止まった栞

@K_MaTsusaKa

止まった栞

「これ読み終わったから貸すよ、読むでしょ」

 そう言いながら先週発売した新刊のミステリ小説を差し出す。土日ぶりに見るそのクラスメイトは、机の上でマフラーを畳む手を止めて大げさに振り向いた。


 クラス替えで知るようになったこの友人と、こんな風に本を貸し借りするようになったのはいつからだっただろうか。きっかけは覚えていないが、劇的な何かがあった訳ではないのは間違いない。

 知り合ってからは半年以上が過ぎ、知り合いではなく友人と称しても差し支えない程度には仲良くなったつもりだ。こちらから貸すことが殆どだが、趣味が合うのだとわかって以来、こうしたやり取りは珍しくなかった。



 ありがとう、と返されて本を手渡し、先日の摸試の成績はどうだった、これなら今度の期末試験も安泰だ、などと会話を投げかけてみるとどうも歯切れが悪い。この様子だとあまり自信は無いらしい。

 そんなことを思っていると、間もなく始業という時間になっていた。


 自身の席に戻り、前方に顔を向ける。先ほど渡した本に栞を挟み、机の横に掛けていた手提げにしまうのが目に映った。



 貸した本を教室内で読んでいる所は見たことがない。おそらく通学中か、帰宅して家で読んでいるのだろう。そう遠くから通っているわけではない筈だが、大抵の場合貸した本は一週間しない内に返ってくる。貸した本は毎日持ってきている様子はないので、家で読んでいるというのが濃厚だ。


 今回も週末か、遅くとも土日を挟んで週明けてすぐにでも返ってくるだろう。

 そんなことを考えていると、英語の教員が黒板を端から消していることに気づいた。慌てて意識を手元のノートに戻す。

 家で読んでいるという予想を裏付けるように、翌日も、その次の日も、机の横に本を収めた手提げは見当たらなかった。






 その週の金曜日の部活終わり、忘れ物を回収しに既に全員下校した後の教室へ立ち寄っていた。目的を果たし、さて帰るか、という所でキラリと光るものが目に付く。そちらに意識を向けると、覚えのある手提げから天を覗かせる本と挟まれた栞があった。


 既に栞は随分後ろに挟まっている。随分と読むのが早い。もしかすると、もう読み終わって持ってきたものの返し損ねたのかもしれない。

 勝手に取るのもおかしいか、と思い本はそのままにして教室を後にする。そういえば今日も何度か会話を交わした筈、とも思ったがまあそういうこともあるかと深くは考えなかった。



 週が明けても貸した本について何か言うことはしなかった。しかし、帰りのホームルーム後、その当人がやけに急いだ様子で教室を去って行くのが気になった。

 貸した本への執心は自分でも驚くほど無かったが、未だ寒さの底を抜けない季節の中で、何とも言えない焦りが自分の中にあるのを感じた。






 次に会話を交わしたのは、翌々日の水曜日だった。もう少しで読み終わるから、と本当に申し訳なさそうに言う。それに対して気にしてない、と伝えるも様子は変わらなかった。

 放課後に学校で少し用事があるから、と言って何としても今日中に本を返そうとする。釈然とはしなかったが、部活終わりの時間に待ち合わせをして、その場は別れた。


 もう少しで読み終わると言って見せてきた本の中で、やはり栞は随分と後ろのほうに挟まっていた。




 本が返ってくるのが待ち遠しかった訳ではないが、その一日が過ぎるのは随分と遅かった。地理の教員は親切にも今度の期末試験での出題範囲を黒板にせっせと書き込んでおり、教室の多くがそれを必死に書き写している。一方で、教室の片隅ではこそこそとお喋りに興じているのも目に入る。

 今日は朝からみんな落ち着かない様子が目立つ。自分以外にも授業に身が入っていない者は多い。そうして夕方までの授業が過ぎていった。


 放課後になり、用事があると言っていた当人はまだ教室に残っている。友達と何事か熱心に話し込んでいる様子だった。放課後の用事とやらの詳細は聞いていないが、恐らくすぐには果たせないものだろう。いつもの様に部活へ向かい教室を後にする。

 その日の練習では、いつもより身体も重たい気がした。





 待ち合わせ通り下校路途中のバス停に着くと、いつもの手提げ鞄ではなく可愛らしい絵柄のプリントした紙袋を下げ、もう一方の手で持った傘で冷たい雨粒を受けていた。

 周りを気にしてか、バスを待つ列からは少し離れた所で立っている。その傍に恐る恐る近づくと、こちらに気づいて不安と緊張と期待を混ぜたような表情を向けた。

 その表情は確かに笑っているのだが、満面の笑みではない。これから人生最大の試練に挑むような、そんな覚悟を秘めた上で、笑顔を作っていた。


 そして、本返すの遅くなってごめんと前置きした後、


「好きです。付き合ってください」


 二月十四日、聖バレンタインデーの夜。隠し切れない恥ずかしさが漏れるように頬を紅く染めた彼女は、手に持った包みを差し出しながらそう言った。

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