愛と最期の餞を

木枯水褪

前編


 夢を見る。毎回、夢の中で同じ部屋に辿り着く。白くて真っ黒で真四角の部屋。窓もなく、そこへ繋がる扉もその部屋に入るとじわじわと消えてしまう。うねうねと曲がったり先が見えないほどまっすぐに伸びたり、様々に姿を変える廊下を抜け、その部屋に辿り着く。毎回順路は違っても、何枚かのドアをすぎると必ず辿り着いた。部屋の中には何もない。なにも、ぼくの影さえもない。


「……っ!」


 その夢を見ると、決まって飛び起きる。背中は汗でぐっしょり濡れていて、眼球がにわかに痙攣けいれんするような気持ち悪い感触が走った。

 何かを待っているような、逃げているような、仕舞いこんでいるものを落とすような、そんな夢だ。


「おはよ……またあの夢を見たの?」


「おはよう……ああ、また」


「ねえ、そろそろ病院に行ってみたら?」


「うん、その内行くよ」


 隣で寝ていた妻が顔をあげて、心配そうにぼくを見る。ちらっと時計を見るとまだ午前四時だった。疲れているだろうに、起こしてしまったようだ。

 ぼくたちが住んでいるこの辺りは田舎なので、精神系の科が入っている総合病院まではだいぶ遠い。面倒くさいのもあるが、ぼくはあの病院が嫌いだった。遊岡市ゆうおかしの外れにある鈴白町すずしろまちから、中央の星見町ほしみちょうまでの道。それも、あまり通りたくない道だ。あの頃はまわりの景観なんて見ずにただひたすらに前を前だけを見て通っていた道でも、思い出すのはこわい。


「起きちゃったし、ぼくはやりかけの仕事をやるよ。君は出勤まで寝ていると良い、朝ご飯も作っておくからゆっくり寝て、起こして悪かった」


「ううん、いいのよ……本当に大丈夫? 顔色が悪いわ」


「大丈夫、すぐなおるよ。おやすみ秋良あきら


「……おやすみ、美鈴みすず


 ぼくは主に翻訳の仕事をしていて、打ち合わせなどを除けばほぼ在宅ワークだ。妻は看護師で、師長という忙しい身の上なので家事はほとんどぼくが担当している。ただ〆切間際の追い込み期などは、妻に任せてしまうこともある。


「さて、」


 静かに慎重に寝室を出て、自分の書斎に向かう。

 今回の仕事は洋書の翻訳だ。内容は普通のラヴストーリーだが、ごくたまに専門用語も出てくるのでノートパソコンの脇に資料を置いている。ここまでの経験でスラングや専門用語には詳しくなったつもりでいたが、語学とは奥が深い。日本語だって完璧に知っているわけではないのだから、他国の言語なんて尚更だ。

 そもそも元はと言えばぼくは小説家志望で、自分の世界を作り上げるのが好きだった。でもそれも十年前、大学生だった頃の話だ。ぼくの小説を好きだと言ってくれる人もいる。ぼくの世界を好きだと言ってくれる人もいる。けれどぼくは、もう自分の世界を作れない。

 ぼくの世界は、宝箱だ。大切な、ただ大切なものをしまっておくために、繊細な細工を施して、箱庭に仕立て上げた宝箱だ。見せびらかすためじゃなくて、しまっておくためだけの世界なんだ。窓も扉もない、監獄みたいな宝箱。


「……もう七時か」


 一心不乱に作業を進めていると、もう朝食を作って妻を起こさなければいけない時間になっていた。

 台所に立ち、作り置きのスープに火を入れて、サラダを作り、スクランブルエッグと同じフライパンでウィンナーを焼く。食パンをトースターに入れたタイミングで、妻を起こしに寝室に向かった。


「秋良、秋良、朝だよ」


「ん、おはよ、美鈴」


「うん、おはよう、口をゆすいでおいで」


「うん」


 やはり疲れているようだ。のっそりと起きだした妻が洗面所に向かうのを見届けて、台所に戻り食パンを取り出す。皿を食卓に並べて、グレープフルーツジュースをコップに注いでいると、妻がリビングダイニングに入ってきた。もう目は覚めたようだ。

