く金色の髪をもつ星王ユグルタが、柔和な笑みを浮かべて座っている。
「聖痕を持つ女性をお連れしました」
神官の男はそういうと、恭しく跪いた。周りの兵士も、ほぼ同時に跪く。
視界を遮っていた神官の男が跪いたことで、デネッタは星王ユグルタの視線を直接受けることになった。
星王は真っ白なトーガを纏い、椅子の上にゆったりとした姿勢で座っている。
星王の左目は眼帯で覆われ、あるべき左腕と左足はそこになくトーガがだらりと垂れている。すべて、神に捧げられたのだ。しかし、そのような肉体であるにも関らず、星王の体は精気に満ち満ちていた。たしか、星王は自分よりも10歳ほど年が離れていたはずだが、同い年かそれよりも若く見えた。
「名前を教えてくれるかな」
星王は耳障りのよい柔らかな声で言った。
「私はデネッタ・アロックと申します。先日霊帝の国の不老の異邦人から襲撃を受けた、アリルゲダのレッドリバーから、王都へ避難してまいりました」
デネッタは落ち着いて答えた。
「アリルゲダのことは聞いている。とても痛ましいことだ。あの地が必ずや元の姿に戻れるよう、尽力しよう」
星王は目を瞑って、苦しそうにそう言った。
デネッタは黙って頭を下げた。
「失礼を言って申し訳ないが、こちらまで来て、君の聖痕を見せてくれないかな」
星王は再び柔和な笑みを浮かべて言った。
デネッタは玉座へ向かう数段ほどの階段を上ると、星王の前に立った。
これまでつとめて緊張を意識しないようにしていたデネッタだったが、いよいよ眼前に恐れ多い星王を前にして、デネッタは息が止まりそうな思いだった。
ずっと目があったままだった星王ユグルタが、促がすように目を細めさらに笑った。
デネッタは慌ててその場にしゃがみ込むと髪をかき上げ、首の後ろを星王へ向けた。玉座の壇の下で跪いている人たちと一瞬目があって、デネッタは目を閉じた。
「ありがとう」
星王の声が聞こえ、デネッタは立ち上がり、星王へ向き直った。
「今は亡き我が父アンティオクスも、さぞ喜ぶことだろう」
星王は少年のようににこりと微笑んだ。
デネッタは何と言ったらいいのか分からず、とりあえず相手を真似て笑顔を作った。
「アーティ、後のことはお願いできるかな」
星王は姿勢を変えることなく、どこへ向けてか分からない呼びかけをした。
すると、星王のとなりに、黒いローブを纏ったとても小柄な、ほとんど子供と言っていい人影が現れた。
いや、もしかしたら、ずっとそこに居たのかもしれないが、全く気がつかなかっただけなのかもしれない。それなりに高位の知覚遮断を会得しているデネッタですらまったく感知できなかったところからすると、相手はそれよりも遥かに上手の知覚遮断が使えるということになる。
「彼女はアーティエ・ウォークロウ。この国で最高の魔法使いだ。君の聖痕の力を、最大限に引き出してくれるだろう」
星王が喋っている間、デネッタはずっと、玉座の横で身動きひとつしないその小さな人影を見下ろしていた。
魔法使いの顔は全く見えず、どす黒く赤い長い前髪だけがそこから飛び出している。その子供のような体躯からは想像できないほどに、禍々しい気配が周囲に漏れ出ていた。
デネッタには、自分がこのあとどうなるのか、全く見当もつかなかった。
【リプレイ/#Aサーバー/2026年6月3日/フェーズ2】
豊暦578年。風の月。15日。
デネッタ・アロック(17)は、観光を終えた客の背中を見送ると、手の中にある奇妙な手触りの本を開いた。
中に書かれている文字はデネッタには理解できない、古の言葉で書かれていて、どのページを開いてみても、意味が全く分からなかった。
『ゾンビパウダーとその精製について』
この本を見つけた女性旅行客は、本のタイトルはおおよそそのような意味であると言っていた。ゾンビ、といえば子供向けの物語に出てくる動く死者のことだが、しかしゾンビパウダーというのは一体なんなのだろうか。
「それじゃあ、よろしくな」
父はデネッタの肩を叩くと、事務所の中へ入っていった。父には今日一日のお金の処理やら、車のメンテナンスやらの仕事が残っている。大型のサンドワームが遺跡周辺に現れたことや、それを不老の異邦人が10年ぶりに現れて撃退したこと、そして奇妙な遺物を見つけたことを報告するのは、デネッタがすることになっていた。
「デネッタ、おかえり! もう仕事は終わり?」
不意に背後から声をかけられ振り返ると、そこには幼馴染のルークが立っていた。どうやら彼は図書館からの帰りらしく、小脇に何冊か本を抱えている。
