欠陥少女

若槻きいろ

第1話 始まりは終わりのごとく

「お前は知恵理の代わりには成れない」


 遠い記憶。

 私が小学校に入る前だったと思う。

 数少ない、あの人との記憶。


「お前は、知恵理の代わりにはこれからずっと、決して成れない」


 灼けるような夕焼けが見えた日だった。これでもかというくらい淡々と、あの人は語る。

 私に背を向けて。

 あの人の顔は、見えなかった。


 ✴︎


「昨日未明、歌手の八束辺秋一さんが遺体で発見されました。××県の〇〇市で遺体が発見され…」

 曇り空の、鬱々とした天気。先程見た天気予報では、午後から雨が降るらしい。

 私は焼き上がったばかりのトースターをかじり、忌々しげにテレビを睨み付けた。

 そこにはニュースキャスターが少しつっかえながら、手元の文章を読み上げている。

 新人だろうか。朝からご苦労様とでも言いたくなる。

 どの局も同じことばかり流れている。何も朝から騒ぐことじゃないじゃないか。

 一般的には忙しい朝の時間。その時間に、とても有名な人物の悲しき訃報を流す。

 忙しい人は手を止めてその報せに耳を傾け、嘆き、涙を流す。

 きっと今、この国あるいは世界においてそのような現象が度々起きているはずだ。

 あの人にはそれほどの影響力がある。

 世界を揺るがせ、負の渦を巻かせるだけの力が。

 私に言わせれば下らない無用の長物であり、いっそ彼の評判と共になくなればいいと思うが。

 しかし私のそんな思いも余所にテレビの中のアナウンサーは同じ内容を繰返す。

 馬鹿の一つ覚えみたいに、何度も。

 テレビを消せばいい話だが、他にかける音もない。何もないのは流石に一人の殺風景さに拍車をかける。

 ならば、何もしないことが一番いい。


 たかが人一人死んだくらいで、と思う。

 一人がいなくなったって、他の人間の生活が劇的に変わるわけじゃないし、以前と同じように過ぎていく。

 心配したり騒ぐほどのことじゃない。

 余程の身近なことじゃない限り大した影響はない。

 どうせみんな忘れてしまうのだから。

 そんなことを心中でぼやきながらトーストの最後を口に入れてしまう。コーヒーを飲んで朝御飯を終了させ、テレビを消した。

「さて」

 一声ついてダイニングテーブルから立ち上がる。

 今日は大事な用がある。


 ✴︎


 電車を乗り継ぎ、郊外にある式場に向かう。

 代々我が家とはそこそこ縁があるらしく、以前母の時もお世話になった。

 私が式場に入ろうとすると、後ろから声が掛かる。

「やぁ、久しぶり。知代乃ちゃん」

「お久しぶりです。叔父さん」

 私の父の弟に当たる、数少ない顔見知りの親戚に遭遇した。いや、会うことは最初からわかっていたのだけど。

 私はこの人が、というか親戚の殆どが好きではない。

 はっきりした嫌悪ではないけれど、何と無く嫌いだ。

「少し遠かったから、疲れたろう。まだ式まで時間はあるし、それまで休んでいなさい」

 にこにこと親切に言ってくれたので、私はその好意に添うことにする。

 セルフサービスのお茶をもらい、適当な席に座る。座ると同時に、背後から粘っこい視線を感じる。それは親戚達であった。あれがあの人の、とか思ったより地味ね、など好き勝手こそこそ囁き合っている。初めからわかってはいたが、この人達は馬鹿なんじゃないかと思う。せめて本人に気づかれないようにこそこそすべきだというのに。きっと当人らは暴露てないと思っているんだろう。

 生憎と私には彼らがどういう意味を込めて私を見ているかすら、知っているというのに。

 私が離れると、親戚たちがポツポツ集まって、時折私に視線を向けながらこそこそ話し始めている。結局アレはどうするのか、と。

 父の遺産相続と私の後見人についてだ。私はまだ未成年だから、遺産を相続するまで後見人が必要になる。あと数年。それまでに莫大な父の遺産から如何に甘い汁を吸えるか。そう考えているのだろう。浅ましい連中だ。

 私は軽く息を吐き、手の中にあったお茶を飲み干す。紙コップに少し茶の残骸が残したまま、ぐしゃりと潰した。

 時間になって沢山の参拝客がきた。

 喪主は私ではなく祖母がやってくれている。老いてなおその鋭き眼はむしろ若さを感じられた。すっと伸びた背筋。参列者一人一人に礼をするその姿勢。その姿は言ってはなんだが中年を過ぎ、もはや若さで保てなくなった肉体を持つ叔父とは天と地だった。本当に親子なんだろうか、と無機質なパイプ椅子に愛想を尽かしながら思う。祭壇の方を見ると、父の写真には少し若い頃のものが使われていた。それを見ては嘆き悲しみ泣き出す参列者たち。対する遺族は軽く顔を伏せ、暗く沈んでいる。ようにみせている。

 私の父方の一族は、皆揃って変人で薄情だった。人間味が薄い。だから参列者のようにはなれない。世間体的にそうしなければ批判と白い目で見られる。

 後者はともかく、要らん評価は受けたくない。面倒だし。だから形だけそう取り繕う。

 それと実の話、私の父が死ぬであろうことは遺族と父の親しい人たちのごく一部の誰もが予想していたことだった。

 だから今更驚かない。


 病気ではない。

 そういう人だったのだ。

 私の父、八束辺秋一は。

 自他共に認められる偉人で、変人で、どうしようもないくらい。


 欠陥品であった。

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