 妻は寝起きがいいので、こういう時手がかからなくていい。どちらかといえば普段はぼくの方が寝汚いので素直に尊敬できる点だ。


「おはよう」


「おはよう」


「ドレッシングは? 青じそ? シーザーもあるけど」


「青じそ」


 冷蔵庫から言われた通りのドレッシングを取り出して食卓に置く。ぼくも妻と同じく青じそにした。なんだかさっぱりしたものが食べたい気分だ。


「仕事は進んだ?」


「ああ、おかげさまでまあまあ進んだよ」


「ならよかった」


「さっきは悪かったね」


「いいの」


 妻を起こしてしまった何度目かに、ベッドを別にしようかと聞いたけれど、妻は頑として同じベッドで寝ることを譲らなかった。ぼくも同じ気持ちだったから、食い下がることはしなかった。


「ああ、勤務表見たかもしれないけど、今週は今日以外ずっと夜勤なの」


「わかった、打ち合わせがない時は寝る時間を合わせるよ」


「ありがとう」


 変動は多いが、家で仕事をしている時は時間の自由がきくので、妻が夜勤で朝方帰ってくる時などはぼくもそれに合わせて生活のサイクルを変えるようにしている。

 今週は特に打ち合わせなんかはなかったと思うが、急に入ることもあるので、その旨を事前に断っておく。まあ、もうこの生活も長いのだから言わなくてもわかっているんだろう。


「じゃあ、そろそろ行くね」


「気をつけて、秋良」


 朝食を食べ終えて、出掛ける準備を済ませた妻が、玄関で靴を履きながら振り返る。仕事用の鞄を手渡しながらキスをして、いつも通りの見送りの言葉を口に出すと、妻はぼくの頬を気遣わしげに撫でた。


「美鈴も、体調、気をつけてよ」


「うん、大丈夫だよ」


「……行ってきます」


「いってらっしゃい」


 振り返って出て行く妻の背中を見送る。

 大丈夫とは言ったが、嘘だ。ひどい頭痛がする。軽く仮眠をとるべきだろうか。普通に歩くと頭に響くので、すり足でリビングまで向かった。革張りのソファーにそうっと横になると目を瞑る。電灯の残像が鬱陶しい。


「十年……」


 笑顔を思い出す。あの道も。あの頃は一心不乱だったから、見えていないと思っていた。けれど何度も通った道は、確実にぼくの脳裏に残っている。銀杏並木を越えて、橋を越えて、何度も通った道。


 本当に、ひどい頭痛だ。

 起き上がって、サイドテーブルの引き出しから頭痛薬を取り出す。キッチンでコップに水道水を汲み、その水で頭痛薬を飲み込んだ。それと一緒に、吐き出しそうだったひとつの名前を飲み込む。宝箱は安易にあけるべきじゃない。

 嫌な静寂を紛らわすためにテレビをつけて、再びソファーに横になる。煩わしいはずの笑い声も、なぜか気分を楽にさせてくれる。



                 ・・・



『忘れようとしたって無理、忘れよう忘れようって思うたびに思い出しちゃうんだもの!』


『でもおれは、もう忘れて欲しいんだ、おれのことなんか』


 いつの間にか寝ていたようだ。つけっぱなしのテレビでは、十年ほど前のドラマの再放送をやっている。地上波作品にあまり出ない俳優が起用されていて、話題を呼んだドラマだ。ぼくも当時、毎週見ていた。

 時計を見ると十時半だった。一時間ほど眠っていたことになる。頭痛も収まって、だいぶ気分もいい。


『わたしは、あなたを思い出にしたくなんかないの』


 十年ほど前というと、ぼくは大学生だった。そこそこの国立大学の文学部。高校時代からの彼女と同棲して、このドラマを見ていたのを思い出す。ラストは二人で号泣したものだ。


