第一話 異世界の殺人者
プロローグ
苦痛は、毒酒を飲んで一秒後にやってきた。
胃袋を、ざくざくと切り刻むような、猛烈な痛みが走る。何かが喉をせり上がってきて、抗う間もなく、ぶはっ、と口から血が吐き出た。手足がじんじんと痺れ、力を入れることができない。だらり、と下がった右手から、グラスが落ち、ぱりん、と割れて、中身が絨毯にシミを作った。
幸いにも、彼女がその苦痛を味わうのは、たったの三秒で済んだ。それ以降は、意識を失っており、心臓も停まっていたからだ。
浦有(うらあり)重楠(しげくす)が、フーダニット部の部室である多目的室Aに到着したのは、午後三時四十分のことだった。彼は男子用制服である、白の半袖ワイシャツを着、灰色のスラックスを穿いていた。
扉を開け、中に入る。八畳ほどの小さな部屋で、床には灰色の絨毯が敷いてあった。中央の四角い机と、パイプ椅子五脚、南側の入り口とは反対側の、北側の壁にある窓以外、何もない。殺風景な場所だ。
入ってすぐのところは下足スペースになっていた。そこで上履きを脱ぎ、靴下で絨毯に上がる。机の、北東にある椅子を引き、座った。そこが重楠の定位置だった。彼はスマートホンをポケットから取り出すと、操作し始めた。フーダニット部の活動開始時刻まで、あと二十分弱あった。
三分後、がらがら、と音がした。入り口に目をやる。
家豆(いえまめ)衣瑠(いる)が、部屋に入ってきた。黒髪をピンクのリボンで纏め、腰までのツインテールにしている。身長はかなり低く、小学生レベルだった。
「あら、重楠君じゃない。先に来ていたのね」
衣瑠はそう言って自分の肩をとんとんと叩いた。彼女は女子用制服である、上はピンク、下は水色のセーラー服を身に着けていた。
「おう、衣瑠か。俺もついさっき来たところだ。……肩、凝っているのか?」
「え? ええ、胸が重くって。Iカップもあると、大変よ」
衣瑠はそう答えると、机の北西の席に座り、鞄から数学の教科書とノートを取り出して、何やら書き込み始めた。おそらく、宿題の類いだろう。
重楠はスマートホンを弄りながら、はたして、今日のテーマはなんだろう、とぼんやり考えた。前回は人間消失トリック、前々回は時刻表トリックが主題だった。どちらも、彼には見抜くことができず、けっきょく真相を暴いたのは、すべて衣瑠だった。
四分後、がらがら、と音がした。入り口に目をやる。
明智浪穂(なみほ)が、部屋に入ってきた。胸まで伸ばした茶髪を姫カットにし、レースのカチューシャを着けている。身長はかなり高く、百八十センチを超えていた。
「あっ、二人とも、先に来ていたんですか」
「ええ」
「まあな」
「恵理さんは、まだ来ていないんですか?」
「ああ。まだだよ。我らがフーダニット部の部長様はな」
フーダニット部とは、犯人当て小説を執筆・発表・推理する部活動である。といっても、執筆・発表するのは、部長である連(れん)恵理ばかりであり、部員である重楠と衣瑠、浪穂は、推理する側に回っている。
恵理は小さい頃から、なぞなぞやクイズを創作し、出題するのが好きだった。幼馴染で親友の重楠と衣瑠、浪穂も、それに付き合い、彼女の出す問題によく挑んでいた。なかなか凝っているものが多く、重楠や浪穂は解けないことが多々あったが、衣瑠は頭がよく、ほとんどすべての問題に正解していた。
そして、その趣味が高じて恵理が立ち上げたのが、「フーダニット部」だ。部員は彼女ら四人しかおらず、増やすつもりも特にないらしい。重楠たちはここで、恵理が執筆した犯人当て小説に挑んでいた。
浪穂は机の南西の席に座り、足下に鞄を置くと、図書室で借りたらしい文庫本を読み始めた。重楠も再び、スマートホンを弄り始め、衣瑠も宿題に戻った。
五分後、がらがら、と音がした。入り口に目をやる。
恵理が、部屋に入ってきた。短い金髪をツーサイドアップにし、銀のヘアピンを着けている。身長は、重楠と同じくらいだった。
「おや。みんな、早いんだね」
「あなたが遅いんじゃないの?」
「失敬だね。まだ三時五十八分だよ」恵理は浪穂の胸に目をやると、じろ、と彼女の顔を見つめた。「浪穂、また胸が大きくなった?」
「え? ええ、まあ。昨日測ったら、Dカップになっていましたよ」
「ふん。浪穂にしろ衣瑠にしろ、それだけ大きいと、肩がひどく凝るだろうに」恵理はそう言いながら、机の真北の席に座った。「やはりボクのような絶壁が、生活するうえで一番楽なんだよ。いやいや、これは決して負け惜しみなんかじゃなくて、心の底からそう思っているわけで」
重楠は咳払いをした。「そんなことより、せっかく四人集まったんだから、始めねえか? 部活動」
「あ、そのとおりだね。これが」恵理は足下に置いた鞄から、ステープラーで綴じたA4の紙の束を三つ出した。「今回のお話だよ」
重楠はそのうちの一つを受け取った。一ページ目は表紙になっていて、中央に「異世界の殺人者」「連 恵理」という二行の文が、明朝体で印刷されていた。
「まあ、無理に読んでくれ、とは言わないよ。読みたくなくなったら、やめてくれていいからさ」
「何言っているんだ。ちゃんと読むぜ」
重楠は原稿を捲った。冒頭はプロローグになっていて、毒酒を呷った女性が苦しみの末死に至る、という内容だった。その後に、問題編が始まっていた。
彼は、問題編を読み始めた。
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