縁切り岬

 この歳まで親友と呼べるような奴のずっといなかった俺にとって、大学で出会った山下は本当に大切な親友だ。

 同じ相手と一緒に遊び、一緒に飯を食い、一緒に旅行する。そんなみんなが当たり前にやって来た事をこの歳になってようやく経験している訳だけど、それがこんなに楽しい事だとは思わなかった。


 今日は山下が美味いもの巡りに行きたい言いだしたので、この日本海側の港町まではるばる食い倒れ旅行に来ている。

 計画を立てたのは俺だけど、金がないと嘆く山下の為、出費を抑えるのには相当苦労させられた。

 さすがに山下に金を貸したりはしなかったけれど、安く行ける交通ルートを計算し、安宿を探し、安くて美味い名店を探し――

 結局、俺は計画を立てるのに土日をまるまる潰す事になった。とどのつまり、俺は山下にお金ではなく時間を貢いだのだと言えるかもしれない。まあそれも楽しかったのでいいだろう。



「なぁ福井、で、この崖ではいったい何が食べられるんだ?」

「食い物屋があるように見えるか?」

「見えないから聞いたんだろ? 何もないならさっさと次に行こうぜ」


 そして今、食い物しか見えていないような山下に、俺は大きくため息をついていた。

 今、福井おれと山下が立っているのは何たら岬という崖の上だった。まあここから更に500メートルほど歩いた所にある有名なラーメン屋が次の目的地なんだけど、延々と食い続けるのも苦しいので、腹ごなしの為に立ち寄る予定に入れておいた観光スポットだった。

 二時間ドラマなどでも時々使われるような有名な場所らしい。


 崖から眺める海の景色はなかなか見応えあると思うのだけど、海より団子な山下が、さっさとラーメン屋に行きたいとごねている。

 ちなみにここに来るまでにも相当の買い食いをしているため、俺はまだ食えそうにない。

 山下も同じ量を食べているはずなんだけど、こいつの胃袋はどうも鉄でできているらしい。


「山下、腹減ってるなら気にせず先に行ってていいから」

「根性ないぞ、福井。……しょうがない、それじゃあ俺は先にラーメン屋行ってっから、ついたらメールくれ」

「……たぶん、俺はお前がラーメン食い終わって店を出るまでここにいるよ」


 山下はやれやれとオーバーリアクションに首を振って見せてから、ラーメン屋のほうへと歩いて行く。

 本当にまだまだ食えるらしい。


 俺はここのラーメン屋は諦めて、次の店に備えて胃を休める事にした。

 特にやるべき事もなく、傍にあった岩に腰かけてボーっと海を眺め続ける。



 ――そのまま三十分くらい経った頃。


「お兄さん、ずっと海を眺めているけどどうしたんだい?」


 山下ではなく、五十代くらいの知らないおじさんに突如話しかけられることになった。

 おじさんは黄色いユニフォームのようなものを上から着ているのだけれど、ここの警備員か何かだろうか?


「え? えっと、ちょっと休んでるだけですけど」

「そうかい? それならいいんだけど。……若く見えるけど、お兄さんは学生さんかな?」


 妙に絡んでくるな。……まさか宗教の勧誘じゃないよな?


「ええまあ、大学生です」

「そうかそうか。大学は楽しいかい?」

「えっと、友達と待ち合わせしてるんですが、何か用ですか?」

「へ? ……ああ、ごめんごめん。不快な思いをさせるつもりはなかったんだ」


 俺の苛立ちを感じ取ったのか、おじさんは平謝りする。


「私はここで、自殺防止のための声掛け運動をしているんだよ」


 聞けば、ここには自殺希望者も時々現れるので、こうして時々ボランティアで見張っているのだという。俺がずっと崖から海を見つめていたので、心配になって声をかけたのだそうだ。

 自殺希望に間違えられたのは心外だけど、優しいボランティアのおじさんを責めるほど、俺の性格は悪くはない。俺はおじさんに許す事を伝える為、笑顔で「声掛け運動頑張って下さい」と伝えた。


「ありがとう。それにしても縁切り岬で友達と待ち合わせというのは、縁起が悪いんじゃないかい?」

「縁切り岬?」


 この岬ってそんな名前だったっけ?


「あれ、知らないのかい? ここは縁切り神社みたいな感じでね。

 ――なんでも昔、親友だと思っていた相手に彼氏を取られた女がここから飛び降りたって事件があってな。その女の幽霊が出て、悪い縁は切ってくれるんだそうだ」

「知りませんでした。向こうのラーメン屋のついでに寄ったので」

「ああ、あそこのラーメンは美味いからなぁ」


 それからしばらくラーメン談義をしたあと、おじさんは離れていった。

 ……やっぱ食べたかったな、ラーメン。



 その後、山下と合流した俺は美味いモノ巡りを続けた。宿に着いた時にはさすがの山下も胃袋が悲鳴を上げていた。当然俺も胃が重く、どこかに出かける気分になれない。

 そうして暇を持て余した俺は、暇つぶしとしておじさんから聞いた縁切り岬の話を山下に聞かせた。


「おいおい福井、お前はそんなに俺の事が嫌いだったのか?」

「そうだな、ラーメン屋に一人で行っちまうような奴は嫌いだよ」


 などと言って茶化し合う。

 まあ、こんな話を大学生にもなって信じる奴はいないだろう。


 そして夜十時過ぎ、明日朝一で港に行く予定だった俺達は、さっさと布団に潜ったのだった。



 *   *   *   *   *


 