『ねえ、わたしたちのあの日々って、なんだったの?』


『……おれは、きみを』


『どうして、わたしたち……』


 これ以上見ていたくなくて、テレビの電源を消した。書斎に戻って、仕事の続きをしなければ。

 いや、今日は妻のシフトに合わせるために夜更かしをするのだから、また少し仮眠でもとるべきだろうか。それにしても昼までは仕事をして、それからどうするか考えよう。

 ソファーから立ち上がって書斎に向かう。仕事のことに集中しなければ。


『メアリーは、男がコーヒーを啜るのにただならぬ既視感を覚えていた。見たこともないはずの景色がフラッシュバックする不快感に、表情を歪めないように努力していると、男が怪訝そうな顔でメアリーを見た。どこか気怠げなのは男の垂れ目が与える印象だろうか。

無意識で、メアリーは生唾を飲む。なぜか気取られたくなかったのだ。』


 翻訳している物語は今、佳境にさしかかっていた。主人公であるメアリーが、ロマンスの相手である男との初めての対面を果たすシーン。普通ならば序盤だろうが、この物語では違った。メアリーが毎晩見る夢と、メアリーが置かれている状況で半分が終わってしまっているのだ。男とは夢に出てくる知らなかったはずの男で、ここに至るまでの経緯としてはメアリーとカフェのテラス席で相席になっただけだ。

 そこまで翻訳して、ぼくはまた気分が下降するのを感じた。時計を見れば、もう昼だ。夜のために大人しく仮眠でもとっておくべきだろう。凝り固まった首や肩をほぐすように揉みつつリビングに向かう。

 食べさせるべき妻がいないのに手の込んだものを作る気にならず、適当に野菜とハムを挟んだサンドウィッチを作り、多めに作って冷凍してあるポトフをレンジで温める。なんだか気力を削ぎ落とされた気分だ。翻訳に苦戦しているわけでも大量に翻訳したわけでもない。けれどなぜか、とても疲れていた。


『だからわたしそこで言ってやったんですよ』


『生ひとつって?』


『いや違うわ! どんだけKYだよ!』


 もはや効き目のないコーヒーを飲みながらテレビをつけると、バラエティー番組の再放送で下手な漫才が披露されている。

 朝と同じく、つけたままでソファーに横になる。せっかく追いやったはずの頭痛がまたやってくるような気がした。その前に、眠りについてしまわなくては。


『ねえ美鈴、忘れてね……私のこと、忘れて』


 少し歩いて、いつもの夢を見ていることに気付いた。少し目の前以外不明瞭な世界を、わかっていて歩く。廊下がどんな形で、どれほどの長さでも、いつかはあの部屋に辿り着くのだと理解している。

 聞こえてくる声は、弱々しいくせに馬鹿に凛としていた。


『私は、あなたを縛ることはしたくないの』


 一枚目のドアをくぐる。

 さっきとは違う建物にいるようだった。次のドアは、学校の教室みたいに引き戸で、見えているのに中々辿り着けない。ふと振り向くと、さっきくぐったはずのドアは消えていた。

 再び前を向いて、ドアを目指す。


『……でもね、ひとつだけお願いがあるの』


 ガラガラと音をたてて開いたドアを通り抜ける。また違う建物だ。白い。次のドアはどこだろう。


『さようならは言わないでね、さようならだけは、言わないで』


 さっきとはまた違う引き戸、銀にひかる取っ手にしがみつく。

 入ると、いつものあの部屋だった。白くて真っ黒で真四角の部屋。窓も、今しがた通ったばかりのドアも消えていた。さっきまで反響していた声はもうしない。

 いつもと違うのは、その部屋の真ん中に、椅子がひとつ。真っ白い、けれど繊細な細工が美しいチッペンデール。ぼくが座るためのものじゃないのは、とうにわかっている。だってここは箱庭だ。ただ大切なものをしまっておくための宝箱だ。