「いま終わったところ。変わった遺物が見つかったから、届けに行くんだ」
デネッタはそういって、持っていた本を持ち上げた。
するとルークは目を輝かせながら近づいてきた。
「遺物? ちょっと見せてよ」
ルークは本を手に取ると、最初のページを開いた。
「ええっと――、ゾンビパウダーについて……、そして精製のしかた……」
ルークは文字を指で追いながら、たどたどしく読み上げた。
デネッタは、まだ何も言っていないのにタイトルを読み上げられ、驚いた。
「読めるんだ」
「そりゃあね」
ルークは自慢げににやりと笑って見せた。
「この遺物さ、ちょっとだけ借りてもいいかな」
何ページか手早く読み進めたルークは、本から視線を上げることなく言った。
「まあ、別にいいんじゃない」
デネッタは簡単に答えた。このまま盗もうというわけでもないだろうし、届けるのが数日遅くなったところで、大したことはないだろう。
「やったね」
ルークは口角を大きくあげて、うれしそうに言った。
「ちなみにさ、そのゾンビパウダーっていうのは、なんなの?」
デネッタは、再び視線を本に落としたルークへたずねた。
「大昔の呪術で使った、死者蘇生薬だよ」
「死んだ人を生き返らせるの? なにそれ。そんなの迷信とか嘘でしょ。死んだ人を生き返らせることなんで、無理に決まってる」
デネッタは顔をしかめて言った。
「ところがさ、大昔の書物を読むと、ゾンビパウダーを使って死んだ人を蘇らせた、っていう話が、ちょこちょこ出てくるんだよ。もしもさ、この本で本当にゾンビパウダーが作れるなら、それって凄いことだろ?」
ルークは興奮気味に言う。
「そうだけどさ……」
「ほらここ」ルークは本のページを指し示した。「ゾンビパウダーの材料の基本となるものは、まず以下の4つである。それはパン。そして葡萄酒。桂皮。最後に銀貨。この4つ、分かるだろ?」
ルークは教師のような視線をデネッタへ向ける。
「死んだ人が、死者の国に持っていく物だよね」
デネッタは答えた。それらはすべて、葬儀の際に供えられるものである。
ルークは頷いた。
「そう。それに死ぬと、死体の重さがその直前とくらべて軽くなるって話、聞いたことあるだろ? あれも、魂に含まれるこの4つのものの重さが、肉体から失われるからだって、言われてるんだ。だから、ゾンビパウダーでもって、その失われた4つを、また戻す、ってことなんじゃあないかな」
ルークは若干早口になりながら言う。
デネッタには、その話が、迷信の類なのか魔術の類なのか判別できなかった。
そもそもそういった知識のない自分が悩んだって分かりはしないのだと思い、考えるのをやめた。
「ふうん……。まあ、よくわかんないけど、飽きたら私に返してね。一応役所に届けるときは、私から渡さないとややこしいことになるから」
「うん、わかったよ」
ルークはそう言うと、手を振った。
デネッタは頷き返し、再び役所へ向かって歩き出した。
【リプレイ/#Qサーバー/2025年8月28日/フェーズ1】
豊暦568年。風の月16日。
デネッタ・アロック(7)は、何人もの大人に囲まれて、とても居心地の悪い思いをしていた。大人たちはみな、怖い顔をしながらデネッタを見下ろしている。何も悪いことをしていないのに、どうして自分はこんな目にあっているのか、デネッタにはさっぱり分からなかった。
泣き出したいところだったけれど、必死にそれを堪えていた。大勢の前で泣くなんていうのは、小さな子のすることだからだ。大きくなった自分は、我慢しなければならない
お母さんがいれば、こんな時に「大丈夫だから」と抱きしめてくれたのに、とデネッタは思う。しかし、母はもう居ないのだ。死んでしまったから。
デネッタはしゃがみ込んで語りかけてくる母の姿を思い浮かべた。
しかし、いくら精確に母の姿を目の前に夢想してみても、それは瞬きとともに消えてしまう儚い像にしかならない。
とたんに、涙が溢れ出てきた。いくら止めようと思っても、その思いに反して涙は勢いを増し、デネッタはしゃくりあげながら俯いた。
そんなデネッタの頭を、父がそっと撫でた。
「しかし、うちの子に聖痕が現れるなんて……」
父は深刻そうな声で呟いた。
自分の首の後ろに、不思議な模様が浮き出たことが、この騒ぎの発端なのだが、デネッタは自分の体に出来たその模様を、まだ見ていなかった。見てみたい、などと言い出すよりも前に、大騒ぎになってしまったのだ。