 気が付くと、何故か夜の縁切り岬に立っていた。


 いつの間に移動したのか、どうやってここまで来たのか全く分からない。

 服装は宿の浴衣姿で、裸足だった。

 

 俺の目の前には山下がいる。

 山下は縁切り岬の先端、足を少し滑らせたら真っ逆さまに落ちてしまうような場所に立っていた。

 危ないぞと声をかけようとしたが、何故か声が出ない。

 ギリギリ手が届きそうだが、捕まえようとして驚かせてしまうほうが危険な気がする。


 どうしようかと戸惑っていると、今度は背後から妙な気配を感じる。

 恐る恐る振り向くと、そこには一人の女が立っていた。


 女は花柄のワンピースを着ているが、その全身はずぶ濡れだった。

 前髪が垂れているので表情は良く見えないが、血走った目が髪の隙間からわずかに見える。


 ――ああ、これが、縁切り岬の幽霊だ。


 何故かはわからないけれど、直感的にそうわかった。


「選べ」


 女が低く、くぐもった声で命令する。


「そこから親友を落とすが、それとも自分が崖から落ちるか、選べ」


 それは山下を殺すか、それとも自分が死ぬか選べという事。

 これも何故かわからないが、逃れられないし逆らえないという事だけはひしひしと感じさせられていた。


 俺は山下を、初めてできた親友を見る。

 山下はずっと海の方を向いていて、後ろで起こっている事には気づいていない。

 突き落とすのは簡単だ。やらなければ死ぬのは俺だ。

 俺は両手を震わせながら、山下の背中の方へとゆっくり伸ばし――


 その背中に触る前に、手を降ろした。

 できない。できるハズがない。

 初めての、念願の親友なのだ。裏切れるものか。


「押さないのか」


 再び背後から女の声がして、俺は自然と振り向いた。



 次の瞬間、女が俺の胸を、その小さな両手で押した。

 まったく痛みはなかったが、俺の体は紙風船の様に浮き上がり、すぐに重力に引っ張られて崖の下へと落ちていった。



 *   *   *   *   *



「うわああああぁぁぁ!」

「おい福井、大丈夫か!?」


 目を覚ました時、山下が俺の顔を覗き込んでいた。

 そこは縁切り岬ではなく、泊まった宿屋の一室だった。

 俺は単に悪夢をみていただけらしい。時計の針は深夜一時を過ぎた位で、あまり時間は経っていないようだ。


「だいぶうなされてたぞお前」

「そう言う山下も、なんか顔色悪くないか?」


 灯りをつけて山下を見ると、なんだか山下も調子が悪そうに見えた。


「あ、ああ、ちょっと変な夢を見てなぁ」

「変な夢?」

「ああ。崖の上にお前と妙な女がいて……」


 どくんっと。

 俺の心臓が脈を打つ。


「それで……それでどうなった?」

「いや、その…… その女に福井を突き落とすか俺が落ちるか選べって言われてな。……逃げようとして必死にもがいてたら目が覚めたんだ」


 それは、俺が見たのとまったく同じ夢だ。

 縁切り岬の、女の幽霊の夢……


「で、福井は一体どうしたんだ?」

「いや、俺も何か嫌な夢を見た気がするんだけど覚えてない」


 同じ夢をみたと言えば、山下はきっと怖がるだろう。俺は自分の胸の内にしまう事にして、覚えていないと嘘をついた。


「そっか。……けど、これはあれだな、寝る前に福井が縁切り岬の幽霊の話とかしたせいだ。福井が悪い」

「そうかもな、悪かったよ。――嫌な汗かいたしもう一度風呂に入って来る」

「あ、俺も行くよ」


 俺と山下は並んで風呂場へと向かう。

 幸い、この宿の風呂は夜遅くまでやっている。

 俺は縁切り岬の事を考えながら脱衣所で服を脱ぎ始め――


 ――そして自分の胸に、両手の形の赤い痣がある事に気がついた。


「おい福井、どうしたんだそのモミジ」

「……あ、ああ。さっき寝ぼけてた時に、自分でばちんと叩いたみたいだ」


 山下に見られてとっさに誤魔化したが、胸の痣は俺の手よりも一回りは小さく、俺が自分でやったはずがない。同様に山下の悪戯でもないだろう、なにしろ山下の手は俺よりでかく、この痣よりもひと回りは大きい。

 これはどう見ても、夢に出た女の幽霊の手の大きさだった。


 もしやと思って山下を見るが、既に服を脱ぎ終わっている山下の、その胸に痣はなかった。


「はは、馬鹿だな福…………」

「ん? どうした山下」

「い、いや何でもない。 ……俺、先に行くから」


 山下は突然目を逸らし、露天風呂の方へと足早に歩いていく。

 その直前、山下は俺の後ろを見ていた気がする。


 俺はまさかと思い、恐る恐る振り返る。



 しかしそこには鏡があるだけで、女の幽霊の姿はない。

 胸に両手の形の痣がある自分が、青い顔をして立っているだけだった。


「はぁ、脅かすなよ……」


 俺は安堵して小さくつぶやき、そして湯ぶねに向かおうと踵を返そうとして――



 ――そして気づいてしまった。



 鏡に映る俺のには、胸の痣よりひと回り大きな手の形の痣が、くっきりと残っていた。

 

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