 心の奥底、そのまた奥に仕舞い込んだはずの。


「は、」


 セットしておいた携帯のアラーム音で叩き起こされた。何回かスヌーズしたのか、最後に時間を確認してから一時間半以上経っている。


『でも誰が? 足立さん、みんなに好かれてて……』


 テレビは推理ドラマに移り変わっていた。書斎で仕事の続きをする気になれず、仕事用のパソコンをリビングに持ってきて温もりの残るソファーに腰掛けると、すっかり冷めたコーヒーを飲み込む。


『いや、アリバイがあるって……』


 テレビをつけたまま、膝の上に乗せたノートパソコンの液晶を睨みつける。メアリーの気持ちが、ほんの少しわかってしまうから、今からでも今回の仕事を断りたい気分だった。それでも、ぼくはこの仕事を選んだのだから、やらなければ。


 結局、携帯のアラームが二回鳴るまで気付かなかったほど、目の前の仕事に熱中していた。今度のアラームは夕飯の準備を始める時間を知らせるために毎日設定しているアラームだ。パソコンを閉じてキッチンに向かう。

 今は肉を食べたいとは思えない。夜勤明けの妻は肉を食べたがるので、今日はいいだろう。

 冷凍庫から鮭を取り出して、そろそろトマトも食べてしまわないといけないことを思い出す。鮭はムニエルにでもして、トマトは簡単にカプレーゼにしよう。ベランダで育てているバジルを摘んで来なければ。

 メインは鮭だから、ワインは白でいいだろう。いつも冷やしているシャブリは生憎切らしているから、試しに買ったドイツ産でいいことにしよう。なんだ食卓が多国籍だ。


「ただいまー」


 スープを温めて、あとは鮭を焼くだけというところで妻が帰ってきた。はかったようなタイミングだ。急いで手を拭いて玄関に向かう。


「おかえり秋良」


「うん、ただいま。今日はなに?」


 少し言葉が欠けているが、状況や習慣から何が聞きたいのかはわかる。


「鮭のムニエルとカプレーゼとスープ。あとは欲しければ煮物もあるけど」


「あーうん、煮物もお願い」


「ブリ大根だよ?」


 本格的に多国籍な食卓になる。軽めの白なので合うだろうが。


「シャブリ切れてたんだ、ドイツのでいい?」


「うん」


 急いで煮物に火を入れ、鮭を焼く。テーブルに料理を並べるのを手伝う妻は、カプレーゼをつまみ食いしていた。どうやら相当空腹らしい。


「こら、行儀悪いぞ。つまみ食いは料理人の特権」


「ふふ、お腹減ってるの」


「まあいいけど。ワイン開けられる?」


「あなたより力仕事よ?」


「はいはい、お願いします」


 きつね色の焼き目がついたムニエルが、ダイニングに香ばしいにおいをもたらす。

 ムニエルを盛った皿を置いて、食卓が完成した。とっくに座って、ぼくとムニエルを今か今かと待っていた妻に少し笑いながら、向かいに座る。

 よく冷えたワインを、同じく冷えたグラスに注いだ。


「いただきます」


「どうぞ」


 少しトーストしたパンをちぎって食べていると、妻が少し言いにくそうにそれで、と話しだす。


「体調は大丈夫なの?」


「なんだ、大丈夫だよ。少し昼寝したらだいぶ楽になった」


「無理して合わせなくてもいいよ? つらいなら休んだ方が……」


「大丈夫だって」


「大丈夫なら、いいけど……」


 気丈に振る舞おうとワインを呷る。それでも妻は心配そうだ。


「それよりほら、食べ終わったら映画を見るんだろう?」


「うん」


 妻が頷いて食事を再開する。

 大丈夫というのは本心だった。体調は今でもあまり優れない。でもぼくには大丈夫と言う以外ない。なにより、大丈夫と言っていれば本当にそうなる気がして、虚勢だろうがなんだろうが貫き通したいのだ。ぼくは大丈夫。きっと大丈夫だ。


「ごちそうさま」


「お粗末様でした」


「おいしかったわ、美鈴」


「だろう? じゃあ片付けるから、DVDセットしておいて」


「わかった」


 実を言うと、あまり味はわからなかった。今起こっていることも、なにもかもに現実味がない。さっき見ていた夢の方が現実だったんじゃないかと思うくらい、ふわふわして落ち着かない。白昼夢でも見ているような気分だ。