「我らが神、外天コルーサーの祝福だ! きっと良いことが起こるんだ!」
誰かが、興奮した調子で言った。
「大いなる災厄が訪れたときに、きっと救ってくれるに違いない」
別の誰かが言った。
「こんな小さな子に、そんな色々期待するのは、酷じゃあないか」
さらに別の誰かが言った。
どこかで自分を呼ぶ声がした気がして、デネッタが顔を上げると、玄関先に友人の少年ルークが立って、心配そうにこちらをみつめていた。
友達に泣いている姿を見られるのが恥ずかしくて、デネッタは再び俯いた。
ルークが小さな声で「大丈夫?」と声をかけてきたが、デネッタは応えなかった。
しかし、ルークの存在に気がついたらしいデネッタの父は、デネッタをルークのほうへ向けて、背中を押した。
「ほら、ルークが呼んでる。外に行って遊んでなさい」
デネッタは友達に泣いている顔を見られるのがとても嫌だったが、しかしそれ以上に、大人たちに囲まれている今の状況が嫌だったので、渋々俯いたまま家の外へ出た。
ルークが後ろをついてくるのを感じながら、デネッタはあても無く歩いた。
「今日は天気がいいね」
ルークが後ろから言った。
「こんどね、町に劇団が来るんだって」
ルークがまた言った。
「お母さんがね、パイを焼いたんだって」
しばらくして、ルークがさらに言った。
デネッタは黙ったまま、立ち止まった。涙はいつの間にか止まっていた。
「……ねえデネッタ、パイ、食べない?」
ルークはデネッタの前に立とうとはせず、ただ背後からそう言った。
デネッタは黙って頷いた。
【リプレイ/#Mサーバー/2024年11月12日/フェーズ2】
豊暦578年。風の月。15日。
――突如遺跡の向こうに現れたサンドワームは、砂埃を上げながら恐ろしい勢いでデネッタと客に向かってきていた。
デネッタ・アロック(17)は、もはや知覚遮断を維持することは出来ず、がむしゃらに走ることしか出来なかった。頭上から雨のように砂や小石が降り注ぐ。巨大な壁のような砂煙は、目前に迫っていた。自分達が本当にサンドワームの進行方向から逃れられているのか、もはや祈るしかなかった。
どれだけ走っただろうか。いつの間にか轟音は背後に過ぎ去っていた。
デネッタは岩場の上に上がって、振り返った。
そうして、デネッタは絶句した。
先ほどまでそこにあったはずの、古い都市の遺跡が、まるごと消え去ってしまっていた。サンドワームが通り過ぎた後にできた大穴に、すべて飲み込まれてしまったのだ。
デネッタは、自分がいた場所とは反対側の、図書館の跡にいたはずの父の姿が見えず、身を乗り出して叫んだ。
「父さん!」
しかし、それに応じる声はない。
デネッタは駆け出すと、先ほどまで父が居たはずの図書館跡へ向かった。
足場の悪くなった遺跡の跡をどうにか越えて図書館の跡へやってきたが、父の姿は見当たらない。デネッタは何度か叫んだが、父が応えることはなかった。
すると、どこかからうめき声がした。
デネッタは反射的に声がしたほうへ走り出した。
そこには、先ほど父と一緒に居た、女性客が倒れていた。
「大丈夫ですか?」
デネッタは女性客へ駆け寄ると、しゃがみ込んだ。女性は砂埃にまみれてはいるが、出血している様子はなかった。
女性客は何度か咳き込んだあと、喋りだした。
「私は大丈夫です……。だけど……」
女性客はそう言って、デネッタの背後に視線を向けた。
デネッタは視線を追った。先にあったのは、倒れた大きな石柱だった。
何か頭に重くのしかかってくるのを、デネッタは感じた。もやもやと広がるその重いものは、自分の中で急速に拡大していく嫌な考えを打ち消そうと躍起になっている、『想像したくない』という願いだった。
しかし、そんなデネッタの願いも虚しく、デネッタの目は、石柱の下からこちらに向かって飛び出している腕を見つけていた。
デネッタはゆっくりと立ち上がった。
「私が下敷きになりそうだったのを、突き飛ばして、助けてくれたんです……」
背後で、女性客が涙声になりながら言う。
石柱から飛び出している腕の周囲には、徐々に砂に吸い込まれていこうとしている、夥しい量の血で溢れていた。
デネッタはその場にへたり込んだ。
父の手を掴む。辛いときに撫でてくれた父の手。戸惑っているときに背中を押してくれた父の手。それは今、デネッタの手の中で、砂と血にまみれ、決して動くことがない。
こんな時に助けてくれるのが、奇跡を起こしてくれるのが、神ではなかったのか?