 がしゃん、と、手元で何かが割れる音がした。


「美鈴? 大丈夫!?」


「あ、ああ、ごめん君のお気に入りの……」


 マグカップ、と言おうとして洗っていたのがワイングラスだったことを思い出す。鋭い破片を触ると、指の先にチリッと焼けるような痛みが走る。


「ああ、切れてるわ……本当に、大丈夫なの?」


「大丈夫、手が滑っただけだ」


「あと、わたしがやるから、あなたはDVDの方お願い」


「だから、大丈夫だって」


「違うの、見つからないのよ」


 ぼくがあまりにも譲らないせいで妻に気を遣わせてしまった。指先ににじむ血を拭いながら、リビングに戻る。それでも映画を見ることをやめないのも、ぼくが絶対に譲らないことをわかっているからだろう。

 DVDをプレーヤーにセットして、メニュー画面を表示させ、妻を待つ。


「はい、ミルクティーでいいよね?」


「うん、ありがとう」


「いいの、わかってるから」


「え……?」


 妻の意図がわからず視線を向けると、もうテレビ画面に釘付けだった。


「さあ、見ましょう? わたしこの映画久しぶりに見るわ」


「ああ、ぼくもだ」


 優しいなと思う。ぼくは幸せ者だ。本当に心からそう思う。


「ラストで泣かなかったことなんてないわ」


「はは、じゃあティッシュを用意しとかないと」


「もう、からかって」


 ぼくは。


「美鈴」


『美鈴』


 冬。あの白い部屋。


「美鈴?」


「あ、ごめんボーっとして……」


「映画終わったよ?」


「ああうん、わかってる。見入ってたんだ」


 嘘だ。映画が終わったことにすら気付かなかった。ずっとあの部屋のことを考えていた。あの夢を、あの夢で通った場所を。


「やっぱり泣いちゃった」


「わかるよ、ぼくも泣きそうだった」


 これは本当だ。映画を見てはいなかったが、今は泣きたい気持ちだった。


「さて、そろそろ風呂に入って寝ようか」


「うん」


 さっと風呂に入って2人でベッドに横たわると、妻がささやかに笑う気配がした。


「どうしたの? 秋良」


「なんでもないの。ただ、幸せなの」


「ああ、ぼくもだ」


 常夜灯を残して電気を消す。暗いオレンジが優しい。相変わらず体調は良くないが、昨日よりは眠れる気がした。


                 ・・・


 目を覚ますと、あの廊下にいた。

 いや、覚めてはいない。いつものあの夢を見ているんだ。毎回通る廊下は変わるはずなのに、昼間に見た時と同じ廊下だった。厳密に言えば、昼間一枚目のドアをくぐった後の廊下だ。一歩足を踏み出せば、よく磨かれたリノリウムの床が小気味のいい音をたてる。

 歩いていて見えてきたドアの横には、2-Bと書かれた看板がついている。昼間より鮮明に、ここが学校なんだと表している。ドア窓からは、規則正しく並んだ机と、所々白く汚れた黒板が見える。


『忘れないで、』


 ドアをくぐると、学校も教室もなかった。白い壁、いくつか部屋が並んでいるが、どこも通るべきドアではない。少し歩くと現れた階段を上ると、302号室と書かれたドアに辿り着く。


『こんな、こんなこと、言うつもりじゃなかったの』


 たまらなくなって、ドアを勢い良く引いた。白いベッド。部屋に入るともう病室はなく、いつものあの部屋だった。振り返ると、すでにドアはない。


『美鈴、美鈴、愛してるわ』


 もう一度前を向く。

 確かにいつものあの部屋だ。昼間と同じく、椅子がポツンとあるだけの。

いや、いつもとは違う。椅子にぼく以外の人間が座っていた。真っ白いワンピースを着た女性だ。嫋やかで美しい。

 ぼくの愛した。


「、真冬……」



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