神は何をしていたのだ?
デネッタは空を仰ぎ、叫んだ。
【リプレイ/#Lサーバー/2027年4月23日/フェーズ3】
豊暦588年。風の月。20日。
デネッタ・アロック(27)はルークの一家が経営する宿の、2階の屋の一室から、外の通りを見下ろしていた。
何人ものゾンビ化した人々が、まるで獣にでもなったように四肢を使って跳ね回っているのが見えた。
数日前から急速に流行しだした咳風邪によって多くの人が倒れていった。そして倒れた人々はゾンビとなり、生きているものを襲い出したのだ。
外を跳ね回るゾンビの中には、デネッタの父の姿もあった。父は早い段階でゾンビになり、すでに多くの人を傷つけて回っていた。
ゾンビとなった父の動きを止めるチャンスは幾度と無くあったのだが、結局デネッタには実行できなかった。たとえ、それがもはや父ではないとしても、父の姿をしたものに向かって引き金を引くことなど、到底できないことだった。
背後で、ベッドに横になっていたルークが、苦しそうに咳をするのが聞こえた。
彼は、研究のために自分の部屋に長いこと引きこもっていたことで、長らく咳風邪にかからずにいられたのだが、しかし今朝、ついにその扉を開けてしまったのだ。
「今、何時?」
ルークは消え入りそうな声で言った。
「まだ昼前だよ」
デネッタは、ごく自然な雰囲気を装いながら答えた。
「ずいぶん日が傾いた昼前だね」
ルークはそういって、咳をした。
「そうかな」
デネッタは外を見下ろしたまま答える。
ルークは笑いながら咳き込んだ。
ルークがいくら咳をしても、デネッタに咳風邪がうつることはなかった。
なぜなら、デネッタには聖痕があるからだ。外天コルーサーのクソ偉大なる守護を与えてくれる聖痕は、デネッタたった一人だけを、しょうもない咳風邪にかからないという奇跡によって、守っていた。
デネッタは頭を掻き毟りたい衝動を抑えながら、ただただ無心で、外を見下ろしていた。果物屋のゾンビ化した女将が、物凄い勢いで通りを駆け抜けていった。
「……ちょっと、トイレにいってくるね」
ルークはそう言って、ベッドから立ち上がった。その足取りはおぼつかない。
「手伝おうか」
デネッタは立ち上がろうとした。
「いやあ、さすがにトイレくらいひとりで行けるさ」
ルークはそう言うと、にやりと笑って部屋から出て行った。
そのまま、ルークは戻ってこなかった。
嫌な予感がしたデネッタが手洗い場へ向かうと、そこには血を吐いて倒れているルークの姿があった。
デネッタはルークの名を叫びながら彼の体を揺するが、全く反応はない。
見ると、ルークの手には小さな瓶が握られていた。瓶の中には、わずかに緑色をした液体が残っている。それは以前にルークの部屋で見たことのあるもので、強い毒があるから、絶対に触らないように言われたものだった。
いくら体を揺すっても、ルークが目を覚ますことはなかった。
もう沢山だった。
自分ひとりがこうして生き残って、一体どうなるというのだ。
もう何も考えたくなかった。
頭に浮かぶのは、こんな悲惨な出来事を見てみぬふりをしている、自分の神へ対する恨みだけだった。
デネッタは背負っていた猟銃を口に咥えると、一瞬の迷いもなく、引き金を引いた。
デネッタの放った弾丸は、口蓋を打ち抜き、首の後ろにあった聖痕を貫いた。
しかし起こったことはたったそれだけで、デネッタの放った弾丸は自身の頭を打ち抜くと適わなかった。
デネッタはただその場で痛みに悶えながら、のたうつことしかできない。
手を伸ばし銃を探すが、どういうわけか、自分の猟銃は消え去り、跡形もなくなってしまっていた。
デネッタはただただ、呪うことしか出来なかった。
救いを与えてくれなかった自身の神を、奇跡を起こしてくれなかった自身の神を、外天コルーサーを、ただただ、無限に、呪うことしか出来なかった。
【リプレイ/#Fサーバー/2026年3月1日/フェーズ4】
豊暦598年。風の月21日。
デネッタ・アロック(37)は煮えたぎる怒りの泥濘の中で溺れそうになりながら、漂っていた。
自らがいまどのような姿をしているのかも、判然としない。
どこにいて、何があって、周りがどうなっているのか、分からない。
ただ、正面で回転する光の輪が酷く目障りで、潰してしまわなければならなかった。
あれは自分の神だったものだ。
自分を守ってくれるはずだったものだ。
家族を守ってくれるはずだったものだ。
友を守ってくれるはずだったものだ。
憎き偽りの神である外天コルーサーが、あそこにいるのだ。
もはや自分はなにも信じてはいなかった。信じることは愚かなことだったのだ。
心を預け、地平の向こうで見守ってくれていると信じ、闇の中で手を差し伸べてくれると願ったものは、ただの虚構にすぎなかったのだ。
何か小さなものがいくつも自分の体に攻撃を加えてくるのを感じたデネッタは、果たして攻撃者が何者で、自分のどこに攻撃が加えられているのかも判然としなかったが、とにかくそれが鬱陶しく、右手で払った。
右手はどういうわけか無数にあり、そのいくつかが小さなものを叩き潰し消滅させ、いくつかは千切れて飛んで行った。
どうやら自分は前進しているらしく、目障りな回転する光の輪は徐々に大きくなってきていた。
あれが憎い。
あれが憎い。
あれが憎い。
そう思えば思うほどに、それはデネッタに近くなり、そうしてデネッタの中の憎悪をより沸き上がらせた。
いくつもの小さなものを叩き潰し、握り潰し、磨り潰し、消し潰した。
そうするうちに、徐々に自分が小さくなっていく気配を感じたが、それは些細なことだった。
なぜなら、もはや回転する光の輪は、デネッタの手の届く場所にあったからだ。
その忌々しい光の輪を、外天コルーサーを、デネッタはありったけの自分自身で抱き寄せ、くわえ込み、噛み砕いた。
自分の中で、コルーサーが、大きく欠けるのを感じた。
これ以上ない幸福を感じながら、しかしまだそれが、コルーサーにとって決定的な一撃にはなり得ないことを理解していたデネッタは、どこまであるのか分からない自分のすべてでもって、コルーサーを破壊しようとした。
だが、それは叶わないことだった。
いつの間にか、それまであったはずの大きな自分自身の気配は失せ、デネッタはたったひとりの、やせ細ったただの人間に成り果てていた。
目と鼻の先で、巨大な回転する欠けた光の輪をもつ小さな人影が、デネッタを見つめていた。
その真直ぐにこちらを見据える感情のない瞳が酷く忌々しく、デネッタは憎悪の言葉を投げかけようとした。
しかし、できなかった。
なぜならデネッタは失われつつあったからだ。
デネッタは自身の体が少しずつ細切れになっていくのを感じていた。
それは痛みもなく、苦しみもなく、ただただ自分自身が拡散していくだけの、虚しい感覚だった。
やがてデネッタの思考はどこにも存在しなくなり、そして誰の目にもデネッタの姿は見えなくなった。
――こうしてデネッタは役目を終え、その月のそのサーバーのゲームから除外された。
【リプレイ】
デネッタ・アロックは敵である大霊ネブカドネザルを憎み、滅するために――
【リプレイ】
デネッタ・アロックは自らの神であった外天コルーサーを憎み、滅するために――
【リプレイ】
デネッタ・アロックは敵である大霊ネブカドネザルを憎み、滅するために――
【リプレイ】
デネッタ・アロックは自らの神であった外天コルーサーを憎み、滅するために――
【リプレイ】
デネッタ・アロックは敵である大霊ネブカドネザルを憎み、滅するために――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます